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10年以上同棲していた彼女を追い出して1年が経ちました。

平成30年12月13日。
ちょうど1年前に【ご報告】と銘打って、以下の文章を公開した。

// 引用ここから

まことに私事ですが、私、広瀬犬山猫は平成30年12月13日をもちまして、自宅で同居関係にあった元交際相手の女性(仮名・Aさん)との同居を完全解消し、一人暮らしを取り戻したことをご報告いたします。 


しょうもないご報告ですみません。

一般人のおじさんのこのような報告は珍奇であり、誰のためにもならないことは自覚しておりますが、長らく続いた闇から解放され、前向きな人生の再スタートを切れたことは私個人にとっては非常に大きな出来事でしたので、どうかお話しさせて下さい。

同居人だったAさんとの付き合いは破綻していた時期を含めて10年以上と非常に長く、今回の決断に至るまでは心苦しいものがありましたが、お互いの幸福と自由のため、ようやく別々の道を歩める状態となりました。

私とAさんはおよそ7年ほど前、【お互い】の不徳や不行き届き(お察しください)により、いわゆる彼氏彼女の状態を解消しましたが、互いに経済的な余裕もなく、復縁の意思や可能性もあったため、破局後も同棲状態を続けておりました。しかし、それから関係が劇的に改善することはなく、互いの距離は時間をかけて離れていき、同居人としての関係さえも破綻してしまいました。

私としては、楽しい生活を共にしながら、Aさんを思いやり、貞淑に過ごし、ゆくゆくは復縁と結婚もしたいと考えてはいましたが、その気概が実を結ぶことはありませんでした。次第に一緒に外出することがなくなり、一緒にテレビを見ることもなく、食事も一緒にしなくなり、会話は連絡事項のみ、当然肉体関係も一切なしです。以前はAさんと一緒にやってきたたくさんのことがひとつずつなくなっていくことで、一緒にすること、話すこと、思い出が増えることがなくなり、逆に制限や不自由が増えていきました。例えば、Aさんが着替えたり風呂に入ったりする間、私は外出かロフト上に閉じこもることを実質的に命じられるようになりました。家事の細かい手順ですれ違いが生じ、連絡事項の確認の会話も険悪な様子で終わることが増えていきました。そんな調子で、3~5年は完全にAさんの人生には不要な他人として扱われていました。自分の家の中に、自分には(ほとんど)何ももたらさない他人がいて、時間や場所を占拠され、人生を制限される生活に私は理由もわからず耐え続けていました。その不自由を解消しようとしてこなかったのは慣れと情の恐ろしさだと感じます。

しかし歪んだ状態が長く続く中で、私のAさんへの思いも遂に枯れ果て、全ての関係を終わらせるべきと思い至りました。とっくに『関わりたくない存在』となってた私の家からAさんが自ら何年も出て行かなかった理由は、今に至ってもよくわかりません。数年前から『どうしたいのか?』という話し合いを何度もするも要領を得ず、有耶無耶にされてきましたが、ようやくケリをつけられてホッとしています。不本意なことも沢山ありましたが、要求に応じてくれたAさんには最終的には感謝の意を表したいです。

いくら、気持ちが通っておらず、顔もほとんど合わさず、体の関係がないといっても、自宅に家族ではない女性が住み着いているという状況は非常にやましく後ろめたいものでした。Aさんとの関係が冷え込むほど、この思いは強まりました。家の中で疎外感に苛まれ、どれだけ寂しい悲しい思いに満ちた生活をしようとも『今の自分に誰かを愛したり、愛してもらう資格はない』と気持ちを押し殺さざるを得ませんでした。友達を家に呼ぶことさえも満足にできず、私は何のために生きているのかという疑問も頻繁に抱きました。気づけば世間一般であれば結婚適齢期の四捨五入で30歳の時期を、抑圧された状態で終えてしまいました。

今思えば、『Aさんを追い出す』という決断を下す勇気が出せなかった私の優柔不断さが最大の原因であると感じます。私も嘗てはAさんが大好きでした。楽しかった思い出の数々、最高だと思っていた相性、そんな過去にすがって夢見ていれば、望む未来がいつか訪れるだろうという、漠然とした甘えが私を追い詰め、Aさんを寄生状態に堕落させたと思っています。停滞からは、未来と希望は得られない、何年もかけてようやく学びました。

今後は自分の人生を生きることを第一にしたいと思っています。自分の自由を謳歌するため、そして愛すべき人ができれば愛し、愛してもらえるようになるため、自分の望まない誰かのためではない、自分自身のための人生。願わくばより互いの人生を豊かにできる出会いを迎え、本当に大切な人のための人生にも交わっていくことができるよう新たな出発をいたします。

くだらない、ためにならない長文にお付き合いくださりありがとうございました。心機一転、一人暮らしとなった私をどうぞよろしくお願いいたします。

(友達や家族やみんなと飲んだり遊んだり、楽しいことをしたいです!やっと、心の底から人生を楽しめる日が久しぶりにやってきたのです。ああ出かけたい、ゲームがしたい!飲みたい!痩せたい!よろしく!)

平成30年12月13日
広瀬犬山猫

//引用ここまで

以上だ。
上記の通り、同棲していた彼女と折り合いが完全につかなくなり、家をでていってもらい、それからちょうど1年が経過しようとしている。自分の部屋で自分の思い通りに暮らすという当たり前の自由を謳歌することで精神状態はすこぶるよくなった、と、今は言えよう。今は。

「今は」と、強調することには一定の意味はあるのだが、独り暮らしを取り戻してまもないうちに、様々な出来事に見舞われ、平成の終わりから令和の始まりにかけて運命の波に翻弄されることとなった。音沙汰を不明にしていた友人知人には申し訳なく思っているが、この通り生きている。翻弄とやらについては、来るべき時が来ればお話したいが、ひとまず現段階では落ち着いていると思う。

しかしながら、自由の代償ともいうべき、拭い去れない孤独もまた解消されずにいる。まあ、平たく言うと、「まだ彼女はいない」わけだ。16歳からおよそ30歳の頃まで、幸いなことに彼女や恋愛の相手の縁が切れることのない人生であったのだが、同居の彼女と立ち行かなくなった頃から、恥ずかしながら「恋愛不全」的な状況に陥った。一般的に「婚期」と言われる20代の後半から30代前半の時期を、冷え切った同居によって棒に振ってしまい、2018年末の時点では、異性に対する接し方や話し方なども判らなくなってしまっていた。

嘆いていても仕方ないので、独り身になってからは、友人等の協力を得ながら徐々にリハビリをはじめ、1年の間に新しく友人も増やしたりした。だが、まだまだ、である。Aさんとの長すぎる時によってもたらされた虚無と空白に新たな人生を描くには圧倒的に経験と、挑戦が、足りない。この文章が何を言いたいのか解らなくなっている感じがそれを表している。いかん、まとめよう。

とにかくまあ、生きてます、元気です、ってこと。

私をリアルに知っている人、色々あったのだけど自由になったのでまた遊ぼう。気軽にご連絡ください。私からも、余裕があればご挨拶しますので。

令和元年12月13日
広瀬犬山猫


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