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殺陣・舞踊パフォーマンス集団“東京浅草剣舞会エッジ”代表 青木一弥さん

“刀で縁を繋ぐ“日本の文化、心を剣を通して伝えたい。日本伝統芸能ー志伝流ー殺陣講師、青木一弥さんにお話を伺いました。

青木一弥さんプロフィール
出身地 東京
活動地域 東京を中心に国内、アジア、欧州
経歴 ボクシング、舞台役者を経て、現在は、殺陣・舞踊パフォーマンス集団“東京浅草剣舞会エッジ”主宰・プロデューサーを務める。日本伝統芸能ー志伝流ー殺陣師・殺陣講師
座右の銘 今を熱く生きる。命に縁がある以上。

世界が求めている和心

記者 まず、はじめに、東京浅草剣舞会エッジについて教えてください。
青木一弥さん(以下、青木 称略)はい、浅草から世界へ、という、侍と忍者の演舞パフォーマンスチームです。初めの観客は、温泉街などでおじいちゃんおばあちゃんが1、2人というところから、仲間が集まり、3年を経て、今は海外遠征までするようになりました。最初は7人くらいで始まり、今は東京に100人、静岡に50人、栃木に50人のメンバーがいて、毎月支部で稽古会を開いています。エッジとは、本当は刃(やいば)の意味なのですが、海外での、縁、の意味とで、刀で縁を繋ぐという掛け合いで名付けたものです。メンバーがエッジを通して、自分たちの中に眠っているもの、可能性を見出し、その一人ひとりがそれを演舞で表現をしています。これからは、海外への視野ももっと広げて、日本の伝統というものを発信していこうと思っています。

記者 夢について聞かせてください。
青木 刀を通して出会い、みんなが、笑顔、前向きに、幸せになってもらうことです。より良い人生、刀を振っててよかったな、と思ってもらいたいですね。又、情熱で生きてほしいなと思います。この人と出会えて、あの場所に行って、エッジで活動してよかったな、と。
メンバーの夢をサポートできるようにしたいと思っていて、今年、来年中には会社にする予定です。去年はスイスに、今年の7月にはフランスに行くことが決まり、海外にもこれから出ていきたいと考えています。
人に思いを伝えるためにやってきているので、もっと仲間を多く作って、刀を通して笑顔を残して行きたいですね。ヨーロッパ、世界に支部を作りたいと考えています。

どれだけ人と真剣に向き合っているか

記者 日々意識を向けられてるのはどんなことですか?
青木 日本に古くから伝わる、日本人が残してきた生き様が和心にあると思っています。その中にも現代に至って、つながり、一対一の思いやりとかいろんなものがあります。思いやりは、真剣に向き合うということ。これが最後になることかもしれない、その想いをもっていることですね。
日本人がやらなくなっている日本の伝統芸能の舞踊、武道を、なぜ海外の人たちがあんなに一生懸命日本の伝統を学んでいるのか、それには理由があると思います。精神を学ぶというのはもちろん、強くなりたいのもそうですが、“和心”、海外の人は確実にそこを求めています
和心とは、全世界共通することで、それは、思いやりです。グローバル化、インターネットばかりやる時代の中で、例えばこうやって真剣に話を聞いたり、目の前にいる人に対してどれだけ真剣に会話をするか、というのは今後益々薄れていく可能性が高いと思います。
 学校でも、先生と生徒、どれだけ人と向き合っているかというのは今後ものすごく重要になってくると思います。日本人として、和心、日本の伝統文化、古きから繋がってきたものを継承してきたからこそ今に繋がっています。じゃどういうものを伝えていくのかといったら、人とのつながりです。つながりは思いやりです。僕はそう思っています。これを剣舞会エッジのメンバーに常に伝えています。その日が最後だと思ってその人と接して生きる。それこそ人生を生きる上での醍醐味かなと思います。そうやって生きていると非常に楽しいです。 

記者 今のご活動に至るきっかけを教えてください。
青木 時代劇を多くやる中で、時代劇は立ち回りがメインなんです。
30歳の時に出会った、ハリウッドの映画プロデューサーに、“君をある道場に連れて行きたい”と、連れて行かれたのが、日本の武道、居合の道場でした。当時は、道場や稽古場で刀を一人で振るのが何が楽しいんだろうと興味が沸かないし、行くのもいやでした。しかし、その人と仕事をするためにはそこに行かなくてはならないなと、そんな思いで行った場所に今の自分の師匠との出会いがありました。そこで、自分の師匠なのですが、そこで信じられないような技を目の前で見せられて。
その日に、“入門したい”と言ったんです。それが全ての始まりでした。
技術は確かに素晴らしかったのですが、心、というか、自分がどこまでいけるかはわからないが、その精神面を知りたくて入門したのがきっかけです。今は、その道場で師範代を務めています。今後東京で居合の道場を出す予定です。

色紙に書かれた “心”の一文字

青木 嫌なことや、耐えられないことなど、自分の中に弱い気持ちもたくさんあり、今7年になるのですが、5年目に初めて、”やめたい”と本気で言いに行ったことがありました。
そのときに師匠は、“わかったよ。落ち着いたら、また刀握りたくなったら、いつでもおいで。”と、ある色紙に漢字一字を書いてくれて僕にくれたんです。今も僕の部屋に飾ってあります。その一文字がなかったら、僕は今ここにいないと思います。毎日朝起きて寝る前、それを見ています。
その色紙の一文字は、”心”。
“青木くんにとって、この心というのがどんな意味を表すのか、ゆっくり家で考えて今後の人生を決めたらいいよ”、と。
その次の日です。“やっぱりやめないで伝えていきたい”、と再び心が決まったのは。その人と出会ったこと、その人に育ててもらったことに恩返しをしたい。自分が培ってきたものを伝えていきたい。そこで学んできたことや精神面、仲間の大切さ、心を僕が全部メンバーに伝えているんです。それ以上に伝えているかもしれません。

