イーゴリ・コチェトコーフ「私たちはみなマイノリティであり、権力である」

インタビュアー:カテリーナ・ゴルヂェーエワ
2018.11.14.

http://award.gaidarfund.ru/articles/3171/

〈ロシア・LGBTネットワーク〉共同創設者の人権擁護活動家イーゴリ・コチェトコーフが、ロシアのホモフォビアの起源、性的マイノリティを「治療」する試み、みんなとは異なること/異なる意見を持つこと(inakovost’)が危険でない世界での生活について語る。
2018年、イーゴリ・コチェトコーフは「市民社会形成を可能にするための傑出した活動」部門で、エゴール・ガイダル賞にノミネートされた。[*11月22日、受賞が決定。イーゴリ・カリャーピン(拷問反対活動家)と同時受賞。]

——マジョリティ/マイノリティとは、どのような概念なのでしょうか? 誰が決めるのでしょうか?

状況に左右されるものだと思います。大ざっぱに言えば、私たちは一人ひとりみなマイノリティであるわけですから。あなたもいま自分自身のことについて考えてみれば、どこかではマイノリティであるということがわかるでしょう——例えば美食志向から、もっと真面目なところでは政治的な考え方に到るまでね。だから、一人ひとり誰もが、マイノリティの代表者なのです。誰もがマイノリティを理解できます——ゲイやレスビアンを理解することもできるし、民族的マイノリティを理解することもできる。これはもうおなじみのシチュエーションでしょう。おそらく、だからこそ、様々なマジョリティについて話すことができるのです。例えば、様々なマイノリティのなかのマジョリティ(多数派)について話すこともできる。もし一般的でない考え方を掲げる野党が勝利しようとするならば、支援を求めるべきは、迫害してくるようなマジョリティではなくて、様々なマイノリティのなかのマジョリティです。これが、わたしが野党のために出す処方箋です。しかし、その際にも、〈ロイヤル・マジョリティ〉と呼ばれる人たちの存在がある。つまり、市民権を完全に享受していると考えられる人たち——一般的に「人間」と見なされている人たちのことです。正直に言って、私たちは人びとに何かを分配しているのではなく、むしろ人びとを分割しているのですよ。どんなのでもいいですが、世論調査で、回答者にこんな質問をするとしましょう——「あらゆる人が同じ権利を享受するべきだと思いますか?」とか「差別は許されると思いますか?」という質問を。大多数の人は「いいえ、もちろん許されません、すべての人は平等です」と答える。ところが、ゲイやレスビアン、ロマの人びと、チェチェン人などについて質問されると、「そういう人たちを許してはおけない」とか「結婚させてはならない」とか回答するわけで、つまりもう嫌というほど差別をするわけですね。というのは、その人たちにとって、ゲイやレスビアンといった人たちは人間じゃないからです。「誰が決めるのか」と仰いましたね。決めるのは、権力です。権力と言っても、それは[国家権力や政治の象徴としての]“クレムリン”ということではなくて、〈ふつう〉ということについての私たちの共通認識を意味します。つまり、ある意味において、私たちはみなマイノリティであるし、そしてみな権力でもあるのです。なぜなら、私たちの頭の中には〈ふつう〉ということについてのある種の観念が居座っているのですから。

——それはロシアに特有の事情なのでしょうか、それともどこでもそうなのでしょうか? どこでもというのは、つまり、もちろん文化程度の高い西欧の世界について言っているのですが。

ほらね、いまあなたも世界を二つに分割したのですよ。文化程度の高い西欧世界と、たぶん文化程度の高くない、つまり世界とも言えないような世界とに。「欧州中心主義」と呼ばれる有名なやつです。

