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だいじょうぶ、だいじょうぶ

「#社会人1年目の私へ」という企画をやっているのはぼんやりと知っていたけれど、なかなか書く気になれずにいた。

なんというか、まぶしかったのだ。

いろんな方が悩みや葛藤を振り返り、それをくぐり抜けて今へとつながるような意義を見出したりしている中、自分は胸をはって「あの日々の葛藤があったからこその今」と言い切れる自信がなかったのだと思う。

あるいは20代後半のころのわたしなら、むしろ堂々と書けたかもしれない。社会人1年目の日々はつらかった、でもあの日々があって、今のわたしがある……って、堂々と。

* * *

なんでそんな感覚になるんだろう、という問いが自分の中にずっとひっかかっていて、でも考えると、あまり向き合いたくないことに向き合わなきゃいけないような予感がちょっとだけあって、ずっと先送りにしていた。見て見ぬふりというやつだ。

そのうちにこのハッシュタグ企画も終わるだろうし、そうしたらわたしも、その意識を遠ざけることができるだろう。どこかそんなふうに考えていたのだと思う。

でもやっぱり、のどにひっかかった魚の小骨みたいに気になる。どうやらそいつは、わたしをそのままにはしておいてくれないようだった。だから、しかたがないから、考えることにした。なんでわたしが、「#社会人1年目の私へ」というテーマで、個人的にザラッとした気持ちを感じてしまうのか。

そうして考えているうちに思ったことがある。それは「ああ、あのころのわたしは、会社に入って仕事をするひとだけを“社会人”だと思っていたんだな」ということだ。

でもいまのわたしは、どうだ。

いまのわたしは、育児という命題が頭の大部分にずうっとひっかかっていて、それを中心に仕事や生活を考えている。ぽちぽちと個人で仕事はいただいているけれど、あのころ、“社会人1年目”だった自分が描いていた仕事のしかたとはたぶん重ならない。あのころは、イメージすらできていなかった暮らしの中にいる。

そう、“社会人1年目”だった自分と、いまの自分がズレた階層にいるような気がして、どうもうまく重ならないのだ。

書けなかった根源は、どうやらここにあるらしい。

* * *

10代の終わりから20代にかけて、大学生だったわたしはいわゆる「仕事ができるひと」にあこがれていた。いや、当時はそんな自覚まったくなかったけれど、いま冷静にふりかえると、そうだったと思う。

サークルの幹部になったり、企画の代表になったりして、“社会人”のようにいろいろと働いていた。それはいま見れば“社会人のまねごと”みたいなことにすぎないのだけれど、当時はやっぱりそんな自覚まったくなくて、「大学生なのにすごいね」なんて言われるたび、ちょっと得意げな気分になっていたんだと思う。よく、覚えていないけど。

大学4年の4月、あるベンチャーに内定をもらって就活をいったん終了した。でもその秋、内定先の状況が変わって、内定者たちはほぼ9割が再就活することになった。もともと100%しっくりくる進路ではなかったから、まあそれもチャンスかなと、新しく興味のある中小企業に直接連絡をとり、もぐりこんだ。新卒採用の公募はしていない、10人にも満たない小さな会社で、もちろん同期はいなかった。

上司は仕事に熱意のあるひとだったけれど、当時それ以外の社員は、仕事を楽しいと思うようなタイプのひとではなかった。よくも悪くも、わたしはその業界への熱意をもって入ってしまったので、ため息をつきながら仕事を処理するような先輩たちの横で、なかなかの孤独感をつのらせていた。同じような熱量で話せるひとも、タメ語で話せるひともいない。まだビジネス社会のことがよくわからない“社会人1年目”の自分には結構、しんどかった。

当時は東京の片隅でひとり暮らし。夜、最寄り駅についてから部屋へ帰るまで、ボロボロ泣きながら夜道を歩いた。朝は、通勤電車でGREENの“道”をイヤホンで聴きながら、大丈夫、大丈夫と自分を鼓舞して出勤した。

ちなみに、仕事の内容自体がイヤだったわけではない。少人数の会社だけに、新人とは思えないくらいの裁量があり、やりがいは大きく、おもしろさもあった。それにクライアントさんの中にはとても共振する方がいて、その方との仕事はとても楽しかった。

