2021.4.11. 量子力学の幕開け、朝永振一郎のおしゃべり
ノーベル賞を取った朝永振一郎(ともなが しんいちろう)は、20世紀の前半に量子力学と出会い、若き日々をこの未知の分野の研究に捧げていました。
後年まとめた優しいエッセイから朝永の思い出を引用します。
(量子力学が日本に入ってきた1925年頃)大学にはもちろんその講座などはなくて、それを専門に研究しておられる教授もゼロに等しかった。
それで若い物理学者は、独学のための勉強会を開きました。その頃、こんなことを考えていました。
ハイゼンベルクたちの量子化では電磁場と電子とに対等な地位を与えている。
しかしディラックは、物質である電子と光である光子とを、おなじ扱いにするのにはあまり賛同できないというんです。
この友達とおしゃべりするような書きぶりが、当時の快活さと素直さを伝えてくれる気がします。
この後、朝永はドイツに渡ります。もちろん量子力学を研究するためですが…
十一月二十日
ひるから、学生たち、ヴェルナー、ウィンターとピンポンして遊ぶ。天気はうすぐらくゆううつである。
卓球をしています。
十二月九日
どうも日記をかくのがおっくうになってきた。書けばとかく泣き言になるからだ。学問とか道徳とかいう崇高なものに反発心がおこっていけない。
「ゆううつ」な気分が抜けず、もやもやと日々を送ったようです。
(知識欲は幸福を感じさせもするが)それははたして他の欲望より、価値高いものであろうか。知識欲の満足というだけが、科学の根拠とすれば、……
また、ときには聖書を読み、神のことを考えます。
五月十四日
神を見るのに物理のかた手間などでやっていてはだめだと思える。そこで今度は、全力を神にささげて、という気がして、また物理などやる気がしなくなる。
ヨーロッパへ渡り、日本に先駆者のいない量子力学を学ぶことが、どれほど朝永を孤独にし、気弱にもしたのか、考えさせられる日記です。
後世に名を残す朝永振一郎でさえ、心が揺れて不安だった一面がみえます。
『量子力学と私』朝永振一郎 岩波文庫
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