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新年のあいさつにかえて|花のような霧が容赦なくかなさりおちるとき―「沈黙を語ることば」としての詩

きみは花のような霧が
容赦なくかなさりおちて
ついに一枚の重量となるところから
あるき出すことができる
きみは数しれぬ麦が
いっせいにしごかれて
やがてひとすじの声となるところから
あるき出すことができる

石原吉郎「伝説」より

『石原吉郎詩文集』

2024年を迎えました。いつもありがとうございます。
詩のソムリエです。

今年は、友人たちと大晦日にワイワイ作ったおせち料理を囲み、息子も「おいちー、おいちー」とよく食べ、和やかな元旦だなぁ…と思っていた矢先に、津波警報が鳴りました。

といっても福岡では被害はなかったのですが、このたびの震災のニュースに心が痛みます。

大伴家持の「新しき年の初めの初春の…」を引きつつ、みなさんの幸せが降り積もるようにと書きたかったのだけど、数々の悲しいニュースや、デマに心が塞がり、何を言えばいいのかわからなくなってしまって。

東日本大震災のときにも感じた、息ができないような苦しさ、無力感を懐きつつ。
いや、こういうときこそ詩を読むべきよ、と『石原吉郎詩文集』を引っ張り出しました。

そのなかの「伝説」という詩の一節を読み、なんだかじわじわと、人間が持っている不撓の力を感じて、本棚の前に立ったまま涙が溢れてきました。

シベリア抑留から辛くも帰還した、戦後詩人を代表する石原吉郎[1915-77]。彼は、「詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、『沈黙するためのことば』」であると言っています。(「詩の定義」より)

彼の詩には、言葉を失う一歩手前でふんばろうとする意志がはたらいていて、だからでしょうか、凍土で春を待つような、見えづらい力を感じるように思います。

沈黙はたぶん無ではなく、罪でもなく、養分を蓄えるための時間なのでしょう。凍土でも、荒野でも、「あるき出すことができる」までの。


いまは、花のような霧が重すぎて、手を差し伸べることがむずかしいかもしれません。

でも、今苦しんでいる方々が「あるき出す」力に少しでもなればと、自分のできることを探すしかないのだろうと思います。
(微力ではありますが、寄付をしました)

⇓ 楽天ポイントやクレカでも寄付ができるようです

一刻も早く、穏やかな日々を取り戻せるように祈りながら。

2024年 詩のソムリエ



そのお気持ちだけでもほんとうに飛び上がりたいほどうれしいです!サポートいただけましたら、食材費や詩を旅するプロジェクトに使わせていただきたいと思います。どんな詩を読みたいかお知らせいただければ詩をセレクトします☺️