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みんなが「視覚言語」を使って、自分の考えを自由に表現できる未来に|清水淳子 #3

グラフィックレコーダーとして、紙とペンで人々の対話や議論を可視化することを研究・実践している清水淳子さん。昨年ヤフーを退社し、今は多摩美術大学講師、東京藝術大学の大学院生、フリーランスという三足のわらじで活動しています。なかなかグラフィックレコーダーが仕事になると信じられなかった清水さんが、会社を辞めたのはなぜだったのでしょうか。そして、グラフィックレコーディングを含めた、「視覚言語」の可能性とは。

清水淳子
1986年生まれ。2009年、多摩美術大学情報デザイン学科卒業後、デザイナーに。2012年WATER DESIGN入社。横断的な事業を生むためのビジネスデザインに携わる。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。同年、UXデザイナーとしてYahoo! JAPAN入社。現在、東京藝術大学美術研究科 情報設計室と多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として議論の可視化を研究。著書に『Graphic Recorder ―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書』がある。

イノベーション疲れにより、いったん就職

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――2013年から「Tokyo Graphic Recorder」として活動を始められた清水さん。そのままフリーランスになる道もあったと思うのですが、同年12月にヤフー株式会社に入社されました。

WATER DESIGNというデザイン会社で働いていたときに、企業の事情で案件がだめになることが何回かあったんです。それで、「企業の事情ってなんだろう」と思ったんですよね。企業の中ではどういうことが起こっているのだろう、と興味がわきました。1社目のWeb制作会社は30人くらいの小さな会社でしたし、WATER DESIGNも10人足らずの会社で、大きな会社で働いたことがなかったんです。だから、大きな事業会社が、どういう仕組みで動いていて、どんな仕事をしているのか知りたかった。
あとは当時、自分の中で「イノベーション疲れ」みたいなことが起こっていて。

――イノベーション疲れ、ですか。

見えない未来に向かってあれこれトライすることに疲れてきた時期だったんです。だから、大きな会社の一社員として役割を全うするような生き方をしてみたいと思いました。

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――副業でグラフィックレコーディングを自由にやらせてくれそうだったから、とかではないんですね。

このときはもう、たくさん依頼をいただいて、大きなイベントでグラフィックレコーディングをさせていただくことも多かったんですけど、私はまだ、仕事としてのグラフィックレコーディングをあまり信用していなかったんです。みんなは「絶対仕事になるよ」って言ってくれるけど、他人事だから言えるんだろうなと。「こんなサーカスみたいなことやり続けられるのか?」みたいな(笑)。

――やっている本人としては、見世物感があったんですね(笑)。

そうそう。もちろん単なる見世物ではなく、グラフィックレコーディングをすることでなにか別の作用が生まれていることは薄々わかっていたんですけど……。やっぱり、かたちのない職業や働き方を追うことは、けっこう勇気がいることなんですよね。だからこのときは、グラフィックレコーディングはほそぼそと趣味として続けられたらいいな、くらいに思っていました。

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――でもだんだん考え方が変わってきた。

自分というより、周りの反応が変わってきたという感じでしょうか。2014年のはじめ頃に、『ブレーン』の「ニュークリエイター」という特集で取材を受けたんです。『ブレーン』といえば、私にとってはそれこそ憧れのグラフィックデザイナーやプロダクトデザイナーがたくさん登場する雑誌。その雑誌が、私を「ニュークリエイター」と思ってくれるのか、と。

――「グラフィックレコーダー」が社会からどう見られているのかがわかったんですね。

私はけっこう、人の反応を重視しているんです。それは人の目を気にしているんじゃなくて、投げたものがどう返ってくるかを評価の手がかりにしているというか。

――水中の物体を、音波を利用して探知するソナーみたいな。

そうそう、そうなんです。メディアをけっこう反応の指標にしていて。『Web Designing』や『WIRED』などの雑誌も取材をしてくださったので、これはけっこう可能性があるのではと思いました。
私にとっては、感度の高い人も反射物。投げたものに対して、あの人がこう言うのだから、きっとおもしろいんだろうなとか、こっちの方向は正しいんだなとか。

新卒の就活でも、「議論の可視化が得意です」とアピール

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――これまでのお話でも、「人前で描いてみる」「グラフィックレコードを吊るしてみる」など、清水さんは半信半疑だけれど、周りの人がおもしろいと言ってやってみたことが転機になっていましたね。

そうなんです。自分では自信がもてなくて、「人前で描くのってダサくない?」と思っていましたから(笑)。グラフィックレコーディングをいけてない行為にはしたくなかったんです。どんなにギャラが良くても、なんとなく呼ばれていって、その場に求められてないことをするのは、デザイナーとしての美意識に合わない。仮に運営が盛り上がってくれても、オーディエンスがしらけていたらだめなんですよね。だから会場の参加者の反応や、その後のメディアの反応、全体を見て、だんだん「グラフィックレコーディング、いけるかも」と思えてきました。

――なぜグラフィックレコーディングは、周りやメディアの反応が良かったんだと思いますか?

