肉を食う

地元のお友達と久しぶりに会ってお話をした

バイバイしてからこう連絡がきた

ごっちゃんの言葉は私の中でかなりデカかった

聞かなかったら気づけないままだった


そんなことを言っていただけて大変光栄です。

今までだったら、すごく嬉しい、もっと役に立ちたいそう真っ先に思うだろう

もちろん今もその気持ちはある

でもなんか、大変光栄です。なんだよな、いまは


人と話していて、特に相談のトーンのときは、自分すっごく偉そうなこと言ってるなって何分かに一度考えてしまう

きっと自分が人に言っているアドバイス的なものを、全然自分に落とし込めていないからではないかと思う

口先おばけだ


やりたいことがあるから、自分はまだ何者でもないから、安定してないから、自立してないから、地に足ついてないから、

そんな状態で恋愛をするから、うまくいかないんだ、どこか依存しちゃうんだ、きちんと自立してからじゃないとしちゃだめなんだ


彼氏のあれこれが気になってしかたがなくて不安でしょうがないと言う子に、上記の一部をかもね〜的に言った

最近自分がたどり着いた答えに近いものだったから


でも本当にそうか?と思えてきた

何かうまくいくとすべてうまくいくみたいな、そういう気の流れみたいなものはあると思う


でもまずシンプルに友人の前では、自分がどうあるべきみたいな、そんなこと考えない

自分の弱い部分を見せたとて、まさか関係が切れるとか、嫌われるとかそんなこと思わないんだろう

女同士のタテマエも意外とあるかもしれないけど、こういうことが不安で、、みたいな話をお互いにわりと延々とできる

全然自立してる感覚はない

それでも連絡をくれる、遊んでくれる、応援してくれる


大切な人には男女変わりないはずなのに、なにが違うんだろう

なにをそんなかっこつけ(もしくはかわいこぶる)なきゃいけないんだろう


彼女や奥さんがいるのにいないと嘘をつくとか、年齢をサバ読むとか、恋人はいるけどあなたが好きだよっていうピエールエルメかなんかだけくれて、確信的なことは言ってくれない、一番欲しいたったひとりの彼女という称号は与えてくれない
とか


私はその手のぶりっ子はできない(その手じゃなくてもできない)
嘘がつけないからただ緊張して空回りはするけど

着飾るとしても、ワンピースを着て普段つけないアクセサリーをつけるという、女の子にとっては基礎中の基礎みたいなことしか


そういう一時の遊び、スリルみたいなものは、人を使わないでくれよ

だいたい使われてしまう人は、優しくて、人を信じやすくて、傷つきやすい人だ

クラブに行ったり、お酒を飲んだり、ギャンブルをやったり、勝手にやってくれよ頼むから



私も自分自身ではだらしないことだらけだ

やめたくてもやめられない

動きたくても動けない

そんなことばかりで、そんな自分には、やめろよ、やれよだけなんだけど


人を使う人の気持ちはわからない

どうして?なんで?が止まらない

好きな人には特に自分のどうして?なんで?を押しつけてしまう

好きだから、同じ考えでいてほしいのかな

情熱を向けることには一直線になってしまうから、

それでいうと私も人を使っているのかな



ただ迷いたくない

聴くことも全力でするけど、

やっぱり人に対して不誠実、不真面目にはとても潔癖だ



これからもきっとこの壁にあたってしまう

特に恋愛に関しては、経験が増えないまま、譲れないものが増えていく


成長ってなんだろう

いろんなことを許容することだろうか

諦めることだろうか

悲しい

そんな成長は悲しい


おかたい

そういう考えがまたかたい

今はスーパーおっかたいガンコ石だ

それを溶かしてくれる熱い人なんてそりゃなかなかいないわよ

しかめっ面になってるのもわかって、

眉間のシワがお習字のトメみたいに紙が破れるくらいくっきり濃くなっちゃってる



ふわふわになる日が来るまでこれに耐えるぞ

無理にはモードを変えようとしない



いまはきっと生理前モードだから












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