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士郎正宗らしさとは何か?を33年考え続けて、やっとわかった話。

士郎正宗との出会いは純粋に書店で、ApleSeedだったと思う。BlackMagicなども売られていて、そこから士郎正宗の世界にどっぷりはまっていった。1985年ごろの話だ。高校受験の時期で、なぜか受験のお守りにアップルシードの単行本をカバンに忍ばせていった記憶がある。今思い出してもなんでやねん。

士郎正宗の凄さは語り尽くされているが、多く語られているのは「それまでになかったリアリティ」に集約されるだろう。インターネット普及以前に電脳世界を描いたこと。特殊部隊を軸とした銃器・戦術の世界。政治や文化も含めた未来世界を創出し、その世界のプロフェッショナルたちの共通言語であろう言い回しで交わされる、会話の質感。

長年の士郎正宗ファンとして分類するなら、私自身はある種の「士郎正宗原理主義者」といえるだろう。原作漫画を愛し、映像化作品を見るたび「これは士郎正宗じゃない」「そうじゃないんだ」と思い続けてきた面倒くさい客だ。ただ問題は、どこに問題があるのかをずっと言語化できなかったことだ。

士郎正宗が世界に広がっていったのは、押井守の映画「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995年)」だろう。士郎正宗とは別に押井守ファンであった自分は「押井守作品」として楽しんだが、けれど「これは士郎正宗ではない」という思いがずっと拭えなかった。

士郎正宗らしさとは何か、何故それが映像化作品では表現されないのか、という事をずっと考えてきたが、答えは出なかった。

キッカケのひとつになったのは、木城ゆきとの漫画「銃夢」だ。

世界観からキャラクター、タッチや台詞回しまで、明らかに士郎正宗の影響を強く受けたその作風で、けれど士郎正宗が意図的に避けてきた「激しい感情表現」を組み合わせたのが士郎正宗との大きなスタイルの違いだ。逆に言えば、オリジナルの士郎正宗らしさは「お涙頂戴」的な共感を排したところにあるのではないか?という仮説を持ったが、その時点ではまだあまりピンと来なかった。以前、何かの媒体で士郎正宗自身が「恨みつらみなど、日本では主に時代劇が負ってきた部分について、そこはあえて描かない」的なことを述べていた記憶があるのだが、発見できなかった(わかる方がいたら教えてほしい)。

もうひとつのヒントは、「攻殻機動隊 コミックトリビュート」に収蔵されている、「トニーたけざきの攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」だ。

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トリビュート作品集だが、トニーたけざき氏のそれは、本人と見まごう完コピの作風による完全なギャクマンガである。いわば田中圭一的スタイルだ。今見直したが本当にすごい。本人なんじゃないか。

ともあれこれが決定打となった。

士郎正宗とは、ギャグ漫画である

電脳が、とか、チームは一匹の生物のようにとか、個体が消費する労力の肥大化で自然との協調も忘れられとか、そういうことではなく、ギャグ漫画なのだ。

思い出してほしい。ほとんどのシークエンスの最後のコマは、横長のギャグコマだ。

タマ(命)の取り合いのナイフの接近戦でも、街の構造物をチーズケーキを掬うように削り取る重火器同士の銃撃戦でも、常にギャグ描写を挟み込んでいる。

「あッ」とか「ふッッ」とかの書き文字のコマを思い出してほしいが、その前後に必ずと言っていいほどギャグコマがある。

全編ギャグタッチのトニーたけざき氏のトリビュート漫画が、過去に見たどんな士郎正宗チルドレンの中でも最高に士郎正宗らしかった。木城ゆきと氏の「銃夢」にヒントを感じたのも、ギャグのタッチに士郎正宗の遺伝子を感じたからだと思う。

そして、押井守「以降」の映像作品(…もちろん全てを見たわけではないが…)において、あのリズミカルで軽快なギャグを表現できている作品には出会えなかった。スカーレット・ヨハンソンのハリウッド版も含めて。(不勉強ゆえ、もしあったら是非教えてほしい)

なんとまぁ、そんな簡単なことに気付くのに、33年もかかってしまった。士郎正宗はギャグ漫画。いやもちろんそれだけではないが、「執拗に巧妙にギャグ部分が取り除かれたまま発展し続けてきた」という、不思議な作品だ。いつの日か、あのポップでチャーミングで軽快なギャグシーンも正しく再現した映像作品に出会えることを夢見る限りである。



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