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むすめ2歳の入院日記(7)術後4日目

9/1(日)

夜中目が覚めると、PICUで「まま!ままー!」と泣き叫んでいた娘の姿がどうしても脳裏に浮かんで心が苦しくなる。あと数時間、あと数時間と自分に言い聞かせて朝を迎える。

朝起きて、もう今日から付き添える気満々で、宿泊準備などを完璧に整える。移動できない可能性もまだ残されているので、気持ちの置きどころが難しいが、もう付き添いたい、付き添いたいんだよ。

朝9:30、PICUに確認のTEL。

「一応(緊急など何か入らないかぎりは)14時に一般病棟の方へあがれることになってますね。いつもどおり、まずは13時の面会時間にまずPICUに来ていただければと思うんですが……ただ娘ちゃん、もうけっこう、お母さんお母さん、と言っている感じなので、もしよかったら12時ごろきてもらって、お昼ご飯もお母さんからあげていただけたらとも思うんですが。イレギュラーにはなるんですけど」

まずは予定通り今日、病棟にあがれることが何よりもうれしい。ただ、母がいないときに看護師さんに向けても「まま!まま!」と繰り返している娘の姿を想像して胸がきゅううう、となる。でも、そのようすを見た看護師さんが、マニュアルどおりではない、お昼ご飯にあわせた早めの面会を提案してくれるという機微がとてもうれしくてありがたい。もうなんだか数秒の間にいろいろな感情が入り混じって、胸がいっぱいになる。

「はい、12時に伺います!ありがとうございます」

そう言って電話を切り、夫に報告。娘の今の気持ちを思うと胸がきゅうきゅうとなるが、あと数時間で、もう今日からは家族のだれかが24時間ずっといっしょにいられるようになる。よかった。ほんとうによかった。

気持ちを引きずりながらも、出発するまでの数時間、夫婦それぞれ、自宅でしずかに仕事。付き添いデイズがはじまれば体力や時間はやっぱりそちらにさくことになるので、貴重な時間はぎりぎりまで集中。

スーパーに買い出しに立ち寄り、昼ごはんをつまみながら病院へ。

12時にPICU内へ。娘はわたしたちに気づいたが、さほど大きくは反応せず。来ても自分を残して帰ってゆくという日々で、もう期待すらなくなってしまったのかもしれない。近くへ行くとわたしたちの荷物を見て「なに、もってきたの?」とだけことばを発したが、そのあとは昨日に引き続き、全体的にとても静かで、目に力がなく、時折抜け殻のようにぼうっとしていた。

ちょうど昼食が運ばれてきたので「ごはん、食べる?」と聞くと「うん」とかすかに言う。よし、食欲はありそうだと思って食べさせるが、勢いがあったのは最初だけで、結局半分ほどで食べなくなった。ふだんの食欲ぶりが頭の中にあるだけに、やはりまだまだ体も心もきついのだなと改めて思う。

PICU期間にすっかり痩せてしまったので、ちょっとでも食べてほしいなと思い、あの手この手で食べさせようとしてみるが、途中から完全に口を開けてくれなくなり、断念。焦ってもだめだよね。しかたがない。

「娘ちゃん、もう少ししたらね、このお部屋を出て、娘ちゃんが前にいた、上の階のお部屋に行くんだよ。そしたら今日からは、パパやママやじいじやばあばが、だれかは必ず一緒にお泊まりするからね。今日はママが、娘ちゃんと一緒にお泊まりするよ。今日はバイバイしないからね。ずっと一緒だよ」

何度かそんなふうに目を見て話しかけるのだが、あいかわらず娘の目はうつろで、ぼうっとして表情に力がない。心ここにあらず、というようすで、もうすっかり落ち込んで、気持ちを閉ざしてしまっているような印象だ。これまで何度もあんなに訴えたのに、自分ひとり痛い思いや怖い思いをする場所に残して帰っていった親の言うことなんて、もはや信じられないのかもしれない。無理もない……。

