拝啓

拝啓「恋愛のできない僕たちへ」

平成が終わるまでは無料で公開します。
令和以降は有料(300円)で紹介します。
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(5/1 0:04) 令和になりましたので有料とさせていただきます。
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(11/4)文章を加筆、修正しました。


「え!?人生で一度も彼女いたことないの!?」

きっとこの質問はおそらく僕の人生の中で、少なくとも過去5年の間には、最も多く投げかけられた質問だ。

別に隠しているわけではなかったが、僕は25年間生きてきて一度も「彼女」という存在がいた経験がない。出来なかった、と言ったほうが正しいか。

別に必要とも思わなかったし、友達といる時間のほうが楽しかったし、まぁ理由はいくらでもある。

...この発言をするたびに色々な憶測を語られる。

「またまた〜。ホントは海外にいるんでしょ?」
「あーなるほど。固定は作らない派か。」
「まじか…そんなモテそうなのに勿体ない…」

そう言ってもらえること自体はすごい嬉しい。一般的に「彼女がいる」という事実はその人が魅力的に思えるというステータスの現れなのだろうから。…ただの、チャラ男に見られている説も否定しきれないが。


しかし、僕は常に違和感を覚えていた。

余談だが、僕のストレングスファインダー上での「コミュニケーション」は上位に位置する。なので、その程度の『ちょっとしたジョーク』を笑顔で受け流すなど造作もない。

今でこそ自分でもネタとして「いやー、彼女いたことないんですよー」と言っているが、自分自身でも”ある種のモヤッとした感情”は一切消えることはなかった。

そして、その「モヤッ」が何なのか全く理解できずにいた。

そんな中、とある飲み会に誘われて参加した。
話題はいつもの通り『恋愛話』に。
あぁ、またこの話か…という感情を

「いつものように」抑えつつ
「いつものように」程よく語りつつ
「いつものように」うまく核心は避ける会話を続けた。

「いつものように」じゃなかったのは、それを聞いている人だ。

プロゲーマー社長のCJ社長さん(@CaptainJackSan)に言われた何気ない一言が、深く僕の心に突き刺さった。

「それ、多分アセクシャルちゃう?無性愛者ってやつ」

…アセクシャル?僕は聞きなれない単語に耳を傾けた。


最近では『LGBT』という単語を聞いたことがある人も増えたことだろう。

改めて説明をするとLGBTとは

◆Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)
◆Gay(ゲイ、男性同性愛者)
◆Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)
◆Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)

の頭文字をとった単語でセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称を表す。

最近広まりつつあるこの言葉ではあるが、きっとまだまだ浸透率は低いのが現状だ。しかも、これにはどうやら続きがあるらしい。

それが『LGBTQIA』というものだった。今回、僕が頭を悩ませる原因となったもの。

頭文字の羅列だけ取って、それっぽい言葉を伝えようとしているが普通に分かりにくい。なんだ、不規則なアルファベットの羅列は。知って欲しいのか隠したいのか。

◆Questioning(クエスチョニング、性別がわからない人)
◆Inter-Sex(インターセックス、男女両方の身体特徴を持つ人)
◆Asexual(アセクシュアル、恋愛感情と性的欲求を抱かない人)

この世は多様性に満ちている。僕も海外は長いおかげで、他の日本人より『LGBT』に対して寛容だと思う。というか、いちいち反応したりしない。否定も擁護もする気は無い。誰が誰を好きになろうと、『本人たちが幸せで』『他人に実害を与えていなければ』そこは僕が気にする範疇では無い。

しかし、自分が当事者かもしれない、となったら話は別だ。他人事では済まされない。なんだかんだで当事者意識を持てるのは当事者だけだと思い知らされた。

名前すら知らなかったその価値観を
当事者となった僕はとりつかれるように調べた。

自分の過去と照らし合わせながら。

ひとつひとつ答えあわせをするように。


…先にネタバラシをしてしまうと、おそらく僕は『完全なアセクシュアル』では無い、と思う。そもそも『アセクシュアル』自体がまだまだ明確化されてないのに、完全も不完全も無いのかもしれないけど。