記者 そこから剣舞会を立ち上げるまでにはどんな背景があったのですか?
青木 きっかけは、3.11の東日本大震災です。当時舞台役者として一緒にやっていた仲間がいて、一緒に殺陣をやっていたのですが、あの日、あの一瞬で、その人が出来なくなってしまって。実家の方に帰って、これからはみんなを助けながら生活する、そういう人が結構いたんです。そのときに、去っていった仲間から木刀を預かっています。“お前はやめないでほしい。自分たちが今までやってきたことをお前が伝えていくべきだ”と。
そこから、だだっ広い稽古場で、毎日一人で刀を振る日々が始まりました。
ある日、親子連れのお母さんが来て、その男の子が僕の姿を見て、かっこいいからやってみたいと尋ねてきたんです。その子と毎週稽古するようになって。時にはその子のお姉ちゃんも来て、やっていたのは僕たち3人だけ。仲間が増えたらもっと楽しいし、かっこいい殺陣ができる、と、いろんな仲間に声をかけて、次第に7人となり、1年くらいしたときに剣舞会エッジを作り、そこからステージパフォーマンスに呼ばれるようになりました。

記者 出会い、日本の心、についてどんな思いをお持ちなのでしょうか?
青木 中学時代、当時の環境の影響で暴走族をしていたことがあったんです。母親は優しい人で、捕まったときに警察に迎えにきて、怒ることもなく、“みんなお腹空いてるでしょ。ご飯食べて帰りな。”と、お金を渡されて。その時の母親の横顔が忘れられず、すぐに足を洗いました。
又、近所に木彫りの職人さんがいて、そこのお父さんが戦争を経験した方だったんです。その方は絵がすごく上手で、原爆を落とされたときの絵も全部描かれていて、そういうことを全部話してくれました。おばあちゃんからも小さいころから戦争のことは聞いていました。おばあちゃんに、靖国神社の遊就館に行ってみなさい、と言われ、そこで始めて当時の日本ことを知りました。
学徒の写真を見て、生き方、というものを学ぶようになりました。様々な方の自伝、松下幸之助さんなど有名な人の本など、どのようにして生きていくか。たくさんの本を読み漁りました。出会いというものに疑問を持つようになったのはその頃からです。

刀は平和の象徴

記者 青木さんにとって刀とは何でしょう?
青木 刀は、僕という人間を映し出したものです。また、今現代の平和を表しているもの。抜いて切り合う時代ではなく、抜いて刀を通して向き合う。真剣にならないと怪我をする。目の前にいる人と向きあっているか。刀は平和の象徴ではないでしょうか。

私たちは今ここに生きている

記者 活動を通して青木さんが最も伝えたいこと、大事にしていることは何でしょうか?
青木 縁ですね。刀で縁を繋ぎましょう。僕たちの特徴は、まじめでもありながら、僕たちがめちゃめちゃ楽しんじゃうことにあります。そこでお客様と一緒に盛り上がりたい。例えばお祭りがあって、僕たちがステージでパフォーマンスを終えて、一体そこから何が生まれるんだろう?と。お客様が、笑顔になって笑って手を振ってくれたり拍手してくれたり、全ステージが終わって泣いて寄ってきてくれる方がけっこういらっしゃるのですが、あの人たちは、僕たちのどこをみて泣いているんだろうね?と話すんです。泣きながら、“見れてよかった。こんなの久しぶりに見た、明日からもがんばってね”と。
みんなでステージに上がる前には、もうこれが最後にステージになるかもしれない、思い残すことなく全力でやれ、と15人くらいがいっぺんに出ます。そのステージに全てをかけます。そのときに生まれるものというのが、どういうものなのか、何か心が動かされたり、そう思ってくれていればいいのですが。
テンポ、リズムはありますが、全部感情で動かしているので、ここの部分は形ではなく、全部出していけ、と。一演目終わると声もガラガラです。今生きてるから、全力でやらないともったいない。
お客様がそこにいて、僕たちは僕たちの活動を広めるというのはひとつだが、一緒に今生きているんだということ。それで今、目の前にいるお客様も“一緒に盛り上がって行きませんか?”と、それが僕たちからのメッセージです。

記者 青木さんの熱い思いが伝わりました。本日はありがとうございます!


青木一弥さんの詳細についてはこちら↓↓

東京浅草剣舞会エッジ
https://tokyoasakusakenbuk.wixsite.com/mysite
青木一弥さんfacebook
https://www.facebook.com/kazuya.aoki.90857


《左から三笠、御弟子の鏑木さん、青木さん、西尾、見並》

編集後記 侍好きな私たちでインタビューさせていただきました。まっすぐな意志を持って真剣に受け答えされる青木さんのお姿が印象的であるのと同時に、その親しみやすく愛嬌ある雰囲気が、人を惹きつける、そんな魅力に溢れるお方でした。周りに人が集まってくるのも頷けます。また、さすが間の取り方が大変お上手!最後には、刀も振らせていただき、大変貴重なお時間をいただきました。これからの益々のご活躍を応援しています!

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