でも今日からは、ほんとうに一緒にいられるから。またゼロから、ここからだ。もう今はすっかり元気をなくして呆然としている娘の心を、また少しずつ、少しずつ、時間をかけて解かして、信頼を積み重ねてゆくしかないのだろう。

「今日はもうバイバイしないよ。ずっと一緒だからね」と言い聞かせて安心させていたけれど、昼食や絵本の読み聞かせの後、いよいよ移動する時刻の間際になって、移動の準備があるからということで、PICUの外で待機するように言われてしまう。

ほんの15分くらいの間だけれど、結局また、娘を残して部屋を出るという形になってしまった。またひとつ、信頼を失う。「ちょっとだけだよ!お部屋の外で待ってるから。あ、ママ、トイレ行くだけ!ちょっとトイレ言ってくるね」。どういえば”少しの間だけ”だと伝わるのかといろいろ試行錯誤して伝えてみるが、何度も裏切られてきた娘の耳には届かない。

結局またひとり取り残されるという事実に、「まま!ままー!」と泣き叫ぶ。その激しい訴えが、”ほら!やっぱり! やっぱりひとり残して行っちゃうんじゃないか! 嘘つき! 嘘つき!! と変換されて聞こえてくる。

PICUの扉の前で待機しながら、ああ、結局また裏切るかたちになっちゃったな、娘に悪いことをしたなという気持ちでいっぱいになる。もろもろの事情はあるのだとは思うけれど、娘の目の届くところで待っているわけにはいかないのだろうか? 見せないということは、また今、苦しんだり痛かったりするような処置をしているということだろうか。たとえそうだとしても、衛生面や安全面に問題がない限りは、希望制で、そばで待ってもOKにしてもらえたら、ありがたいのだけどなあ。

しばらく待っていると、移動用のベッドに乗せられた娘が看護師さんたちによってゴロゴロゴロ……と運ばれてきた。その中で横たわった娘は、おとなしくしていた。廊下で待っていたわたしたちと目が合う。気づいたが、リアクションは薄め。心が閉じている。「いっしょに行くよー」と声をかけ、移動。

一般病棟に移動し、ベッドをうつり、看護師さんが部屋を後にしてしばらくすると、ようやく「今日からはバイバイしないよ、いっしょだよ」の言葉を信じてくれたのか、徐々にことばがまた出はじめて、ほんの少しだけ、笑顔も見られるようになった。

せっせと荷ほどきをして部屋の体制を整える。またいまから数週間は、ここがわたしたちの生活拠点になる。荷ほどき中は夫に娘の相手をしてもらい、その後、わたしは付き添いに残って夫は帰宅(出社)。

土曜日に借りた絵本はすでに一度は読んでしまったので、デイルームで数冊だけでも初見の絵本を借りてこようと思う。娘はいろんな管につながれていてさっと出歩けないので「娘ちゃん、お母さんさ、ちょっと絵本借りてこようと思うんだけど。借りてきてもいい?」と聞いてみる。すると素直に「うん」と言う。

ベッドの安全柵を一番上まであげて、わたしがひとりで病室を出て、絵本を借り、病室へ戻る。ドアをあけると娘はおとなしく、じっと横たわって待っていた。これはもちろん、入院前の日常からすればありえないような光景なわけで。この数日、PICUで親と離れるのが常になっていた環境で、もはやこれくらいのことには動じない状態に、なってしまったのかもしれない。

だってこれまでは、親がいないうえに、たくさんの器具とアラームと大人たちに囲まれ、痛かったり苦しかったりする思いを繰り返してきたわけなのだから。これから何か痛いことをされるかもしれない、怖い、不安だという思いに比べたら、だれもいない静寂に包まれた病室にしばらくの間ひとりにされるくらい、むしろ今の彼女にとっては穏やかというか安らぎすら感じることなのかもしれない。今までとは考えられないくらいに泣きもぐずりもせず、ひたすら静かにじっとわたしの帰りを待っていた娘の顔を見て、これまでのつらさを思い、複雑な気持ちになる。

