オンラインゲーム「ШХД: Зима / It's Winter」クリエイターへのインタヴュー

3月に、ロシア関係のメディアで「ШХД: Зима」(ShKhD: Zima / It's Winter)というゲームについて報じられました。日本語では「ロシア・ビヨンド」が報じているほか、ロンドンベースのポータルCalvert Journalでも記事が公開されました

このゲームは、特に何も起こらないことが特徴で、プレイヤーは人けのないロシアの典型的な団地のなかでただ「生活をする」(目玉焼きを焼く、トイレに行く、ゴミを捨てる…)というだけのゲームです。それだけなのに、なぜかこんなに胸を掻きむしるような切なさ、ポエジーを感じる……。クリエイターは、イリヤー・マゾ(Il'ya Mazo / Илья Мазо)という詩人で、このゲームは彼のШХД: Зимаプロジェクトの一環だそうです。プロジェクトについてはインタヴュー中でも言及されていますが、本、LP、ショートフィルム、戯曲を含むマルチプラットフォームなプロジェクトだそうです。

とにかく最高だとおもったので、Strelka Magに掲載されたイリヤー・マゾのインタヴュー記事を翻訳してみました。この友だちが少なそうな感じもまた最高で…。

ゲームはここからダウンロードすることができます→Steam
イリヤー・マゾのウェブサイトはこちら。文中で触れられている動画なども見ることができます。→http://iliamazo.ru

「ШХД: Зима / It's Winter」クリエイターへのインタヴュー。「幽霊になったら、ぼくは人が爪を切っている様子を見ていたい」。(2019.3.15)

〇記者からの注目

ゲームの成功は、かなりおかしな話なんです。2ヶ月前、ぼくはすごいミュージシャンたちとヴィデオ撮影を始めました。Hadn Dadnヴェーラ・サージナユーリャ・ナカリャーコワ、そしてSynecdoche Montaukといった人たちで、ぼくの詩を日用家具の音にのせて歌ってくれました。ぼくには3千人のフォロワーがいるのですが、それでもこのゲームを世に出した時ほどの反応はありませんでした。このヴィデオクリップを、ぼくは有名な監督のアリーナ・フィリッポワと一緒にペテルブルグで撮影しました。かなり労力を傾けましたが、まったく反応がなくて、「いいね!」が9個付いたくらいでした。そんなことがあってから、ぼくはこんな投稿さえしました。「ぼくはめちゃくちゃにされてしまった。きみらはこれからもアートを無視してくれればいい」。この投稿の方が、12倍も多くの「いいね!」がありましたね。
しかし、ぼくらのゲーム、これは手慰みでつくった冗談なんかではありません。2年間これに取り組んで、それからぼくと開発者のサーシャ・イグナートフは成功も大金も期待していませんでした。ゲームがバズったのはすごいと思います。その効果が3日間しか続かなかったとしてもね。
ぼくとサーシャは、二人三脚でこのゲームの開発に打ち込みました。どっちがメインで、どっちがサブかということはなかったです。ぼくらは2人とも、アイディア的な部分と技術的な部分に取り組み、スケッチを描き、アイディアを交わしました。ぼくらが連絡を取り合うそれ以前に、もうサーシャの頭にはゲームのプロトタイプがありました。それは、ヒッキー(引きこもり)のシミュレーターで、部屋から一歩も出ないことを求めるものでした。


〇プロトタイプとディテール

部屋の内装は、サーシャが寮の部屋を思い出してつくりました。サーシャは何度も寮生活の経験があるんです。似たようなキッチンとか部屋は、サーシャの他のゲームの中にすでにありました。屋外[のモデル]は、ペトロザヴォーツクのクッコフカ地区にあります。サーシャがよくそこに行くんです。ぼくらはお互いに、ゲームの中で見たいものの写真を送り合いました。例えば、サーシャのプロトタイプでは、家から出るとすぐに道路に出ていました。モスクワにあるぼくの家は、出口が中庭に面しています。それでぼくは出口を中庭に面したものにすることを提案したんです。そこをぶらぶらできるように。
何か具体的な家をつくるつもりはありませんでした。でも、ゲームの中にはリアルな要素もあります。24時間営業のスーパーや美容室「エリーザ」は、実際にぼくの家の隣にあります。その他に、停留所を付け足そうと決めましたが、普通の停留所にはしたくなかった。きれいな停留所、奇妙な停留所はたくさんありますから。サーシャはぼくにこんなふうな停留所の夏の写真を送ってきて、ぼくらはそれをつくろうと決めました。ただし、雪と一緒に。わかったことは、[停留所の]形のおかげで、停留所の屋根から雪は落ちないということです。つまり、現実世界において、停留所については間違って考えられているということになります。