ここで、僕が参考にした『アセクシュアル』の気持ちをアウトプットした漫画があるので紹介したい。

以下のツイートをクリックすると、大体35P分の『アセクシュアル』についてまとめられた漫画が掲載されている。興味あるかたは是非ご覧いただきたい。

読んでない方のために簡単にまとめるとこうだ。

【アセクシュアルの価値観】
◆他人に恋愛感情を抱いたことが無い
◆でも異性にトラウマも苦手意識もない
◆他人の『好意』に対して極端に鈍感
◆人として好き。でも『好かれる』のは辛い
◆世間一般で言う「デート」は普通に行ける
◆でも、ドキドキするわけじゃない
◆相手は自分のことが好き、らしい
◆でも、その気持ちを共有できない自分に嫌気がさす
◆「人として好きなんだし付き合ってもいいんじゃ?」
◆「自分のことを好きになってくれる人を逃すなんて…」
◆「勿体無い…?…なに、”勿体無い”って…」
◆そんな打算的な自分に嫌気がさしてくる
◆『恋人が欲しい』じゃなく『誰かを好きになりたい』だけ
◆そんな「アセクシュアル」にも十人十色

グサリ、と。胸を何かが貫いた。…過去、思い当たる節しかなかったんだ。

正直目を伏せたかった。別に好きな人だっているし、彼女がずっといなかったとは言え、人並みに恋心を抱いてきた…と、思っていたから。


多忙な日々の中、感情を押し殺し、言葉の通り『心を亡くし』ながら生きてきた僕の25年間の中で。向き合うタイミングなんてなかった。

ちゃんと向き合おうと、してこなかった。
向き合うつもりすら、なかったのかもしれない。
そうすれば、自分が傷つくこともないから。

だから、”機会”を避けていたのかもしれないな。


それは唐突に訪れた。
4月29日。『令和』という新元号を迎える2日前。

#ポエトリーリーディング という未開の地に挑戦することになった。

ポエトリーリーディングについてここでは言及を控えるが、簡単に言うと

自分の心の吐露を言葉に乗せるアート

ものだと、僕は解釈している。


きっかけは僕がるってぃさん宛に綴った一通の返信。

画像1

多分20分くらいで出演が決まった。

正直「新しいことに挑戦する」なんて僕にとって特別な意味なんてなかったけど、今回は始める前から妙な胸騒ぎを覚えた。

ポエトリー。心の吐露。自分の心が叫びたがっていること。
普段は蓋をしてしまっていた、『あの感情』


なんの因果か平成の最後に気づいてしまった『あの感情』を
僕は、止めることができなかった。

自分をごまかし、騙し、欺いて生きてきた『あの感情』を
今度ばかりは、目を反らせなかった。

以下の内容は当日に紡いだポエトリーの原文だ。

【恋愛に臆病な僕たちへ】

「今まで本当に彼女がいたことがないの?」
自分に聞かれることの中で最も多い質問だ。


いつからだろう。この質問に笑顔で答えられるようになったのは。
いつからだろう。「彼女がいない自分」が当たり前になったのは。
いつからだろう。自分の心を偽ることに…なんの抵抗もなくなったのは。



恋愛は、きらびやかなものらしい。
世の中には、ドロドロした話が溢れているけど。

恋愛は、人生を豊かにするものらしい。
自分1人で、すごい豊かな日々を過ごしているけど。



人を好きになったことがないわけじゃないし
一緒に居たいと思える人も、もちろん居た。



でも、それだけだ。



「臆病」なのか「自己防衛」なのか
結局のところ、本質は自分の中にしか存在しない。

リスクのある恋愛をするよりは
うまくいっている片思いが絶対楽しいに決まってる。

感情の波が激しくなってしまう『アイジョウ』よりは
距離感の心地いい『ユウジョウ』のほうがいい。




人を好きになるとかならないとか
恋人が欲しいとか欲しくないとか
1人で居たいとか誰かと居たいとか



そんな陳腐な恋愛の悩みは
100万回と繰り返してきたんだよ。




結局答えの出てない、無限回廊を歩んでるだけ。
ひとりではできないことなのに、勝手にひとりで悩んでる。



そこから脱する道はただひとつ。

「恋愛をする」ことなんだと思う。
矛盾してるけどね。



恋愛に臆病な僕たちへ。


ポエトリーをやることになったのは、数ある偶然が重なり合った必然だったのかもしれない。

もしくは、『あの感情』とは平成時代で決別してやるとでも思っていたのだろうか。

このnoteでは、自分の恋愛観を大きく変えた2つの事件について赤裸々に共有しようと思う。

ただ、単純に。綴るだけだ。

誤解のないよう先に記載しておくが、僕はこのnoteを通して「LGBTQIAに理解ある世の中を」なんて1ミリも感じていない。

むしろ、申し訳ないがいわゆる『人とは違う価値観』は大なり小なり批判されるのは仕方ないとすら思っている。少数の当事者が生きやすくしようとしても大多数のそれ以外の人の意識が変わらなければ思考の統率なんて、天地がひっくり返っても不可能だ。