10年前に多摩美の情報デザイン学科で学んでいた、当時はよくわからなかったことに、時代が追いついてきたんじゃないでしょうか。生活者視点では、ガラケーからスマホへという大きな変化もありました。
かつては、個々の専門だけで産業が成り立っていて、領域をつなげる人なんていらないと思われていた。でも、今までにないテクノロジーが生活の中に入り込んでくると、それに限界がきてしまった。新しいものを生み出すためには、何者でもないポジションの人が必要。そうしないと、ギスギスして社会も組織もまわらなくなってきたのだと思います。

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――清水さんがやっていることは変わらないけれど、時代や社会が変わってきた。

だって私、就職活動のときのエントリーシートなどに、「議論を可視化するのが得意で、私がいると会議がうまくいきます」といったことをアピールポイントとして書いてたんですよ。

――まさに、グラフィックレコーディングじゃないですか!

そうなんですよ。今と同じ。でも、企業にはガン無視されました(笑)。「だから何?」って感じだったんでしょうね。今、就活で学生が「議論を可視化するのが得意です」って言ったら、「それいいね」とか「あ、なんか見たことある」ってなると思うんですよ。だから、社会や企業、人の価値観が変わってきたんだろうなと思います。

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――そして、2018年1月にはヤフーを退社された。今はどういうかたちで活動されているんですか?

三足のわらじを履いています。一つは、大学院生。2017年に入学した東京藝術大学情報・設計研究室で研究を続け、修了を目指しています。今、学生時代に習っていた須永教授の指導をまた受けているんですよ。

――「情報デザイン学科で学んでいることがわからない」と直訴したら、「10年後にわかるよ」とおっしゃった須永先生。多摩美術大学から藝大に移られたのですね。

今、10年越しの伏線を回収しています(笑)。先生にも正直に言ったんですよ、「10年前にはわからなかったです」って。そうしたら、先生は怒ることもなく「そうか、学生はあの授業を理解するのに10年かかるんだな」とおっしゃって微笑んでいました。生粋の教育者で研究者なのだと感じました。

「それ、どこに書いてるの」と言われて、研究を始めた

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――先生の学びにもなっていますね(笑)。実践的にやっていたグラフィックレコーディングを、あえて研究しようと思われたのはなにかきっかけがあったんですか?

グラフィックレコーダーとして活動を続けているうちに、だんだんテレビで使ってもらう機会が増えてきたんですよね。良いコラボもありましたが、あるテレビだと、グラフィックレコーディングは大道具の一部というか、事前に決められたことを描くだけという、本来のグラフィックレコーディングとは違う使われ方もされていました。もしかしたら「おじさんが討論している後ろで、女性が絵を描いている」みたいな絵面が欲しいだけなのかもしれない、と思うこともあって。

――華を添えるために使われてしまう。

グラフィックレコーダーが職業として確立しているのならいいんですけど、まだ生まれたての職業に変なイメージがつくのは嫌だなと思ったんです。そこで、違和感を感じた番組の担当ディレクターの人に電話して「グラフィックレコーディングってそういうものじゃないんです。議論を活性化する効果があって……」と直接訴えました。そうしたら、「それ、どこに書いてあるんですか」って聞かれたんですよ。で、「あ、どこにも書いてない!」と。

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――日本にはこれまでなかった職業だから。

グラフィックレコーディングの意義や効果については、Wikipediaにも書いてないし、協会もない。参照するところが何もなかったんですよね。私のブログにちょっと書いてあっただけ。当時はまだ、本も出ていませんでした。だから、ちゃんとまとめる必要を感じて、研究することにしたんです。

――三足のわらじのうち、あと2つはなんですか?

2つ目は、母校の多摩美術大学で情報デザインを専任講師として教えています。3つ目は、フリーランスとしてグラフィックレコーディングを実践していきます。
藝大を卒業したら、もう少しフリーランスの仕事を増やしたいですね。きっと、グラフィックレコーダーも、イラストレーターのように一般的になってくると思うんです。そうしたら私は議論の可視化だけでなく、もう少し広い視点をもったデザイナーとして、いろいろなプロジェクトに関わりたいと思っています。

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――では、今後は清水さんの他にもグラフィックレコーダーがたくさん出てきて、会議を可視化することが一般的になっていくのでしょうか。

そうなるかもしれませんが、それも途中段階だと思っています。最終的にはグラフィックレコーディングが、絵でまとめるのがうまい人だけがやる行為でなくなればいいな、と。カラオケみたいに、そこにいるみんなが参加するようになるのが理想です。「この歌はこの人」とマイクをまわすみたいにペンをまわして、いろんな人が視覚言語を活用して描いていく。
「人間」って字で書いても驚く人はいないけど、今は人の絵を描くとちょっと「おっ!」ってなるんですよね。それってまだ、一般的じゃないからなんです。みんなが絵と字を組み合わせて、自分の考えを自由に表現できるようになるといいな、と思います。そうすると、世界のあらゆるところで行われている会議やミーティングがもっと生産的に進んで、大きく対立していた組織が前向きな合意に至ったり、世界を変えるようなアイデアがバンバン出てきたりするかもしれない。そうなったらおもしろいですよね。


■「10年後にわかるよ」と、情報デザインの教授は言った|清水淳子 ♯1

■きれいに描かないことで、会話が生まれていく|清水淳子 ♯2

■絵と文字で人生を可視化。未来への一歩が見えてきた|清水淳子 ♯4

この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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