ただただ、自分が向かいたい方向に、自分がいる場所からほんとうに向かえるのか、不安で、「とりあえず3年は」なんて考えていたものの、毎日耐えている時間がほんとうに必要なのか疑問で、ほんとうはもしかしたら別の道があるんじゃないかと、ぐるぐる考えていた。

* * *

その後のことをすべて書くと長くなってしまうので割愛する。

……紆余曲折を経て、いまのわたしは、当時とはまったく異なる土地に住み、当時は出会ってすらいなかった夫と暮らし、もちろん存在していなかった娘と一緒に暮らしている。

そして頭のなかをしめる「仕事」の割合は、20代の自分には考えられないほど、大幅に減った。

言うなれば、”社会人1年目”は、脳内のほぼ9割が仕事だった。その後会社を辞めて海外へ行ったりしていた時期もあるから、思考の割合はいろいろと変動しているはずなのだけれど、それでも基本的にはきっと「仕事をがんばっている自分」が好きで、組織に属したりフリーランスになったりと働き方を変えたりはしながらも、「働いている自分」自体は信じて疑わなかったのかもしれないと、いまなら思う。

それが、妊娠と同時に絶対安静を指示されたのを機に、すべてががらがらと音を立てて崩れた。自分が自分だと思っていたものが、全部なくなった感覚を味わった。

いまはそれから数年が経ち、状況はだいぶ落ち着いている。ようやく1年ほど前から子も保育園へ行きはじめ、わたしも少しずつ“仕事”を再開しはじめ、“社会人”としての自分も取り戻しつつある……。でも。

“仕事ってなんだろ。働くってなんだろ。社会人って、なんだろ”。

いまは常に、頭の片隅でそう思っている自分がいる。だからいちいち、つっかかってしまう。

Web上では、「主婦も立派な職業です!」とか「育児だって立派な仕事だよね」とか、そんなつぶやきをいくらでも見つけることができる。自分もきっとそういうつぶやきをしていることはあるだろう。だからうんうん、そうだよねえとは思いつつ、でもそんなことばにもまた、スッキリとはしない。

そういうツイートや意見が注目を集めるという事実こそ、それらがまだ「特別な意見」「新しい意見」だと思われているということで、つまりはデフォルトとして「そうじゃないよ」と思われている証拠じゃないかと、心のどこかで、ひねくれもののちっぽけなわたしがじっと見ている。

育児だって立派な仕事だとか、主婦だって職業だとか、そういう「ことば」がほしいんじゃないんだ。んなことは言われなくたってわかってるんだい。じゃあなんで、ほとんどの人がこの「#社会人1年目の私へ」タグで、会社に入った1年目の話を連想するんだ。って他ならぬわたし自身がそうじゃないか。ちきしょう。

結局自分が一番そこを気にしていて、自分が一番そこにとらわれている。

もやもやのループは終わらない。

* * *

ちょっと前の就活シーズン、仲良くさせてもらっている大好きなバーで、そのバーのマスター(同世代)が就活生のエントリーシート添削をしているところに遭遇した。

カウンター越しに、相手に問いかけながら、一方的でもなく的確なアドバイスを次々と繰り返すマスターの話を聞きながら、単純にすごいなあと思う。そうしてその一方で、ああずいぶん、わたしは遠くの世界に来ちゃったな、なんて思っていた。

20代後半、ネカフェに泊まって朝まで仕事することも常だったような、仕事に大半を捧げていたころの自分なら、ちょっとは自信を持ってアドバイスもできたのかもしれないな、なんて酔った頭でぼんやり思う。

……違う世界だ。

いま、自分が片足をずぶりと突っ込んでいるのは、あの頃とは違う世界。あの頃は見えていなかった世界。自分には縁がないと、思い込んでいた世界。

あのころの、エントリーシートを書き連ねていたころの自分に、いまの自分が会えるとしたら。わたしはいったい、なんて声をかけるんだろう。

* * *

そういや話は飛ぶけれど、小学校低学年のころ、「せいかつ」という授業の科目があった。

高学年になるといつのまにかそれは「社会」という科目になり、高校になると、現代を扱う社会科科目は「政治・経済」という名前になった。

延長線上にあるものだとわかっているのに、でも感覚としてはどんどん遠ざかってゆく。わたしたちの「生活」から。

ああ、“社会人”ってなんだろう。いったいいつから「社会」は、“経済的に報酬をもらいながら働くこと”だけを指すことばになるんだろう……?

