プリゴフ「コンセプチュアリズムの基礎知識」

98年2月8日、Арт-азбукаより

どんな詩人のものであれ、その作品を理解する際にはその作品を文化と伝統という一般的なコンテクストにおけるものとして理解することはもちろん、直接生活・文化環境のコンテクストのものとしても理解すること、とりわけ、詩人が対話を通して直接相互関係をむすぶ領域、様々なレベルにおいて巻き込まれているおのれの[詩作という]活動が映しだされるあの領域・分野のコンテクストにおけるものとして理解することが重要である。

上述のすべてに殊のほか関係してくるのは、コンセプチュアリズム詩学に属すると自己定義する書き手たちだ。コンセプチュアリズム詩学に特徴的なのは、その文化的・言語的コンテクスト領域に対する意識的な訴えかけである。コンセプチュアリズム詩学に属する書き手は、ある具体的なモメントにおいてそのコンテクスト領域を感取する。より正確に言うなら文化と対話を交わすにあたって、彼らはそのコンテクスト領域に、現実におけるパートナーの外見をまとわせるのである。

下に挙げるのは、時宜に適った歴史的退却の一例である。

(特にモスクワとレニングラードの)非公式文化は60年代末までに成立し、組織され、その上下関係・礼儀作法・社会的な方法論を基礎づけられていたが、文化的・スタイル的な自己定義に熱心に取り組み始めた。公式文化が援用していた「プロフェッショナリズム」「真実らしさ」「流派は存在しない、良い詩人と悪い詩人がいるのみ」といったもはや色褪せた概念とは異なり、非公式文化の代表者たちは原則としてそのスタイル面での位置づけこそが具体的な創造行為に先立つものであり、また実像としての創造経験を吸いあげるものであると定義づけた。実像としての詩人のイメージや詩人の具体的なあるテクストは、文化空間における彼の身振りの一つでしかないのである。

このプロセスは「モスクワ・コンセプチュアリズム」と仮に名づけられた流派のなかでこの上なく理解され、よい反応を引き出し、明瞭に現れたのであった。

「コンセプチュアリズム」という用語は西側から、それも造形芸術(アート)の領域から我々のところで援用されている。

60年代はじめまでに、他の芸術分野をさし措いて他ならぬアートの領域が、新しいアイディアの産出という点で優勢かつもっともクリエイティヴな領域になっていた。抽象主義や抽象表現主義を筆頭として、アートは互いに入れ替わり、隣り合って存在し、さらには流派どうしのみならず世界における文化の様々な伝統を受け継いでゆくスタイル・流派のまさに奔流を生みだすことになった。これは、こうした諸スタイルが思いがけなく歴史の霧の中から抜け出し、スタイルどうしは言うに及ばず、現代という時代ともまったく思いがけなく相互に関わってゆく羽目になったからである。

中でもコンセプチュアリズムはモノとマスメディアを偶像化するきらいのあるポップアートへの反動として生じており、その活動の本質的内容・理念とされたものは、モノと記述言語の相互関係にみられるドラマトゥルギーであり、モノの背後に潜んだ種々の言語の結合、モノの言語への置換・吸収、そしてこのドラマトゥルギーの中で生じるあらゆる問題と効果の全体である。

コンセプチュアリズムは我々のところでその成立を宣言したわけであるが、その奇跡劇を演じる主役は定かでなかった。というのも我々ロシアの文化において伝統的にモノの位相を占めていたのは命名であり呼称だからである。そして西洋的な意味においては、ロシア文化というもの全体がいわばほとんどコンセプチュアルなものなのだということが明らかになった。アート空間の全体的言語化、アート作品に添えられた説明的な煙に巻くような文章の増殖といった事態は、ロシア文化において伝統的に文学が優勢であること、文学が他のあらゆる芸術領域の現象に対してアプリオリであることに大変容易に帰せられるのである。

ところで、ロシア文化におけるありとあらゆる企図(プロジェクト)的・予言的なアイディアの意義を思い起こしてみよう。そうしたアイディアの作者たちは、アイディアをただ自分で発表しアイディアを命名することのみをもって、目的はすでに達せられたものと考えていた。

このことが特徴的に現れているのがニコライ・フョードロフの諸構想と、その構想が実現に移る期日を知りたいとうずうずしていた彼の弟子たちに対するフョードロフの憤りである。同様に例えばフレーブニコフやマレーヴィチに言及するのも興をそそられる。彼らは同じ精神を共有した西側の同時代人とは異なり、自分の作品に対して同様の予言的・企図的な意味づけを大いに付与し、現実的なというのでなければコンセプチュアルかつ魔術的な方法で生のなかに植えつけようとしていたのである。

これと同様に我々の置かれた状況の中でもモノの位相が命名の位相に取って代わられているのだが、コンセプチュアリズムはヒエラルキーとして打ち立てられた記述言語の諸位相の追跡——その位相が逓減していく(昇華されるにつれ言語のイデオロギー的緊張状態とそれに伴う摩耗が進行する)様——、また時が経つと下位レベルの記述言語が命名の位相を占めるようになる傾向、そして新しい上位の記述レベルがその上に建て増しされること、これらに特に注意を傾けている。この意味においてコンセプチュアリズムは(例えば生と芸術との間に新しい境界線を設定する点で)明らかに前衛(アヴァンギャルド)性を志向しているにも関わらず、伝統的なロシア文化の思索の直接的な継承者(ただし外面=ファクトゥーラ層においてではなく、構造-産出層において)であるということは興味深く思われる。これについてコンセプチュアリズムはあたかもアートとしてではなく生き方として、初めからはっきりしており近しいものであり(アートや詩人という存在の原則を定義づける、定められた条件のために無理解が生じるものではあるけれども)、理解しやすいものだったようである。コンセプチュアリズムはある意味一種の鏡であって、それはロシア文化の眼前に立てかけられて、ロシア文化ははじめて自分を全体像として見つめることになったのである。