——それはロシアに特有のやり方であって、わたしがそう決めたことではないですけれど。

その問いに対する答えとして、すぐにこう答えておきましょう——「違います」と。これは普遍的なものですよ。西欧中心主義について思い出したのは偶然ではなく、ノーム・チョムスキーと誰だったかアメリカのジャーナリストか政治家とのすばらしい対話があるからなんです。その青い眼をしたジャーナリストだか政治家は、こんなことを言うのです——「そうですね、もちろん世界の中には我われと比べて道徳的に未熟な人たちがいるということは明らかなわけです」と。つまり、近代的で、あたかも文化程度が高く思えるアメリカのような国でさえ——とはいえ実際にはかなり保守的な国ではありますが——権力階級、エリート階級においては、「人は、その道徳的価値に応じて分け前が与えられている」というような考えが、まったくふつうに見られるのです。道徳面で優った人間がいて、その人には「人間」という名誉称号が与えられる。道徳面で劣る人間には、この称号が与えられることはそう多くはない。これは常に公言されていることではなく、ふつうは無いことにされていますが、それでも一般的な状況なのです。

——なるほど。それでは質問を変えましょう。ゲイ・プロパガンダ禁止法が成立したり、公の格調高い議論において侮辱するようなことが社会に受け入れられてしまう、そんな性的マイノリティに対するアティテュードが、歴史的に形成された伝統であるとして、それが大切に育てられてきたのはロシアだけだと思われますか?

実際のところ、歴史について言うなら、17世紀には他ならぬ西欧でソドミー行為を犯した人が火あぶりにされていて、当時ロシアを旅行した西欧人は、ロシアでは人びとと教会がソドミー行為に対して正当な扱いをすることに驚いていたと言います。昔は状況が違っていたんです。そして、例えば随意同性間性交渉罪について話をするなら、これはロシアが発明したものではありません。この法制は、プロイセンからロシアにもたらされたものです。つまり、まずピョートル一世がスウェーデンから借用し、その後プロイセンの例にならって刑法が定められたのです。まったく同様に、イギリスやその他列強宗主国が、同性間性交渉罪をアフリカ・アジア諸国にも持ち込みました。植民地帝国の崩壊後、イギリスやフランス、ドイツでも法制に変化が生じましたが、旧植民地ではそれは温存されました。そして今や、例えばアフリカ諸国の指導者たちはこう言っています——「我われのホモフォビアに構わないでほしい! これはアフリカの伝統なのだから」と。伝統的価値観に関するこのようなレトリックは、ロシアだけのものでなく、世界中のトレンドになっているのです。それで、また話が戻りますが、家族制度の伝統的価値観に関するレトリックは、一体どこからロシアに入ってきたのだと思いますか? アメリカ合衆国ですよ。これはアメリカの発明品です。アメリカで様々な宗教の流派がこれをつくりだし、私たちは借用したのです。わたしの考えですが、こんにちの世界には大きく2つの脅威があるということを分かっていただきたい。それは東方——あるいはアフリカも含めるなら南方——のホモフォビアと、西方のイスラモフォビアです。これは、本当に深刻な2つの危険です。

——待ってください。あなたは大胆にも、この地球全体を注意深く視野に入れています。わたしは当然、近かれ遠かれ、私たちの隣人との問題について悩んでいるわけです。ロシア国内の問題について、はるかに多くの懸念があります。どんなふうにして、何千キロも離れたところの問題解決を試みればよいのでしょうか? ロシアで、ちょっとゲイやレスビアンを思わせるところがあるからといって殴られるようなことがないようにする、そこから始めることは可能でしょうか? ゲイ・レスビアンを自覚している人が、他のあらゆる人と同じように、自分の交際関係を恥ずかしく思わないようにすることから始めることは可能でしょうか?