〇ゲームへの反応

ゲーマーから寄せられるコメントは、2種類あります。ある人たちは、雰囲気に感激して、すごい、美しい、と言います。別の人たちは、「どうして毎日見ているようなものを見て喜ばなきゃいけないんだ?」と憤ります。
実際のところ、それこそこのプロジェクトの核心です。つまり、ぼくが毎日見ているものこそ、ゲームやアルバム、詩の中に描きこまれているものなんです。毎日目にしているようなもののせいで、人はぼくらに対して怒っているということになります。
それからコメントで聞かれることとして、「どうしてプロットがないのか? どうしてもう10棟くらい家をつくらないんだ?」というのがあります。しかしぼくらは、細かいディテールに集中していたんです。例えば、ゲームの中に花火が出てきますが、これはプロットよりも重要なんです。よく考えてみれば、花火の背景にも丸々一つの物語が潜んでいます。花火の隣に空のウォトカグラスがあるのですが、ということはつまり誰かがウォトカを飲んで、花火を燃やして、出て行ったということです。これは悲劇です。ニュージーランドの中庭では起こりえない悲劇。


〇プレファブ団地の美学

ゲームをリリースしたときに、5つの広告を打ち、「Panel'ki」「OKO」「Estetika...」「Storona」「一日一日、もっと楽しく生きる」といったメディアにレヴューをお願いしました。しかしプレファブ団地を美学の対象とするというテーマには、まだ一人としてたどり着いていません。ロシアのミュージシャンのなかでは、このテーマはいまも、そしてこれからもアクチュアルなものなのですが。
作者としてぼくが思うのは、これはすでに使い古されたテーマだということです。多くの人が、ぼくらのゲームはプレファブ団地、フルシチョフカのシミュレーションだと評しています。しかし実際のところ、これはロシアの冬のシミュレーションなんです。そのとおり、ぼくらはみなこのような場所に住んでいるわけですね。サーシャが目にする家であり、ぼくが毎日行く店たち。適当に考えられたわけではありません。
人を魅了する美学は、ぼくらが毎日目にするもの、そしてそこから逃げ出したいと思わないものと結びついています。ぼくの父はゲームの説明を読んで、ぼくにこう書いてきました。「イリヤー、このもの悲しさ(toska)はどうしたことだい? 海についてのゲームをつくればよかったじゃないか」。ぼくはこう返事しました。「ぼくは海岸に住んでるわけじゃないからね」。見た感じではもの悲しいとはいえ、それでも心からこれを好きになることはできます。


〇ロシアの「たすか」(*)について

(*)toska (тоска)は、悲しさや喪失感、退屈からくる、もの悲しくて、せつなくて、やり切れない気持ち。

「ジャンル」の欄には、冗談で「Russian toska」と書きました。何かしらのジャンルが必要だったので。これ以外は全部クリシェです。「散策(brodilka)」と書いてしまうと、「これは散策なんかじゃない」と怒られるでしょう。「Russian toska」はジョークに対するジョークであり、その「たすか」がずっとああだこうだ言われているのに対するジョークです。ロシアの「たすか」を理解し、外国人に説明するためには、ドストエフスキーを読まなければいけません。ぼくは彼が天才だと認めますが、好きではないです。ぼくには分からないんです。どうしてロシア人は、自分が暮らしているところや、ぼくらが感じる感覚について読むことができるのでしょう。フォークでもって「たすか」に傷をつけたり、ほじくり回したりするようなものじゃないですか。
ロシア人が何よりも自分自身を好きになれないということは、よくあることです。ロシアの「たすか」は、ぼくの考えでは、永遠に何かがもの足りないという感覚です。人は、自分自身が一つの大きな家族のなかのみなし児だと感じる。彼らのいるべき場所がないんです。『無根拠礼賛(Apofeoz bespochvennosti)』の中にレフ・シェストフの居場所がないように。
そう、これこそがロシア人の置かれた状態なのだとぼくは思います。つまり、ぼくらが持っていない何かに対するいわく言い難い憧れ、です。
外国の人には可笑しく感じられるでしょう。ぼくらのところでは、建築も違うし、生活の条件も違うのです。アメリカ人にしてみれば、こんな部屋のなかで暮らすことはもの珍しく感じられるでしょう。ぼくらにとっては、インディアンの住む小屋のシミュレーターで遊ぶようなものです。ぼくはちょっと窃視症的なところがあるのですが、と言っても性的な意味ではなく、人が暮らしている様子を見ることがぼくには面白い、という意味です。もし幽霊になれたとしたら、人が会話している様子とか、何をしているかとか、どんなふうに爪を切るかというようなことをぼんやり眺めていると思います。