純粋に構成的・操作的な観点からこの流派に特徴的なのは、一つの詩の領域内でいくつかの言語によるテクスト(つまりいくつかの言語層、これら言語のいわば「ロゴス」が、ということ。高尚な国家の言語、高尚な文化言語、宗教や哲学の学問的言語、日常の言語、低位の言語など)が遭遇しているということである。それらの言語一つ一つは文学の領域内で、メンタリティはもちろんイデオロギーを背負って立つことになる。つまり言語たちがお互いに対する野心を解き放つような一つの平面上で、これら言語の遭遇が起こっているのだ。そこではまた「その言語固有の用語を用いて世界を専有的かつトータルに記述する(つまり把握する)こと」をそれぞれの言語が要求するような不条理さが露見しつつ抑制され、また生命が存在し得ないと思われた場所に思いがけなく出現する生命のゾーンが照らし出されることになる。加えて、コンセプチュアリズム的意識というものはどれか一つの言語を特別扱いしたり贔屓することはない。さまざまな言語の公理体系(もしもこう言うことが許されるならば)の中に、あらかじめ正当性を置いておくのである。

また作家のテクストへの向き合い方に関する問題も興味を惹く。要は、従前のいかにも作家といった風のポーズと異なり、コンセプチュアリズムの作家にとってはテクストの領域内に作家的な野心を許容する層が存在しないかのようなのだ。この場合、凡庸な心情吐露タイプの詩人(その手のポーズは様々な理由からロシアの文化及び読者意識の中で、唯一真正なる詩的ポーズとされるのだが)を、テクストとの関係性においてテクストと完全に一致することを理想とする俳優に擬えることができるならば、新しい流派[コンセプチュアリズム]の詩人たちのテクストに対する関係は映画監督のそれに比すことができるだろう。作者はステージ上の登場人物のなかに見える形では存在しないけれども、ステージ空間上のあらゆる地点に暗示的に存在しているのである。まさに主役が行動を起こし、いろいろな手段で軋轢を解消し、登場人物が行動をやめること、これら[一連の流れ]はまた作者という人格の特性を明らかにしもする。これらの演目の主役は登場「人物」ではなく(ゾーシチェンコ風のタイプの登場人物でさえなく)、登場人物としての言語の諸層なのだということに注意を促しておく。この時「登場人物」とは言えども、それらは孤立して存在するのではなく、作者その人の言語意識が層となったものなのである。

コンセプチュアリズム——文学だけでなくアート分野でのコンセプチュアリズムも同様だが——に特徴的なのは、例えば社会的・政治的テクストの言語、学術的テクストの言語、カタログの言語、似非科学的調査の言語のような、なじみもなく伝達的でもない諸言語の使用である。それもそうした言語は引用として用いられるのではなく、その作品の構造の根底をなすものとして用いられるのだ。身振りや、いかにも作家といった風のポーズ(見かけ)、当局機関で定められて手交されるテクストなどがとても重要になってくる。例えば、文学のでもアートのテクストでもいい、あるいは作家の自由意志を局限するような非伝統的コンテクストに置かれた伝統的なテクストでもいいが、文化空間のなかで(つまりハイアート的アクションを待望することが常態化している空気のなかで)獲得される身振りによる作家の[テクストへの]介入は自律的でありながら、それでもやはりテクスト外の意味を帯びているのである。まさに作家としての活動のこの——生と芸術の境界線(原則として現実的なものであるが一時的に条件的で流動的であると感じられるのだが)をどこに置くかという問題の解決という——局面においてコンセプチュアリズムは、20世紀初頭にまさにこのもっとも悪辣な課題・問いかけとともに生じたアヴァンギャルドの伝統の継承者なのである。

たしかにより高位にあるように描かれたコンセプチュアリズムの文化的メンタリティと詩学の、その純粋で英雄的なフォルムは、実際のところもはや歴史的成果物となってしまい、70年代末から80年代初頭にかけて幕を降ろしたか、あるいは変化を蒙った。テクストに対する作者のこのひどく構成的な自陣防御は、今や相互関係の揺れ動きといったタイプのものにとって替わられてしまった。もはや作者がどの程度本気でテクストに入り込んでいるか、そしてテクストからどの程度の距離をとっているのかを言い当てるのがかなり困難になってしまったのである。まさに作者とテクストの相互関係にあるドラマトゥルギー、テクストと対外的ポジションの狭間での作者の揺れ動きが、この種の詩作の本質的内容にもなってゆく。コンセプチュアリズム詩学そのものの根底に文化的コンテクストの追跡や文化的コンテクストとの相互作用・相互関係がある以上、傾向が替わってゆくからといってコンセプチュアリズム作家が新しい傾向に敵対するということはないだろう。一つにはこうした一時的な変化すべてを凌駕するような何かしらの戦略プロセスのなかで、先行するものすべてに対してもう一つ別のイメージを与えること、あるいは過去に十分手を加えられたすべてのマテリアルを、新しい方法で相互関係を結べるようなもう一つ別の文化的な層に変えてしまうこと。これらを通じて、ただその作家の発声音域が変化してゆくというだけのことである。

(了)

http://azbuka.gif.ru/important/prigov-kontseptualizm/

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