グローバルな問題はすべて、ローカルなレヴェルで解決されます。ロシアでのホモフォビアの状況に関して、きっと驚かれると思いますが、こんにちの状況は20年前に比べてマシになりました——多くの人は賛成してくれないでしょうが。というのは、こんにち、少なくともこの問題が議論にのぼりはするからです。問題が黙過されている限り、解決は望むべくもありません。わたしが人権擁護活動を始め、LGBT団体の代表としてオランダ大使館に招待された時のことを思い出します。これはわたしが公の場に出た本当に最初の機会でした。この時、その場には人権擁護団体が勢ぞろいしていました。とても名高い、わたしも尊敬している人たちです。到着して「LGBT団体から来ました」と自己紹介すると、チェーホフ的な間が場を支配しました。どう反応すればいいか、単純に分からなかったのです。今では、あの悪名高いプロパガンダ禁止法のおかげということかもしれませんが、私たちはこの問題について議論することができます。こんにちの問題解決には、LGBT者本人の姿勢が重要な条件になります。というのは、ここ10年間ほど、まったく驚くべきことが起こっているからです。私たちが啓発のためのイベント(セミナーやディスカッション)をLGBT団体の代表に向けて行う際、プロパガンダ禁止法成立後にいちばんポピュラーなテーマになったのは、「カミングアウト」というテーマでした。どうやってカミングアウトするか、どうやって自分自身のことを表明するか、どうやってオープンに生きるかということに関心が見られます。この法律が成立する前には、カミングアウトというテーマはポピュラーではありませんでした。「ママの心臓が耐えられないから」という主張が、カミングアウトに反対するゲイたちからもっともよく聞かれたものでした。息子や娘たちのカミングアウトに耐えられないような何かの病気を、そのママは心臓だか血管に抱えていたということでしょうかね。よく分かりませんが、いまはおそらく、ママの病気が良くなったのでしょうか、そういう主張はもう聞かなくなりました。つまり、実際に社会のなかで議論が起きて、ある種の軋轢が生まれ、この軋轢がオープンなものになった。それで今や、この問題について取り組むことができる。この状況は、今や変えることができるようになったのです。

——「取り組む」と仰いますが、誰と取り組むのですか——社会とでしょうか、それとも結局は権力とともにということでしょうか?

人権問題や社会問題はどんなものでもそうですが、これは誰にでも関わってくる問題です。そしてここにこそすでに、ロシアの特殊性を指摘できるかもしれません。というのも、ロシアにおいては政府と社会との間にとても大きなギャップがあることを、私たちはよく理解しているからです。ロシアの政府は、ソヴィエト的です。言ってしまえば、我われを支配しているのはソ連内で大きくなった人たちであって、ソ連で育てられたか、あるいは世界観を、また人民や人民のためになることについての認識をソ連において構築してきた人たちです。例えば「人民にとって最も大切なことは、安定と統一である」とかね。民衆が自分の頭で何かについて考えたり、自分の子どもたちに何か新しいことを説明したりしなきゃいけないだなんて、めっそうもないことなんです。権力は、あらゆる方法で人びとを柵で囲いこんで、こうしたことから遠ざけようとしている。それ[ソヴィエト的権力]は、一枚岩の原始的社会を統治することに慣れてしまった権力であって、ソ連社会とはそうした原始的社会だったのです。党内外に統一がありましたし、統一的な計画経済や、統一的イデオロギーがあった。すべて単純なんです。そして私たちの権力は、今に至るまでそんな認識のなかで生き長らえている。
しかし、社会はとても大きく変わりました。社会はとても多様なものになったのです。宗教的原理主義者の中には、参加者を殴るためにLGBTのストリートアクションにわざわざやって来る人たちがいる。一方で、私たちを支援してくれる人たちもいる。スターリンの命日に彼の墓に花を供える人たちもいる一方で、「ソロヴェツキーの岩」[ソルジェニーツィンの『収容所群島』で悪名高いソロヴェツキー諸島から運ばれ、モスクワの旧KGB本部前に設置されている岩の記念碑で、ソ連時代に抑圧された人たちに捧げられている。]にやって来てスターリンの犠牲者の記憶に表敬する人たちもいる。私たちの社会は、多種多様な人びとから成る、とても複雑な社会であって、権力が目指す方向、権力が私たちを連れていこうとしている方向とはまったく正反対に発展していっているのです。しかし、どんな変化も、まさにこの社会の側から起こるのだということは知っておかねばなりません。だから、権力の側から何らかの改革や変化が行われるのを待っていてはいけない——どんな時も、いまこの瞬間もです。そして、もしどこかで人権が侵害されていると知ったならば、私たちがしなければいけないことは、その場に行って擁護すること、これだけです。その場に出てゆき、「これは間違っている」「私たちは反対だ」と発言することです。これを説明する相手は、国家とは限らない。自分の隣人や友人、職場の同僚だったりするんです。そうすれば変化は起こります。
それから、ロシア社会は不能な社会であり、組織化する能力がないだなんていう神話がありますね。これは正しくない。私たちは、たくさんの実例を目の当たりにしています——家庭や近所、通りのレヴェル、それから国中を巻きこむレヴェルで、人びとが組織化され運動している。例えば、囚人を支援するために。全国で活動する組織がつくられている。この国のある住人グループを支援している。私たちの組織「ロシア・LGBTネットワーク」も同様です。私たちは、公式に16の地方支部をもち、公的なストラクチャをもち、また定款など様々なものをもっています。それに、私たちは遠隔での法律相談・メンタルサポートのサービスを提供しています。私たちのところには、ロシア全国の77地域から、電話のホットラインやウェブサイト経由で相談が寄せられています。