〇モスクワで暮らすことについて

ぼくはモスクワで生まれたので、プレファブ団地がいったいどんなものであるのかはよく知っています。[モスクワ・メトロの]マラヂョージュナヤ駅のあたりとクルィラーツコエ地区で育ち、ミーチノ地区でも長く暮らしました。学生のときは、メトロの「大学」駅のあたりに住んでいました。その後6年間、ロシア各地の都市に行きました。ヴォーログダ、キーロフ、ニージニー・ノヴゴロド、それからコヴローフです。ニージニー・ノヴゴロドは、すっかり気に入りましたね。ぼくが初めてモスクワからノブゴロドに行ったときに、ロシアの中でぼくがいったい何者であるのか分かったのです。
ぼくが今住んでいるVDNKh駅近くの部屋は、快適です。3メートルの天井と、部屋が2つ。昔ぼくの祖母が住んでいたのですが、亡くなりました。隣家がとてもうるさくて、防音もひどいのは、そのとおりです。だから隣の人が子どもに罵詈雑言を吐くのが聞こえるんです。これには困りました。その男のところには何度か行きましたし、警察を呼ぼうかと思うこともあります。でも何もできないんです。ところで、ぼくの劇でいちばん激しいシーンの一つが、壁の向こうから聞こえる言い争いです。
それからぼくの部屋からすぐ近くに、プチャーエフ池とソコーリニキ公園があります。毎日そこに行っています。VDNKhの方向から行くと、人けのない森があるのですが、そこは雪があって明るく、夜中の2時にはまったく誰もいません。「ShKhD: Zima」の多くの部分が、そこで生まれました。時どき森に行って、雪のなかに横になって、空を見つめるんです。


〇詩と音楽

ゲーム「ShKhD: Zima」は、同名のプロジェクトの一部分です。2016年にぼくはサッヴァ・ローザノフのプロデュースで初めてのアルバムをリリースしました[*ИльяМазо名義でアルバムПредметельные дниをリリースしている]。特段の成功はありませんでしたが、反応が大きくなって、モスクワとペテルブルグで何度かライヴをやりました。そのあとぼくは結婚したのですが、これはぼくの生のうちで最良の出来事の一つでした。1年半くらい前に、ぼくはひどい病気に罹って、足を動かせなくもなりました。ある時ふと目覚めたら、ぴくりとも脚を動かせなかったんです。背中の病気のせいです。治療は長いことかかり、鎮痛剤をたくさん飲んで、ほとんどずっと立ったままでした。病気のせいで座ることができなかったんです。
そのあと、ぼくは真剣に音楽をやろうと決めました。教育を受け、音楽の教養を学びはじめ、同時に「ShKhD: Zima」プロジェクトを開始しました。毎日Telegramの公開チャンネルで詩を書いていました。ネットに上がっているんですが、フォロワーはたった一人で、つまりぼくしかいません。
1年半で公開された詩はたくさん貯まりましたが、誰の目にも止まらない。広場のど真ん中に立っているのに、誰もぼくのことに気づかないような感じです。
そのころから、プロジェクトの方もスタートしました。公開ページのインターフェイスを変え、タイトルを替え、プログラム言語を使ってつくった予告篇を公開しました。コードのなかに詩を仕込んでおいて、動画の終わりには「ShKhD: Zima」と書いてあるものです。
1週間後に自分の詩集をオープンアクセスでアップロードし、読みたい人は誰でも読むことができました。たしか、ぼくの母も含め5人がそれを読んだようです。その後、「Zima」は実現しはじめました。1週間に2度、ヴィデオをアップしました。ポエティックな新しい潮流のミュージシャンたちに、様々な日用品の音のバックグラウンドで、ぼくの詩を一つ歌ってもらいました。家電の音の後ろで心地よいコラールが流れる。どれも似たり寄ったりになるのが怖かったのですが、可能な限り率直で、多彩な結果になりました。詩には韻律が内包されていますが、[このとき]第二の生を獲得したんです。
その後、アニメーション詩が公開され始めました。本の挿絵にぼくのテクストをつけて、アニメーションにしたんです。例えば、「眠りすぎたタクシー運転手」という詩には、一見して悲劇はありません。しかしアニメーションを見ていると、フロントガラスに撃たれた跡があることがはっきりしてくるんです。1月に詩の形式でアルバムをリリースしました。脱構築されたロマンスです。これについては、様々な音楽メディアが報じてくれて、よいリアクションもありましたが、でも予想していた最悪のケースになってしまいました。


〇冬の終わり

演劇が、「ShKhD: Zima」の完結部に当たります。3月28日、冬の終わりとともに終わります。ぼくらがこの形式を選んだのは、演劇というのが音楽的・詩的形式の表現だからです。実際のところ、ぼくはこの言葉が嫌いですが、これは「ミュージカル」なんです。ミュージシャンが出演して成り立っていますが、ただのコンサート(ライヴ)というのではなく、内的ロジックを持った上演です。完全な失敗が起こるか、あるいは誰もそこから生きては帰ってこれないか。
ロシア連邦における冬は、2月28日では終わりません。今、窓の外には何があります? なぜ雪があるんでしょう? プロジェクトには、いくつかうち鳴らされているリズムがあります。カレンダー的なリズムではなく、心臓のリズム(脈拍)です。
2月28日に春が訪れるという予報を信用すれば、鬱が待ち受けているということになります。しかしもし4月15日まで、結局夏が来るのだという確信をもち、そして少しだけそれを期待していれば、すべてうまくいくんです。

(了)

*出典:«Если бы я был призраком, то смотрел бы, как люди стригут ногти»: Интервью с создателем игры «ШХД: ЗИМА» на сайте Strelka Mag (15.3.2019).

Текст переведен с разрешения редакции Strelka Mag. Спасибо вам за любезность!

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