日中はまだしゃべってくれることも多かったが、夕方以降はあまり元気はなく、やはり心は閉ざしぎみ。ごはんもスープはごくごく飲んでくれるものの、鼻から胃に通されている管があって飲み込みづらいのか、やっぱり食べてもよくて半分ほど。全快はほど遠いけれど、まあ焦らずに、ゆっくりと調子を取り戻してゆくしかなさそうだ。

苦い飲み薬と格闘。結局口から飲めず、看護師さんに頼んで鼻からの注入。これがちゃんと口から飲めるようになると、もう鼻から胃の管ははずせるというので、口から飲んでほしいのだけれど。

絵本を読んでいたらうとうとしはじめて、20時前に寝てしまう。

ただ1時間ほどして、寝る前の薬の注入で結局完全に起きてしまう。そこからまた添い寝をして子守唄をうたうも、なかなか寝ず。ストレスで不眠なのだろうか、神経がたっている感じで、おとなしくじっとはしているのだが、暗闇の中でぼんやりと、でもあちらこちらを目だけ動かしてきょろきょろ。落ち着かなくて不安定な気持ちが伝わってくる。

わたしも不自然な姿勢で腰が痛くなってきたので、いったん付き添い用のベッドの方に避難。ひとりで静かにしておいたら寝るかな……とも思ったが、やっぱり静かに起きている気配。わたしも仮眠しながら、時々看護師さんの巡回が来るのを感じて、数時間を過ごす。

時折、暗闇で「まま!」「まま、となり」などと言う娘の声。「ままいるよー、ここにいるよー」と声をかけながら、でもわたしも少し睡眠をとりたくて、そのまま付き添いベッドでうとうと。

深夜2時ごろ、娘の「うんち、した」の声に起きる。うんちしたの、どれどれ、とオムツを片手に隣のベッドへ行ってみる。と、そんなことより、娘がうつ伏せに寝ていた顔の部分のシーツが、真っ赤に血で染まっているではないか。一瞬頭がパニックになりかける。が、娘の顔を見ると鼻のところにも乾いた血がべっとりついているから、おそらく鼻血だろう。それにしても。

娘の表情やようすも特に異変はないので、ひとまずオムツを変える。実際は便はなく尿だけだった。おしりが気持ち悪い感覚を伝えたかったのかな。ナースコールをすると看護師さんが来てくれ、血溜まりを見せると「うわあ」と。うつぶせだから巡回のときに気づけなかった……と。鼻からの出血はもう止まっているようなので、とりあえず顔のまわりの乾いた血を拭き取ってもらう。

話の流れは忘れたが、尿の話をしていて、突然看護師さんが「お茶のめるかな……。たしか最低500mlって指示が出てたので」と言う。来た、初耳情報。思わず「えっ。今日の水分は300〜900mlの範囲でと言われていたんですが」と言うと「そうですよね〜。23時くらいに指示が出てたので」と。おうおう。記録表を確認すると、まだ400ml強くらいしか飲んでいない。

あわてて暗がりの中、娘に「お茶、飲む?」と聞いてみると「うん」と言うので、計りで計量しつつ、お茶を飲ませる。3杯ほどよく飲んだ。よし、合計では600mlほどになった。ちょうどよいライン。ほっ。

一段落して、また眠りに戻る。「(さっきから巡回でもようす見ていたけど)娘ちゃん、眠れてないよねえ。手術後はみんなそうだけどね、どうしよっか、お薬入れることもできるけど……」と看護師さん。相談の結果、とりあえずもう一度添い寝で様子を見てみることにする。

管がからまらないように気をつけながら、娘にぴとりと添い寝。歌を歌いながら、ああ、やっぱりなかなか寝ないなあ……と思っているうちに、いつのまにかわたしの方が寝た。目が覚めたら6時過ぎ。娘も寝ている。数時間でも、娘も寝られていたといいなあ。

(つづく)

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。