ただ、一度開いてしまったこの感情を、どうしても自分だけで消化することができなかった。

ただ、ひたすらに書きなぐる。感情のまま。事実のまま。

僕のポエトリーリーディング。
文字版だけど、第二部を聞いて欲しい。


流石に本音が過ぎるので、有料で公開する。有益なことは何もない。見たい人だけが見てくれていい。ただの自己満足だから。

ほぼ脚色なしの実話だけど、小説みたいに楽しんでくれたら幸いだ。


また、日頃からツイッターで仲良くしてくれている友人たちは違和感にお気づきかもしれないが、ここでは本音を淡々と話すため『タメ口』で執筆することを許してほしい。


振り返ると、自分の価値観は常に同じだった

先に述べた『アセクシャル』という言葉自体はつい最近知ったばかりなのだが、恋愛に限らずあらゆる行動において『アセクシャル』的な思考回路が基盤となっていたような気がする。

それをうまく言語化する術を持ち合わせていなかっただけで、きっと価値観は小さい頃から変わっていない。

それを『自分ルール』だったり『こじらせ』だったり『理想が高い』だったりと普遍的な言葉に置き換えていた。

いや、事実周りから見たらそこに大差はないのだろう。
事実、今この文章を書いている僕ですら懐疑的なのだから。


そんな自分を振り返るように、自分の脳裏にこびりつく過去の出来事が目に浮かぶ。

『私たち、もう、別れましょう』

思春期が少しずつ加速する中学・高校生時代。

少しずつ『性』を意識し始める時期でもあり、異性と話すことを恐れたり嫌ったりする男友達が多く見受けられた。僕は割とそのラインが緩い人間だったから、男友達も女友達も多かった。たまに嫉妬の対象にされたりもしたけど。


高校3年生の夏ごろ、今では当たり前のスマホが少しずつ普及してきた時期でもあった。ガジェット好きの僕は早々にスマホデビューを果たした。

ガラケーでも出来そうなことを改めてスマホでもやってみる。
そんなしょうもないことに心踊らされた。

そのしょうもないことの一つが『仲のよかった旧友に連絡をする』こと。ただ、なんとなく。些細なメールすらも楽しく感じられたから。

旧友の中にひとり。一番仲のいい女友達がいた。
一番気心許せて、割と何でも言い合えるような、『深い仲』。

「久々」と言う軽いノリで始められた言葉には、
「2年ぶりだね」と続く内容ほどの重さは無かった。

お互い体育会系でバリバリ部活をやっていたが、
ちょうど引退の時期と重なったこともあって
お互い少し時間に余裕が出来たタイミングでもあった。

「それじゃあ」と、どちらが言うわけでもなく
2人きりで会うことが多くなった。

ご飯行ったり、映画見たり、プリクラ撮ったり。

心地よい関係値が、しばらく僕らを包んでいた。

高所恐怖症だと叫ぶ僕を悪戯っぽく笑いながら観覧車に連れ込む彼女…周りにはどう映ってたんだろうな。


そんな『関係値』は、音を立てて崩れた。


鈍感だと主張する僕もさすがに相手に「友情」とは違う別な感情が介在していることを感じる。態度や言動が大きく変わるわけではないけど、何かが、違う。

顔もタイプだったし、性格も外交的。
あっけらかんとしていて、スポーティーな印象。
「付き合うんならこういう子がいいな」とも思っていた。

おそらく人生初めての『ちゃんとした恋心』を持ったのを覚えている。だからこそ、相手のそういう感情の変化にも敏感に気づけたのかもしれない。

多分相手も、僕のことが好きなのだろう。

そう、考えた瞬間。

なぜ。


なぜ僕が、その恋心を一瞬でも
『キモチワルイ』と思ってしまったのか。


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拝啓「恋愛のできない僕たちへ」

ティモシー@ワインソムリエ

300円

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コメント1件

notoを読んで、ティモシーさんとはまた少し違うのかもしれないけれど、私自身もキモチワルイという感情に悩んできた(今現在も)のでなんだかとても救われました。
わたしもこの自分の感情に少しずつ向き合ってみようと思います!
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