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私のお祖父ちゃん

私のお祖父ちゃんについて
書きたくなったので書きます☺️
(思い出話になります😊)

亡くなって一年ほど経ちます✨

大好きなお祖父ちゃん。


子ども時代、お祖父ちゃんは私を見ると、
・元気か
・ちょっと背伸びたんちゃうか
・もっと食べなあかんぞ(少食な私に)
・勉強なんかするな(受験真っ只中)
・遊んだらええ(受験真っ只中)

こんなことばかり言うお祖父ちゃんでした笑
なので、お祖母ちゃんには、

「また爺さんは適当なこと言って!」
と突っ込まれておりました😃


そんなお祖父ちゃんのこと、
私は大好きでした😊

お祖父ちゃんは、肩車をしたり
手を繋いでくれたり。

そして行くところは駄菓子屋さん😊
「欲しいもの買え買え」と。

遠慮して少しだけ買ったときは、
「そんだけかいな。もっと買え」と
追加を要求😊✨


私が高校受験の第一志望に受かったときは、
「えらい!何が欲しい!?何でもこうたろ!」と。
「(私の)お母さんが反対しても、お前が
欲しいものを買うたる!」と。

私はハ○チュウをお願いすると(大好物)、

「よっしゃ!まかしとけ!」と
言って、次の日、

ビニール袋に山ほど(30個以上はあった)
入れて、渡してくれた。


母は、「虫歯になるぞ」と呟いてたが、
それ以上は何も言わなかった。
(しのごの言うなと、お祖父ちゃんに口止め
されたのだと思う)


そんな愉快でお茶目で豪快なお祖父ちゃん。

でも、自分の仕事にはそれこそ
命を懸けていたと思う。

お祖父ちゃんは鍛冶職人だった。
工場で、熱い熱い火の中、
鉄を握り、形を整えていく。

一瞬でもタイミングがずれれば
腕はもっていかれる。

鉄の匂いとものすごい轟音の中で、
お祖父ちゃんは毎日『ツルハシ』を
作り続けた。

工場に遊びに行ったことがある。
行けば、「おう!」といつもの笑顔。


お祖父ちゃんは私に、
「じいちゃんはな、頭はできんかったんや。でもツルハシを作るんが好きでな。
一人でドイツ行って学んできてな。
中国製品に負けんやつを作りよんや」と。


その話題になると、イキイキと話し続ける。
とにかくモノ作りが大好きなんやと、
強く感じた。


お祖父ちゃんが亡くなった後、
四柱推命に出会い、お祖父ちゃんの
命式を調べた。


職人の星があった。
ちなみに絶も。(お祖母ちゃんも絶持ち)
日干は『辛』だった。


 モヤモヤしているとき、お祖父ちゃんを
思い浮かべると、
「やってみたらええがな」
と言われているように感じる。


好きなことを死ぬまでやり続けた
お祖父ちゃん。
中途半端じゃない。
製品を良くするために学び、
改良し続けた。

好きなことなら突き抜けられた
お祖父ちゃん。

格好良すぎる。


私の血に、お祖父ちゃんの血が
流れていると思うと誇らしく感じる。


お祖父ちゃん、
これからも見守り続けてね😊
ありがとう☺️

















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