名字なんてさ。

たとえば仮に、旧姓でのわたしのフルネームを「佐藤ぽこ」、新姓でのフルネームを「鈴木ぽこ」としよう。

結婚をして入籍届を出すと、その後いろいろな書類の名義を「佐藤」から「鈴木」に変更してゆくことになる。

その中で感じたのは「ああ、佐藤ぽこという人物はこの世からもういなくなったのだ」という、なんともいえない思いであった。

* * *

結婚前は今考えればたぶん浮かれていて、というか幸福感がまさっていて、実際に必要な手続きや、自分に起こる変化というものにあまり思いが馳せられていなかったと思う。

でも実際にクレジットカードの名義変更手続きをし、銀行口座の名義変更をし、保険証や運転免許証の名前を変えていく中で、嫌でもその現実と向き合うこととなった。

中でも強く感じたのは、新しく私用に、「鈴木」の印鑑をつくらない?という話が夫からあったときだ。そうだね必要かもねという話をしたり、まあいまのところは夫が使っている印鑑だけでも事足りるねという話をしたりして、結局新たに作るということはしなかったのだが、問題はそこではなくて。

ああそうか、わたしもうこの先おそらく一生、「佐藤」はんこを使うことはないのかもな、と初めて理解したのである。

自分が約30年間お世話になってきた、この「佐藤」はんこ。小学校のプールの出欠表に赤丸が並んでいる姿が目に浮かぶ。その後も学校生活、社会人生活、大事なときにはいつも、わたしの証明として寄り添ってくれた、この「佐藤」はんこ。

もう君は、わたしの証明として活躍することは、きっと永遠にない。もう君は、役目を終えたんだ。

その事実をはじめて自分のものとして心に受けとめて、冒頭の思いがまた強く込み上げてきた。

「はい、佐藤ぽこという人物はこの世からもういなくなりました。これからあなたの名前は鈴木ぽこです。その名で生きてゆくのです」。

誰かの声が、頭のなかでひびく。

なんとも言い表せない、けれどもわたしにとってはとても大きな、喪失感だった。

* * *

たぶんこれは大いに、個人の性質によって考え方、感じ方のわかれることだと思っている。

わたしの場合は結婚を機に遠方へ引っ越しがあり、仕事の人間関係もある程度区切ることになったため、喪失感がまた大きかったのかもしれない。

例えば同じ場所でそのまま仕事を続けていたなら、その場所での呼び方はおそらく「佐藤さん」とか「さとちゃん」とかのままだっただろうから、書類上の名義が変更になっても、気持ちはかなり違っただろう。それにおそらくわたしは旧姓のまま仕事を続ける選択をして、「佐藤」はんこも使い続けていただろう。

だから自分の場合は、大きな環境の変化もあってちょっと特殊なのかなとも思う。そもそもの性質として、「人は人、自分は自分」という意識がある分、自分の意志、自分というものにこだわりがあるやっかいさも持ち合わせていると思う。

だからこそあまりこういう表現をするのはよくないかなと思うのだが、その個人的なシチュエーションも加味したうえでの、「あくまでわたしの場合の気持ち」として表現することを許されるのなら、当時わたしは「旧姓の自分のお葬式をしている」ような気分も、少なからずあったのだ。

誤解のないように念のため補足をすると、結婚という事実はとても幸せだった。もういい年と呼ばれる年で、はやく気持ちの落ち着ける場所がほしいと長らく思っていたし、まさにそんな平穏の場所を見つけて幸せだったから、その決断自体に後悔はない。

だからこそ、不思議な気持ちだった。

とてもとても幸せな、結婚という変化の裏で、わたしはひとりもくもくと、旧姓の自分のお葬式作業をしている。「今まで、ありがとう」。そんな感謝を、ひっそりと胸のなかで味わい、時に涙を浮かべて、ゆっくりと消化してゆく。

ああ、あえて批判も気にせずステレオタイプな表現をしてしまうが、世の中の女性たちはみな古くからこんなふうに、裏でひっそりと気持ちに折り合いをつけてきたのか。嫁に行くということは、現代においてもまだやはりこういうことなのか。独身時代、周りにいた既婚女性たちもみな、こういう過程を経てなお、輝いていたのか。率直な気持ちはそんなところだった。

