構造書評・小保方晴子『あの日』(講談社、2016)

 『あの日』(小保方晴子著)を読んだ。以下、事件が誰の責任なのかとか、そのよしあしといった価値判断は抜きに、編集と執筆に携わっている出版業界人としての感想を書く。つまり、「告白本」「暴露本」と言われる本の作り方のみを書評し、内容については評価しない。


・本人の元原稿または語りは間違いなくあり、それをもとに編集者を含む複数のスタッフにより仕上げられたと思われる。私の分類では、これは「ゴースト本」とは言わない。
・たいへん良質な本作り。たとえばSTAP細胞発見(?)に至る経緯と最低限の専門知識がよく整理され、引っかかることなしに読める。さすがはブルーバックスの講談社で、言葉の意味がわからなくて調べたのは一回だけだった。専門家が協力していると思われるが、よい結果を生んでいると思う。
・本人によると思われる、文章的には稚拙だったりくどい表現はあえてそのまま残したようだ。著者を全否定する風潮が世間に強いため、「作りすぎ」の印象を持たれることを、慎重に回避しているのだろう。
・一方、起承転結の承と、若山氏との齟齬が始まる転の冒頭にあたる部分には何箇所か伏線が張られ、それが一連の騒ぎとなる転の後半で回収されていくしっかりとした構成になっている。転の最後では通説に真っ向から反論し、若山氏を告発する内容となるので、その根拠を骨太に構成し、かつ印象的に伝える目的と思われる。プロの仕事だと思う。
・本書には図がひとつもない。虚偽(とのちに評価される)の研究成果を作ったのは小保方か若山かというのがヤマ場であり、図がなくても理解できるように書かれているものの、私なら入れたいところだ。しかし、訴訟の可能性を考えて、あえて入れなかったのかもしれない。
・スキャンダルに発展してからの、メディアスクラムや査問を受けての著者自らの情景描写や心理描写がやや紋切り型。というのは、私がゴーストだったらこう書くだろうという表現が多く見られるようになるからだ。研究を始めた頃の稚拙だがみずみずしい感性の描写は、ここで影をひそめている。ただ、これは著者の精神的消耗の結果なのかも知れない。

 当事者によるいわゆる「告白本」の目的は、状況が不利にある者が真実(と自分が思うもの)を世の中に伝え、風評をコントロールしようとする(繰り返しになるが、そのよしあしは問わない)ことにある。その意味では著者への感情移入も適当な距離を持って可能であり(騒ぎの中での著者への過度なバッシングも、盲目的な擁護も、両方が有害であったことがわかる)、すぐれて練られた本だと評価できる。

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