——いちばん多く受けるのは、どんな問題についての相談なのでしょうか。

法律相談とメンタルサポートのどちらかにも依りますが。

——法律相談とメンタルサポートだとどちらが多いですか?

当然、メンタルサポートの方ですね。よろしいですか、あなたが法律家のところに相談しに行くとしますね、そうするとすべきことを助言されると思います——「警察に行きなさい」とか「申告しなさい」とか。これが怖く感じる時もあるんです。LGBT者に限らず、どんなロシア人にだって言えることです。メンタル面での相談は、安心できます。もっと多くの人たちを助けることができる。法律家への相談は、ヘイトクライムに関するものがいちばん多いです。暴力の危険があったり、直接暴力に晒されていたり、雇用主との問題だったり。「非伝統的な性的指向」を理由に馘にするというのではありませんが、その人が自ら退職を余儀なくするような条件を雇用主がつくるような場合ですね。パブリックなアクションへの合意の問題や、組織に対する迫害の問題に直面しているアクティヴィストが相談に来るのは自然なことです。メンタルサポートについては、両親や親類、パートナーなど身近な人たちとの付きあいに関する相談が多いです。これは結局、外的世界と自己受容との関係性を整えるということなのです。というのは、私たちはよく言うのですが、ゲイやレスビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人たちがみな、まったく伝統的なヘテロセクシュアル・シスジェンダー家族の中に生まれて、すべての異なるもの、類似していないものに対する憎悪感情の中で育てられることはとてもよくあることなのです。だから、LGBTの人たちを最初に憎みはじめるのは、LGBT者自身なんです——そういう風に育てられてきたのですから。自分の性的指向・性自認に気づいたとき、彼らがどう反応するかというと、彼らはそこから目を背け、そして恐怖を感じます。こういう局面でとても有効なのが、言うまでもなくメンタルサポートです。

——それは国に関係なくそうなのでしょうか?

もちろん、そうです。

——そうした憎悪感情のほかに、改善すべきと感じる状況はありますか? 理想的になることを望む社会は、社会にとって病気……だと思われるような人を含め、社会の構成メンバーを矯正することを望むものではないでしょうか。「我われがやつらを治療しよう、そうすれば普通になるだろう」というような。

そうして「人間でない奴ら」をみんな人にしてあげるというわけですね。最初にわたしがお話ししたことです。それは偽善です。ナチスも、露骨に、しかしその人たちなりに誠実だった人たちでした。ナチスだけじゃない。アメリカでも、ソ連でも、ホモセクシュアルの人を治療する試みが行われました——例えば電気ショックを与える等で、しかもそれは一番穏やかなやり方だったのです。もっとひどい方法についてはお話ししません。こういうことは、「助けてあげたい」「人に善行を施したい」という心からの願いであったわけです。つまり、まさに、実際にあらゆる人を一列に、一直線に整列させる試みであったと言えます。ええ、改善すべきところはまだあると思います。

