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自分が書いた一行に導かれながら次の言葉を書く。自分の発した声に導かれながら読む。 <PSJ2018ファイナリスト・向坂くじら>


2018年でポエトリースラムジャパン(PSJ)は4回目の出場となった向坂くじらさん。ポエトリーリーディング自体は2015年の夏から始め、ギタリストの熊谷勇哉さんとともに2016年の春からAnti-Trenchというユニットでも活躍しています。そんな向坂くじらさんにPSJ2018についてインタビューしてみました!

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スラムで勝つことが今の自分が一番欲しいことではない

―去年の11月半ばでしたが、PSJお疲れ様でした! あれからどうですか?

向坂:なんかね、ちょっとね、戦う関心を失った。PSJに関しての。

―それは何故ですか?

向坂:なんだろう…満足したのかな?


―満足したって、くじらさんは何回PSJに参加したことあるんですか?

向坂:2015年の12月からで…4回目かな


―PSJ2018と今までのPSJの感じが違ったから満足したってことですか?

向坂:個人的な体験としては、今までは負けて超悔しかったんですけど、今回はそこまでではなかったんだよね。もういっかな?って思った。


―やり切ったということですか?

向坂:うーん…やり切ったというか、別にここじゃなくてもいいかなって思った。しかもこれは負けたからとかじゃなくて、私大阪大会、会場賞だったんだよね。大阪大会の準決勝で負けて会場賞もらったんだけど、そのときからなんか別にここじゃないなって思っていた。
そう、決勝で負けて、もうやり切ったかなという感じではなくて、なんとなく決勝が始まる前から私多分負けるんだなって思っていて、それはそれでいいかなって気持ちがあったんだよね。
まぁ悔しいは悔しいんだけど、勝てるに越したことはないんだけど、なんかちょっと変わった感じがあったのかね。

私ね、大阪に師匠がいるのよ。上田假奈代さんという詩人さんがいて、その人は大阪の西成で「ココルーム」というゲストハウスを運営している方で、釜ヶ崎芸術大学という市民大学を開いていて、路上生活していたり、日雇いで稼いでいたりするおっちゃんたちに芸術を教えているっていう方なんだよ。私は何かしら理由をつけて、假奈代さんに会いに行っているんだけど、今回のPSJも大阪で出場して、会いに行ったんだよね。その時ちょうど無職で、仕事どうしたらいいですかね、という話をしたり、詩人として今後どうしたらいいですかね、という話をしたりして…でもその時、すごくココルームが忙しいときで假奈代さんも超忙しそうだったんで、手伝っていたんですよ。
それでね、魚をきれいに食べる人っているでしょう。私も別に残しはしないけど細かな骨とかは出してしまう。祖父が戦争を体験している世代だから、だからつっても本人はだからっていうからなんだけど、食べ残すなんてもってのほかだって人で、超綺麗に食べるのよ、魚を。それを見ていると反省の気持ちになるのよ。私は自分では自分の魚をきれいに無駄なく食べているつもりだったけど、あっそんなにきれいに食べられるんだな。まだそんな無駄がたくさんあったなって、全然まだ余裕があったなみたいな反省の気持ちになるの。假奈代さんがパキパキ働いている姿を見ると、同じような気持ちになるの。その時凄く、自分は自分の人生とか生命をすごくきれいに食べられていないような気がしたんだよね。


それでPSJの大阪大会に出て、一回負けて、その時は泣いたんだ。「あーそっか、ここで負けるんだな」って思ったらなんか会場賞で上がっちゃって…打ち上げにもいかずに走って、假奈代さんのところに行って、なんか全国行けることになりましたって報告したら、「良かったやん、がんばってー」ってだけ言ってくれたのよ。
そしたら、なんかその辺からね、なんか違うなって思ったんだよね。例えば自分が表現をして、すごく有名になって、日本代表になって、パリに行ってとか…パリは行きたいよ? でも単にパリに行きたいだけな気もするし、有名になりたいような気もするけど、なんかそれはまだちょっと違うなって思ったんだよね。もちろん假奈代さんのことはずっと見ていたんだけど、その時ちょうど、自分が自分はどう働いていくのかなとか、どういう風に生活を立てていくんだろうとか、もちろん活動はずっと続けていきたいなとは思っているんだけど、それにお金を稼ぐとか生活をするってことが肉薄してきた時期だったんだよね、多分。そしたら、なんか別にスラムで勝つことが今の自分が一番欲しいことではないなって思った。

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その時の一瞬一瞬に導かれながら声を出して作り上げていく

―今年もPSJには出ますか?

向坂:私はもう出ない。足を洗うことにしたの(笑)私は、もうね、終わり。

―やっぱり前回の大会の一連が影響しているんですか?

向坂:うん、それはたぶんそうだね。あとなんかね、(PSJ2018ファイナリストの)浅葉爽香がずっと「くじらさん倒したいぞ」って言っていて、ちゃんと浅葉爽香は優勝して上っていて、私は全国の初戦で浅葉爽香に負けているのね。そこでなんかちょっと満足したんだよね。
満足っていうか、別に私より浅葉爽香のほうが優れているなって思ったわけではなくて…浅葉爽香ってスラムの時、すごく勝ちたそうなステージをするんだよね。だから、まぁいいよって思ったんだよね。それは君が勝ったほうがいいよって思ったんだよね。
あと私、弟子ができてさ。毒林檎っていうんだけど、なんか奴も頑張っているし、なんか私、今まで自分でスラムも勝ってパリに行って、Anti-Trenchやって、他にもユニット組んでいて、それで假奈代さんがやっているみたいな詩で社会に何ができるのかってことをずっとしたいって思っていて、それをなにもかも自分でやろうとしていたんだけど、まぁ別にいっかと思ったんだよね。
弟子も頑張っているし、スラムでは君たちが勝ったらいいよ。私はもうここはいいかな。私にできないことを後はよろしくって思ったんだよね。


―そうなんですね。そもそもPSJになんで参加しようと思ったんですか?