独身時代の自分には、まったく想像すらできていなかったその気持ちに、わたしは戸惑ったものだった。

* * *

昨今では、著名な方が複数、事実婚で話題になっていたりする。

それを見ていて、単純にああ、彼らはすごいなと思う。

何がすごいなと思うかというと、入籍という手続きを済ませる前から、それがどういう手続きであるかを冷静に見つめているところである。

先に書いたように、わたしは結婚前はたぶん浮かれていて、その手続きによって自分にどういう変化が起きるかなんて冷静に考えられていなかった。だから結婚という形式にはあまり疑問を持たず、たとえば事実婚を検討するとか、夫婦別姓を検討するとか、そういう過程は何もせずに通過してしまった。

「事実婚や夫婦別姓を選択したかった!」というより、話し合っても自分の場合は最終的に今の形式を選択したような気がするのだが、そうだとしてもいろいろと検討したうえで、自分に起こる変化もある程度予想したうえで、決定をしたかったという思いはある。

まさかあとになって突然、「ああ、もう佐藤ぽこは永遠にいなくなったんだ」という喪失感とともに、旧姓の印鑑に別れを告げ、旧姓の自分のお葬式作業をするなんて、思いもよらなかったものだからさ。

* * *

さあ、ところでなぜ今そんなことを思い出したかというと、最近また、仕事の名前どうしようかなあ、なんてことをぼんやり考えているからである。

現在は、旧姓での仕事と、新姓での仕事、そしてぽこねん名義での仕事が混在している状態である。もちろん、名前をたててゆくことが大切なフリーランスにおいて「うまくない」状態であることは重々自覚している。

でもなんだか煮えきらないのはきっと、“名字”に対する変な違和感をずっと抱えたままだからなんだと思う。

旧姓で呼び続けてくれる方がいるのも嬉しい。けれど、旧姓で呼ばれても、新姓で呼ばれても、なんだかどちらも自分じゃない気がする。

そんなどっちつかずの気持ちのまま、メールアドレスの表示名は新旧両方入っているし、LINEの表示名はもう、名字を消して下の名前だけにした。ああ名字、めんどうくさいな。なんだかそんな気分があるのも認めよう。

この先予想もできないことがあって離婚などする可能性だってゼロではないし、もう名字にあまり揺さぶられて生きていたくないのだ、という思いがある。これもまた、我が強いからこそなんだろうけど。

そうしてハンドルネームもありだと思いつつ、こんどはそこに名字をつけたほうが「人」っぽさが出ていいな、つけようかな、などと考えているのだから、つくづくわたしは矛盾した人間だと思う。

いや、でも、揺さぶられない名字というか、むしろたとえば、離婚をするようなことが仮にもしあったとしても、変化なく「どん」と自分を支えてくれるような、書類上とは関係ない「名字」なら、お守りがわりにあってもいいのかなあなんてね(そのうち突然ついてるかもしれないけど、そのときは生ぬるく見守ってやってください)。

「はー、わからん」。

煮え切らない思いを抱えたまま、今日もわたしは生きてゆく。

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エッセイはとつぜんに

つれづれなるままに、ひぐらし、ではないが、ときたまPCにむかひて。役には立ちませんが、何の変哲もない日常を楽しめるようにはなるかもね。
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コメント12件

お返事ありがとうございます!いえいえいえ、決して強い表現で心をやられたわけではないですよ……!そこはご安心ください……!(笑) 苗字一つとっても、人によってまったく考え方が違うのが、おもしろいなぁと思います。ぽこねんさんの捉え方が好きで、「旧姓の自分がいなくなってしまった」という表現がとても好きです。
四藤さん、そう言っていただけてホッとしましたー。どうぞゆるりとお楽しみください。笑
ちょうど昨日、友達が離婚成立して名前を元に戻すのに気が狂いそうという連絡を受けて(実際胃腸炎でものが食べられないらしい)、「苗字を変えると言えば~」と、また読みに舞い戻ってまいりました。私はペンネームが旧姓新姓どちらよりも長いっす。どっちよりも愛着がありま~す!
わたしもずっと苗字で呼ばれていたので、入籍して名前が変わった時、アイデンティティの根幹であった自分の名前を失ってしまったような感覚になりました。もっとポジティブに捉えればいいのでしょうが、結局まだ女性にとってはそういう時代なのか、なんて思ってしまいました。
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