——治療の問題について伺おうと思ったのです。最近、成長している大企業で働いているかなり親しい女性が、ある私たちの友人の[性的]指向について知って、こう言ったのです。「可哀そうな人。治療を受けようとはしなかったの?」と。その女性は本当に憎悪感情などなく、そう言ったんです。その人の蒙を啓く役目は誰が負うのでしょうか? 彼女が見ているテレビからそういうことを知るべきでしょうか? でもテレビがこの問題を話題にする時には、常に憎悪感情が付きものです。つまり、マイノリティへ向けられる憎悪は増殖するばかりなのです。そしてこの友人が知っていることを知ったままでいつづけるのは、本当に小さなグループの人たちだけです。

ここでもまた、抽象的に話すことはやめましょう。具体的な事例を検討する必要がある。この場合、あなたが、その知人に教えてあげるべきだったのです。

——わたしは、教えました。

それがすべてです。「誰が役目を負うか」? 私たちですよ。

——でも、1億4000万人もの人にどうやって教えればいいのでしょう?

何百万人の人たちの問題を一日で解決することはできません。ですが、自分自身から、啓蒙と支援から、始めようじゃないですか。実際のところ、あらゆる人を治療しようとする人たちというのは、それによって一番苦しんでいる人たちなんです。そういう人たちは、地獄か何かの中に住んでいる。周囲のものが絶えず脅威をもたらしているように思えるんです。「もしかしたらこの人はゲイなのかな、もしかしたら反体制の人なのかな?」「そういう奴が自分の子どもにどんな影響を与えるだろう?」とね。これは地獄の生活ですよ——周囲の人を恐れているような時にはね。そう、あなたが住んでいるこの世界には、様々な人たちがいる。だから理解しなくてもいいんです。ゲイやレスビアンをみんな愛さなくてもいいし、反対派をみんな愛さなくてもいいし、理解しなくたっていい。しかし必要なのは、この一点だけ理解すること——つまり、人はみな多種多様で、異なっていることには何の危険もないということを理解することです。こういう方針を飲みこんだなら、生活は良い方向に変わるでしょう。わたしは、ゲイやレスビアン、トランスジェンダーの人たちを治療しようとする人に対して、彼(女)ら[LGBT者]への援助を求めはしません。わたしが提案したいと思うのは、そういう人たちが、自分自身を助け、自分が生きているこの地獄から自分自身を救けだし、自分を取り巻くこの世界が、自分との関係において、基本的に十分友好的なのだと理解してくれることです——そして彼らが考えるほど、この世界は危険でもないのです。

——あなたの仕事がもたらすことを恐れる気持ちはどれほどありますか? どれほどの危険があるのでしょうか?

リスクはありますよ、もちろん。何かを目前にした時には、恐怖に捉われることもあるし、リスクを冷静に認識することもある。わたしはおそらく、様々な段階を通過してきました。昔は本当に怖かった。今まで生きてきた中で、街を歩くときに周りをきょろきょろ見回しながら歩いていた時期もありました。しかしその中でも、わたしはこの仕事を続けてきたし、いまも続けています。人はみんな怖いのです。私たちはみな、何かにつけ不安を感じている。でもそれは、行うことが正しいと思っていることをやめる理由にはなりません。結局、私たちは遅かれ早かれ死ぬのだということに、わたしは安堵を感じるのです。わたしが好きなセネカの言葉でこんなのがあります——「人生は演劇に似ている。大切なのは、どれほど長くつづくかではなく、どれほど美しいかである」。つまるところ、お尋ねになったことはこういうことなんです。怖い思いをすることはあるでしょう。しかしそれは普通のことです。

——それでは、あなたがそうして恐怖を感じているということをどうやってご自身で納得しているのですか? あなたの組織が最終的に目指すところは、どこなのですか?