向坂:ほんと、たまたま。詩の朗読がやりたいなって思っていて、Twitterでいろいろ調べていたら、「あ、詩の朗読ってポエトリーリーディングっていうんだ」って知ったころに「ポエトリーリーディングの全国大会やります」という知らせがあって、誰も知り合いがいたわけではなかったんだけど応募してみたんだよね。その時、東京大会がまだ一個しかない頃で、参加者も抽選だったんだけど、その抽選もたまたま通って、ふらっと行ったんだ。
その時のたまたまの巡りあわせとしか言いようがない感じで出会ったな。


―それはAnti-Trenchとして活動する前のことですか?

向坂:Anti-Trenchとしてライブすることが決まっていて、その初ライブの前だね。

―Anti-Trenchとしてポエトリーリーディングの活動をしたきっかけって何ですか?

向坂:大学で別の短歌のサークルに入っていて、そのサークルが文化祭で別の大学の短歌サークルと詩サークルで合同の朗読会をやろうってなったんですけど、それが最初だったかな。
で、それはなんでやろうってなったかといえば、福島泰樹さんっていう絶叫短歌朗読の人がいて、その人がその大学の短歌のゼミの講師だったんだよね。
だからその短歌会に割と強く影響があって、朗読やろうってなったのが最初。最初それが文化祭だったんだけど、ライブハウス借りてもやろうってなって、その時にソロ枠をもらったんですよ。それでソロでやってもつまらないからなって思って誘ったのが熊谷だったの。そこから熊谷と活動していったんだよね。


―くじらさんってどんな風にポエトリーリーディングを作り上げていくんですか?

向坂:自分がやりたいことを考えるな。やりたいこと、出したい声、動き、音のイメージを決めてからそのイメージと一段階ずれたものを書くようにする。抽象化するっっていうか…あまり直接的に書くとダサいなとか思っちゃうんだよね。だからポエムを書く際、例えば自分が目を見る時ってどういう時だろうかって一段階クッションを置いて書いて、自分が書いた一行に導かれながら次の言葉を書くね。読んでいるときも自分の発した声に導かれながら読んだり、お客さんの目や、熊谷のギターの音を感じたりしながら、その時の一瞬一瞬に導かれながら声を出して作り上げていくかな。

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自分がやっていることは変わらないんだけど周りに人が増えていって、ちょっとずつ変わっていった


―くじらさんにとってPSJってなんですか?

向坂:4回出たけど、そんなに分かれていない感じでずっと一つながりのものかな。
最初は勝ちたいとかそういうのなくて何が何だかわからなかったな。それで二回目にはレーベルに所属してて、(レーベル主宰の)生駒さんがいて…
そうそう、私毎回泣いているんだよ! 最初一人でトイレで泣いてて…次は生駒さんに励まされたときに泣いて…3回目は準優勝、集合写真で泣いて…
そしたら、自分がやっていることは変わらないんだけど周りに人が増えていって、周りにいる人がちょっとずつ変わっていったことに気づいたんだよね。
ポエトリーリーディングの同期でもり君って人がいたんだけど、彼はスラムが強くて、いつか超えたいなって思っていたんだよね。でも森君はどこかですっといなくなって、一緒に強かった馬野ミキさんや大島健夫さんがいなくなって超えたい人がいなくなったのかな。そしたら、逆に弟子が来たり、年下の子が増えたり、私を見て始めましたって人が増えたり人の移り変わりがやっぱりあって、もう自分の居場所じゃなくなるんだろうなって気がした。
さっきも言った通り、泣く場所がどんどん変わっていったんだけど、今回は自分に対して泣いていないんだよね。大阪では泣いたんですけど、全国では泣かなくて、全然泣く気分になれなくて…
でね、浅葉爽香がね、全国の決勝の最後の最後にすごく長いやつやったんだよ。でもPSJのルールだ3分を超えると減点されていくんだよ。でも全然やめない。さっき私に勝った人がだよ? だからってどんどん浅葉爽香の点数がなくなっていくのが本当にスラムをやっていて耐え難い時間だった。そこで私、ボロボロ泣いて、「あ、でも自分のことじゃなくなったんだな」って、勝ってほしかったっていう思い出があります。
だからそれで終わり、泣く場所がどんどん変わって、今回で終わりって思った。


―くじらさん自身が自分だけではなくて周りの人になっていったんですかね?

向坂:そうかも


―2019年はどうしていくんですか?

向坂:PSJには出ない。でもスラムには出るしスラムはやる。スラムが嫌になったわけではなくて、プレイヤーとしてはPSJに関わらないかな。
私がプレイヤーとして何をやりたいかっていうと、今度新しいイベントを立ち上げるんですよ。「4272(しになに)」というチームを組んで「詩で社会に対して何ができるか」みたいなことをいろいろなテーマとポエトリーリーディングのワークショップやオープンマイクで探っていくみたいなイベントをやるんです。それが今の自分の関心に合っているのかなって思う。今、自分が違和感なくやれることだね。今の自分にとって、PSJで一人で出てってのはやっぱり違和感があることなんだよね。Anti-Trenchも今は楽しいことやっているし、外に広がっていくことがしたい。


【プロフィール】
向坂くじら<さきさかくじら>

詩人 1994年名古屋生まれ 読んだり聞いたりおしえたり ポエトリーリーディング×エレキギターユニット「Anti-Trench」の朗読担当

                        【取材・原稿/戸門真奈美】

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