アレクサンドル・ソクーロフ インタビュー(2016)

ソクーロフ監督の『フランコフォニヤ』が公開された。ロシア国内40以上の町からの観客が、この映画を鑑賞した。実話に基づくフィクションといった趣のエッセーのなかで、監督はヨーロッパとロシアの宿命について論じている。「イズヴェスチヤ」紙の特派員、E.アヴラメンコがソクーロフ監督にインタヴューした。

[訳注:S*はソクーロフ、A*はインタヴュアー(アヴラメンコ)]


A*監督、あなたは『フランコフォニヤ』がロシア国内で公開されることを危うんでおられました。ところがいま、この映画はロシア全国150の映画館で上映されるだろうといわれています。

S*いまのいままで『フランコフォニヤ』がどこで公開されるのか、全体図を知らないままなのです。ヤロスラヴリでもカフカス地方でも極東地域でも北方でも上映されるのでしょうか? 疑わしいですね。「シネマ・プレスティージュ」社の代表たちは、このことについて詳しく話してくれませんでした。もしそういう情報が同社から届いたなら、ありがたいことです。私はただ一組の上映について知っているだけです、3月17日にはモスクワでプレミア上映があります、それは知っています、招待されたのですから。でもいま私は大変厳しいロシア東部への出張旅行から帰ってきたばかりで、とても疲れています。休息を取らねばなりません。またすぐ旅行の予定もありますし。

先だって[編注:ペテルブルクの映画館である]「アヴロラ」での上映に出席したのですが、上映は大成功でした。満員御礼で入場できなかった人もいたくらいです。しかし自分をごまかしはしません、何回か上映を重ねていくうちに観客の状況が変わることもあり得ると知っているからです。『フランコフォニヤ』のような映画は、大規模上映に適しているとは言い難い。私たちには、この映画の全国上映を保証してくれるような映画館のシステムがありません。映画館のネットワークはすべて、アメリカの上映ネットワークの一部であって、ロシアの国産映画がこのシステムのなかに入り込めるとしたら、偶然か何らかの温情に依るしかないのです。それから、こういう種の映画の上映が成功するか否かは、全連邦ネットのテレビ番組や大部数の新聞を掌握している広告会社の規模にかかっています。そしてこのためには、資金が必要なのです。「シネマ・プレスティージュ」のような小さな組織にいったい金があるのかどうか、私にはわかりませんが、わたしは同社にほんとうに感謝しています。

A* 展覧会をみるための行列から始まって、大きなスクリーンで美術館についての映画がいくつか上映されるに至るまで(諸相ある)「美術館ブーム」について説明できることはありますでしょうか。

S*展覧会の行列の動員数は、とてもフォーマルな指標です。この問題に取り掛かるならば、興味を示してきたこの人々がいったいどんな人々なのか理解する必要があります。わたしは確信していますが、この人たちは若者ではありません。そうではなくて、政治に疲れ果てた中流階級の老年層であり、そして当然、その内90パーセントは女性なのです。実際には、騒ぎを招いたいくつかの出来事がこのように着目するに値します。たとえば、セローフ[ワレンチン・アレクサンドロヴィチ、1865-1911;肖像画で知られる画家]の展覧会ではポートレートが展示されていましたが、いまの芸術家なんていうのは肖像画など好きでもないし描けやしないのです。何でもいいですからペテルブルクの現代絵画の展覧会に行ってごらんなさい。「マネージ」[「ペテルブルグ20〜21世紀美術館」のある建物の名称]でも「芸術家連盟」[1940年代には前述のセローフが理事長を務めた]でもいいですが、肖像画は最小限の数しかないのをあなたもご覧になるでしょう。

A*映画の中で、監督はよくフランス人のあまり知られていない肖像画に観客の注意を釘づけにしますね。

S*私の前に立ちはだかっていたもっとも困難な課題の一つが、取捨選択ということです。芸術作品は数百万もあって、それぞれにそれぞれの堂々たる来歴があり、それぞれの魅力があり、それぞれの神聖なる沃野があります。その中からほんの数十点を取捨選択しなければいけなかったのです。そしてこの選択は、自分の美術館との個人的な付き合いの結果であって、芸術研究者の権威がもたらす結果ではありません。私にとって大事だったのは、観客の注意をフランス人の肖像画にすぐに惹きつけてしまうこと、そのまなざしと触れ合わせることだったのです。フランス人というのは、とても難しい民族です。開けっぴろげで、(これはそんなふうにロシア人の目にはそう見えるのですが、)内に秘めた誇りと、それからおそらく高慢さを持った民族です。ドイツではどんな将校も英語を知っているとすれば、フランス人は一般的に自国語でしか話さないのです。フランス人は特別な民族で、自分たちが特別であるということを感取してもいる民族なのです。フランス人が描かれたキャンバスの中の顔をいくつもじっくり見れば、このことの根が理解できます。