組織の目指すところと、わたしの仕事の意味とは、別のことです。わたし個人にとっての意義とは、毎日恥じることなく鏡に目を向けられること、そして自尊心を持つことにあります。自由な人間になりたいということ——それがわたしの目指すところです。その目標についてとやかく理屈を述べることはしません。これで十分です。わたしは自由な人間であって、そうあり続けたい。自由でない国で自由であるためには、方法は1つしかありません。自由を求めて闘うこと、自分自身の自由と他の人の自由を擁護することです。組織について言うならば、私たちの目指すことは手元のポジションペーパーに書いてあります。これは私たちを取り巻く状況を変革する試みです。第一に、差別や迫害、ヘイトクライムに苦しんでいる人たちに具体的な支援を提供すること。第二に、この状況をもたらすシステムを変革する試みです。そしてそれは可能なのです。先ほど、私たちの原点についてお話ししましたね。大使館へ行った時に、自分たちの価値観に近く、全面的平等という理念を分かち合っていたはずの人たちが、気まり悪く感じ、このことについて話すのを恐れていました。いまや状況は変わりました。もはや、例えば人権擁護活動家のあいだでは、自分がホモフォビアだと公に言うことは無作法とされます——頭の中や、狭い身内の中で言うことは当然あるにしてもです。しかしカメラが回っているところやオフィシャルな会話のなかで公にこういったことを耳にすることはもうないでしょう。直近のロシア大統領選では、ぱっと思いつくだけで2人の候補者の公約の中で、書きぶりは異なりましたが、性的指向や性自認にこだわらない人たちについて触れた項目がありました。[「市民イニシアティヴ」の候補者クセニヤ・]ソプチャークはこのことをオープンに語りはじめた最初の一人ですし、[「ヤーブロコ」の候補者グリゴーリイ・]ヤヴリンスキーの公約には市民連合の要求が記載されていました。

——状況が変わるのに必要なのは、ほんの小さな一歩だけだとよく言われますね。例えば、権力の内部の人間がカミングアウトをしたり、いま一緒に暮らしている人とオープンに暮らすことにしたりすれば、すべてが一挙に変わるでしょう。

それで、あなたはそのような政治家をたくさん知っているのですか——例えば西欧やアメリカででもいいですけれど。

——ええ、それなりに。

しかし、それは未だ例外に過ぎないのです。それは分かっていただく必要があります。だからわたしは、ロシアでそういうことを当てにするつもりはないのです。たぶん、いつかは起こることかもしれません。明日にでも起こることかもしれない。それは分からない。しかし私たちは、「たぶん起きる可能性があること」から自分の行動のプランを立てるべきではない。将来の出来事の確実性を誤って見積もってはならないのです。世界はあまりに複雑ですから、私たちの限られた理性でもって、将来の出来事の現実的な確実性をまともに見積もることはできない。私たちがすべきなのは、私たちが実現を願っている変革が、あたかも絶対に起こるかのように振る舞うこと、ただこれだけです。そこから出発しなければなりません。こうした変革が起こるのか、起こらないのか、私たちには請け合うことができません。私たちが保証できるのは、私たちがそうした変革のために行ったことについてだけです。そういうことです。

——おそらく、わたしの次の質問は不謹慎だと思われるかもしれませんが、それでも質問させてもらいます。時々わたしは思うのですが、軽口・ジョークの出現が、別の段階にそのテーマが移行したということの証明になるのではないでしょうか。アメリカで人種差別問題が解消間近まで行ったときに、そのテーマのアネグドートやジョークを話すことができるようになりました。ユダヤ人問題が、第二次世界大戦中の緊迫し、痛みを伴うような、この上なく困難な段階から、ある程度人間的な段階に移行した時、やはりアネグドートが現れました。LGBTの人たちは、あらゆる問題についてとても真剣に向き合っていますよね。それとも、コミュニティの内部では何かしらの冗談があるけれど、他の人はジョークにしてはいけないのでしょうか? 状況を力の抜けたものにしたら、もうすこし解決の糸口が見えるのではないか、とは思われませんか?