わかっている、これはいわゆる面倒くさい奴だ。

「そんなのただの『ことば』じゃん、何つっかかってるのさ。あなたが言ってることって、『成人』っていうことばにつっかかって、『じゃあハタチ以下は人じゃないとでも言うのか』って言ってるようなものよ。それに言葉なんて時代とともにどんどん変わるし、これからは社会人の指すところだって変わってくかもしれないよ」

もうひとりの自分が横に立ち、そんな呆れ顔でこちらを見ている。

「いや、うん、そうなんだけど。でもさあ……」

と、横にいる呆れ顔の自分を感じながらも、こちらの自分が煮え切らない表情で言う。

「いわゆる経済的な価値を生む事業活動とは直接関係ないようなところにもさ、たくさん『せいかつ』はあるじゃない? 何も自分みたいな育児中の親だけじゃなくてさ、ご年配の方とか、体調を崩して経済活動をできない方とか、そういうみんなで構成するのが『せいかつ』とか『社会』じゃん……。って思うと、たかが『ことば』といえど、その『ことば』の今のイメージがあることで、もやもやとか生きづらさを抱えてるひとって、自分だけじゃないような気がするんだよなあ……。なんだかなあ、ってさ」

“社会人”というテーマに思いを馳せるとき、自分のめんどうくささに自分で呆れながらも、どうしてもそんな思考に陥ってしまうくらいには、わたしは社会との関係をこじらせているんだと思う。

* * *

いまのわたしに、幸せかと問われれば、わたしは幸せだと答えるだろう。

優しい夫がいて、かわいい娘がいて、そうして徐々にほそぼそとでも、フリーランスでぽちぽちとお仕事をいただいている。なんと幸せなことだろう。ありがたい。ほんとうに。

ただ、きっとそれは、“社会人1年目”のわたしが考えていた幸せの形ではなかった。あのころのわたしが描いていた道の、延長線上にあるイメージとはちょっと違った。あのころのわたしには見えていなかった、知らなかった幸せの形だった。

もし“社会人1年目”のわたしに、いまのわたしが声をかけるなら、何を言うだろう。

いや、べつに、かける言葉ないかなあ……。かけなくても、なるようになるし、まあ大丈夫だと思う。どうせ思い描いたとおりになんてならないし。

ああ、そうか。だからあえていうなら「大丈夫だよ」かな。

そのままで、大丈夫って。

あのころの自分は、不安でいっぱいだった。自分がつけたいスキルが果たしてこの会社でつくのか、将来思うような仕事につけるのか、貴重な“社会人1年目”を今のまま過ごしていいのか、最初からやりたいことをやる道もあったんじゃないか……とにかく今の自分や、近い将来の自分について、たくさんのもやもやと不安を抱えていた。

だからもしあのころの自分に会えるなら、まあ大丈夫よ、ってのは言ってあげたい。

そのまま、自分の意思と向き合って考え続けることをやめなければ、大丈夫。「大丈夫」の意味は、いまのあなたが想像する意味とはちょっと違うかもしれないけど、でも大丈夫。

目の前のことを一生懸命やって、自分の声を押し殺さないで、動きたいと思ったときに動くことをやめなければ、それだけで大丈夫。

あ、それからもうひとつだけ。

幸せの概念はひとそれぞれだ、って今のあなたはすでに思っていると思うけど、でも、今のあなたが思っているよりも、さらにもっと、幸せの概念はひとそれぞれだから。みんなひとりひとり、違った事情を持っている。あなたの幸せの定規もまた、あなたの定規でしかないし、それだって変わってゆくかもしれないし。

まあ……だから……、いろいろ言ったけど、べつにそのままで、大丈夫。”社会”の概念だって、ひとそれぞれだと思うし。うん、大丈夫。大丈夫だよ。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。