A*『フランコフォニヤ』のなかで、監督はフランスとドイツを姉妹だと呼ぶことで、メンタリティの親近性について問いかけています。ロシアに関して言えば、この「姉妹」は、ある程度野蛮人の国を見るような目をロシアに向けてきます。でもロシアだってヨーロッパの一部ですよね?

S*当然ロシアも「姉妹」のうちです。ただし妹のほうで、ヨーロッパの兄たち、姉たち[訳注:この言い回しにはスターリンが大祖国戦争への参加を呼びかけた有名な演説(「兄弟たちよ、姉妹たちよ!」という呼びかけから始まる)が響いている]が都市の建設や、非宗教的な世界の考え方を教え込んだ学問や芸術の発展を助けてくれたのです。ピョートル大帝がロシア人の意識を欧化しなかった場合のロシアのことを想像してみてください。啓蒙の道を拒絶したらロシアはもっと良くなっていただろうだなんて、私は思いませんね。

しかしこのロシアという「妹」にはこれほどの独特な気質があり、これほど離れたところに居を構え、これほど忍耐強いわけで、それはロシアがヨーロッパ一家の親戚だとは考え難いほどなのです。北国では生の意味の感じ方が異なります。自分の領土のために戦おうという覚悟は、国の名誉の代償に実に多くの命が散らされる結果を招いており、ヨーロッパ共同体をショック状態に陥れているのです。ナチス・ドイツはソ連領域を侵攻しながらも、ソ連兵やその住民の偏執狂的で苛烈な抵抗を理解できなかったのです。

ナチスとフランスの住民との関係は、別のしかたで成り立ってゆきました。多くの理由がありますが、一つには占領地域にやってきたドイツ将校の大部分はフランス文化を愛し、フランス語を知っていたからです。ドイツとフランスにとっては、映画の中で言われているように、同じカフェに腰を据え、同じカップからコーヒーを飲むことができるのです。

A*映画にはいくつか対立がありますね。「開かれた都市」パリと、閉鎖されたレニングラード。一方には平和な生の雰囲気があり、他方には封鎖[訳注:1941〜1944年の間にナチス・ドイツが行ったレニングラード封鎖]の悲惨な雰囲気があります。ルーヴルとエルミタージュ。『フランコフォニヤ』は『エルミタージュ幻想』を継承する作品なのでしょうか?

S*まったく違います。この『フランコフォニヤ』はまったく別のあらすじ、縮図、思索、中身なのです。ただ作者が同じだけです。ペテルブルク中の何よりもエルミタージュを愛しているのですが、このことを私は『フランコフォニヤ』の中で認めないわけにはいきませんでした。第二次大戦をテーマにした映画の中で封鎖の時期に目を向けないならば、それは私からすれば誠実ではないことになったでしょう。あの時期を私はじっと見つめています、多くの場合に街の価値が死者の数で、その地面に眠る死者の数で計られてしまうこの街に、私は住んでいるわけですから。

A*映画の中にはレジスタンス運動へのほのめかしもありませんが、1940年代のフランスの若者たちはドイツ音楽に関心を向けていたと言われています。こういった考え方は、西欧のプロデューサーたちの方からの圧力を呼んでしまうようなものだったのでしょうか?