あなたはまた一般化しすぎている。

——失礼にならないように、ことばを選ぼうとしているんですが。

腹を立てさせないでほしい。「LGBTの人たち」というのは、「白人」だとか「黒人」と同じ、抽象的な概念です。ゲイやレスビアン、バイセクシュアルの人、トランスジェンダーの人の中には、冗談で気分を害する人もいますよ。それがトラウマになっているからです。生きる中で、彼らはたくさんの物ごとをくぐり抜けてきた——それもあなたの冗談に笑う準備もできていないような頃からね。冗談に対して、平静に向き合える人もいます。例えばわたしです。しかしわたしも、やはり自分の成長のある段階を通り抜けてきた。コミュニティの内部には、もちろん冗談はあるし、独特のユーモアなどがある。ユーモアというのは、公共のディスカッションそのものの一形態です。しかしそれにあたって、あなたがもし何か他の人が気分を害するようなテーマについて冗談を言いたいと思ったら、そのことで気分を害するような人が近くに誰もいないのを確認することが、あなたの責任です。彼らの権利は、こんなふうに守られなければなりません。

——冗談がどんなふうになるか、想像できますか? まず全員に質問をして、それからジョークを言うというようなことになってしまいます。

それはもうあなたの責任ですよ。ジョークを言ったっていいし、それに対して激怒を買ったっていいし、それをかくあるべしと受け止めたっていいんです。

——ゲイ・パレードやゲイ・プライドというのは、これも冗談の一形態なんでしょうか?

そうです。私たちが他ならぬLGBT運動について話す時、LGBT運動には笑いを含んだ部分が大きいということは重要なことです。例えば、トラヴェスティ・ショウとは、本当に一体何なのでしょう? ゲイ・プライドやそのカーニバル的な部分は一体何か? それには、もちろんジェンダーに関するステレオタイプを笑い飛ばす意味合いがあります。それは可笑しくなければいけません。しかし、なぜロシアでは何人かの政治家のような人たちが、ゲイ・プライドで目にすることに腹を立てるのでしょう? そういう人たちは、腹を立てて激怒しますね——「半裸になったやつらが、女の服を着た男どもが歩いていくぞ、ひどいもんだ!」と。ほら、ここにお互いの冗談への無理解があるんです。しかしまた、多くのゲイやレスビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人たちは、そうした無理解から自分の身を守るための基礎ができているとわたしは思います。

——あなたの予想では、ロシアで最初の自由なプライドはいつ、またどの都市で行われると思われますか?

もう一度繰り返しますが、私たちは先の出来事の確実性を予め見積もった上で、自分たちの仕事や生き方をつくり上げることはできないんです。もしそんなことをするとすれば、わたしはただ座って計算ばかりすることになってしまう。そして有益なことや自分にとって大切なことに割く時間がなくなってしまいます。[自由なプライドは]どこでだって、いつだって、起こり得ます。ロシアは予想しがたい国なのです。

——プライドと[同性]結婚の合法化とでは、どちらが重要でしょうか?

もう一つ別の選択肢を挙げてもいいですか?

——いいですよ。続けてください。

わたしが思うに、こんにち最も大切なことは、私たちの目の前に座っている人が敵だと思い込むことなく、このテーマについて議論を始めること、またこれについて安心して会話をスタートすることです。「私たち」という言葉で言おうとしているのは、LGBTコミュニティもそうですし、権力や、例えば宗教的原理主義者たち、そして正教信者もそうです。まさにこれが、ロシアにとっていま重要なことなんです。公共の議論は、好むと好まざるとに関わらず、すでに始まっています。しかしその議論は、今のところまだ神経質で、アグレッションをはらんだものです。文明的な対話に移行しなければなりません。それでその後のこと——最初に合法化されるのがプライドか、結婚かなんていうことは、それほど重要なことではありません。

(了)

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