S*私はいつも、自分がよく知っているプロデューサーたちとしか仕事をしません。トーマス・クフス(ドイツから)、ピエール=オリヴィエ・バルデ(フランス)と私とは、美学的・倫理的な立場においてだけでなく、職業的な原則の点でも一心同体なのです。 総合的なプロデューサーの役を務めてくれたのはフランスでした。フランスには、世界で一番厳しい著作権保護の規準があって、すべてが監督の利益を守るように動いてくれるのです。ですが何より大事なのは集まってくれた人たちの信念です。

プロデューサーたちは、この映画がフランスの報道では厳しいリアクションを呼ぶだろうと予想していました。しかし私はずっと繰り返して言っていたのです。「私たちは政治評論的な作品やドキュメンタリー作品を作らないようにしようじゃないか」と。これは歴史的な感覚、または歴史の感覚を芸術的に把握する試みなのです。私は裁判官でも弁護士でもない。けれども私にとって、一人の人間として、重大なことは、世界の美術館が一つとして、どんな脅威にもさらされないでいて欲しいということなのです。

A*登場人物の一人として、あなたは『エルミタージュ幻想』と『フォランコフォニヤ』の中でそれぞれ別のしかたで登場しています。『エルミタージュ幻想』ではフレーム外からコメントを加える慎重な声だけでしたが、『フォランコフォニヤ』の中ではとてもわかりやすい形で他の登場人物の生に介入しています。

S*すべて、とても簡単に説明できます。言い知れぬ力が、魔物があまりにも私の方に近づきすぎたのです。私は、世界文化の一部です。文化は、私の生そのものなのです。そして美術館は私の所有物です。とても個人的な、世界共通の人としての権利によって私に属している所有物なのです。

A*『フランコフォニヤ』世界初上映の前夜に、「イスラム国」[編注:アラビア語名ダーイシュ、ロシアで禁じられている組織、訳注:いわゆるISIL]による文化遺産の破壊行動はピークを迎えていました・・・。

S*私は、すべてがここに帰結するだろうということを、完全に確信していました。イスラーム世界の世論の内部に強大な軋轢が存在することは、何十年も明らかでした。イスラーム世界には、拭い去りがたいイデオロギーがあります。キリスト教世界や民主主義国家にはないものです。私はつい今まで東アラブにいて、これを確認できたように思います。

目的達成のための手段の点で、私は「イスラム国」とボリシェヴィズムを比べてみたいと思います。この[「イスラム国」の]狂信者たちは生きたまま頭を切り落としていますが、ロシアの狂信者たちは1917年に司祭たちを生きたまま穴に突き落として土で埋めていたのです。地面は何日間か震え続けていました。自分たちのムスリム国家を組織したいというこの新しいボリシェヴィキたちの欲望は、自分たちを取り巻く世界のすべてが、彼らのシステムとか信念とまったく異なるというところから来ています。イスラーム世界との関係においては、旧世界とアメリカがそれ相応の暴力をもって反応するということは予想のつくことです。この反応は極めてラディカルで、革命的なものであるという感じがします。

A*『フランコフォニヤ』の挿話の一つで、カメラが長いことエジプト美術展示室のミイラに見入っていました。文化の最良の形を「缶詰にして貯蔵する」という美術館のやり方が、はっきりとこのミイラと呼応する関係を成しています。美術館には聖なる役割というものがあるのでしょうか?

S*私にとって死とは「もう決して」ということばと同じなのです。私は「もう決して」この人と会うことはないでしょう、とか、「もう決して」あの人の手に触れることはないだろう、ということです。確かに夢の中で死んだひとと交信するひともいますが、私にはそういうことは起こってきませんでした。そもそも私はまったく夢を見ないのです、それは私には関係のない生命の空間なのです。それにもかかわらず、私が映画という芸術の中で何かを尊重しているとすれば、それは映画の詩的で、夢を見させるような本質なのです。

ミイラは、時と時のあいだにかかる独特な橋であって、想像力を揺れ動かし、絶対的な腐敗などないのだということを証明してくれます。ミイラからひとの顔を復元することができますし、将来的には、死人そのものを、あるいは死人の人生の何かしらの瞬間さえも物質化させることができるようになると思います。つまりは、過去というものがなくなり、現在だけが残ることになるでしょう。

芸術は過去が並行して存在することを示し、過去に触れて感じることを可能にします。芸術には、すべての人々が一つの家族だと感じたり、お互いのお互いに対する責任を自覚させてくれる大いなる可能性があります。美術館の関係者が、「美術館の主要な任務は保存することである」と考えているのは、故ないことではないのです。何回展覧会を行うかではなく、どれだけ保存するかなのです。これは正しいことです。なぜなら他のどこにもそんなところはないですから。


出典はhttp://god-kino2016.ru/2016/03/19/sokurov_interview/。

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