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『私とタロットのヨモヤマ話』第二十三回 ≪大アルカナ≫ あとがき号

 初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 こんにちは、あらたまです。

皆様に最大級の感謝と愛をこめて

 説明号から始まり、零番札『愚者』から二十一番札『世界』まで書き連ねてきた≪大アルカナ≫編は、このあとがき号で完結です。
 そして『私とタロットのヨモヤマ話』は、次の≪小アルカナ≫編第一部の連載スタートまで暫しのお休み、一区切りを付けさせていただきます。

 まず、ここまで一度でも連載に興味を持ってくださった方々、無料公開部分を読んでくださった方々、更に一歩踏み込んで有料部分も読んでくださった方々、更に更にイイねボタンを押してくださった方々……皆々様ありがとうございました
 途中お休みをいただいたり、発行予定時刻に遅れてしまうこともありましたが、原稿を一本も落とすことなくnoteに上げることが出来ました。
 どこの何者だかわからないオバチャンが書いた長い長い読み物にお付き合いくださった皆様に、どうやって感謝の全てをお伝えしたらよいのか?正直、コレを書いている今も正解がわかりません。

そもそも、なんで書き始めようと思ったの?

 私は占い師ではありません
 ちょっとしたポリシーと言いますか、聞かれても答えないと決めている訳もございまして、世間様には永遠の占い師見習いと看板を揚げさせていただいております。
 Instagramのストーリーズからスタートして今ではTwitterでも出させていただいていますが、困った時にそっと開いて読む御守のようなデイリータロットを毎日一枚お出しする、占い師っぽい活動はそれだけです。
 私はこのようにちまちまと書き物をしたり研究をしたりする方が、性に合っていると今この瞬間にも思っているくらいですので、それはそれで特に問題は無いのです。

 それでも。私にも向上心というものはあったようでして、もっとタロットを深く研究したいという思いが強くなるころ、チラホラと「勉強するだけじゃダメ、その知識を表に出して、知恵に昇華させないと!」という御意見を読んだり聞いたりするようになりました。
 いわゆるビジネス用語でいうところの、アウトプットの重要性、というやつですね(どうでもいい話ですけど、私はこの『アウトプット』『インプット』という言葉の響きがどうにも好きじゃありません。プットって……グミ菓子ですか?)。
 知識を表に出す!使って、脳味噌に定着させる!
 理屈は判るのですけれど、さて、どうやって外に出したもんでしょうかね?

 前述の通り、私は永遠に見習いなわけですから、個人鑑定をお引き受けするというのは有料無料の区別無く抵抗がありました。
 だったらどうやって溜め込んだ知識を表に出したらいいのかしら?……と、なけなしの知恵を総動員した結果、出てきた答えがコレです。
「これまでの札読み経験を通して知り得た事・考えた事・思い出した事・乗り越えた事……つまり、タロットと一緒に過ごしたまあまあ短くはない年月……『タロットと過ごしてきた私の中に蓄積してる時間や気持ち』を書いてみたら良いんじゃないの?」
 これが『私とタロットのヨモヤマ話』誕生の瞬間でした。
 タロットデッキを初めて触れた瞬間から、私にだって札一枚一枚の世界観とそれに揺さぶられてきた感情、向き合わなければならなかった問題が数々あります。
 個々のお客様に対しての鑑定実績は名立たるタロティストの皆さんの足元にも及びませんけれど、自分自身を実験台とするタロット研究は外に出すだけの蓄積があったものですから……。

私が書きたかったモノ

 書き始めるにあたり、いくつかのルールを自分に課しました。説明号にも書きました通り、札読みの実践――占いとその結果については掲載しないタロットを学びたいという方へのアドバイスはしない、という二点です。

 タロットを学びたいのであれば、今は素晴らしい実力をお持ちのタロティストの方々が渾身の一筆でもってお書きになった教則本がたくさん出ていますので、そちらを是非正規のルートで購入のうえお読みになることを強くお勧めいたします。

 一枚一枚の札の個人的解釈とその見解についてストレートに書くというのも、研究成果と言えばそうなのかもしれませんが、連載をまとめて俯瞰したときには教則本の紛い物になってしまうだろうという予測もついていました。

 私は、前述したとおり『私がタロットと一緒に過ごした時間』について書きたいと思ったのであり、それはつまり決して教科書やお悩み解決武勇伝などを指すものではありません。

 私は通常、広義の『物語』を書きます。
 昨今の言葉を借りれば、不要不急に分類される作文が特技であると思っております(私の主観ですよ。あくまでも)。
 ですので、私が最も私らしく表現できる方法で研究成果を世に問うてみようと考え導きだしたのが、楽しい読み物――物語表現も含んだエッセイだったというわけです。
 『愛と独断の思考遊び読み物』という肩書は、ちょっとした遊びと照れ隠しもありますけれど、タロットと一緒に『読んで悩んで考えて、色んな答えを出して』ここまで生きてきたのよね……みたいな意味を込めて付けさせていただきました。

さあ、そろそろ締めようか!

 とは言いましても、なにぶん初めてのことでしたから、トラブルの連続でした。
 なんで週二回連載なんて言っちゃったんだろう……(原稿、落としそう)。
 詰め込み過ぎて、まとまんない。どうしよう……(原稿、落としそう)。
 やだ、他の方が全然別のところで書いてるのと丸被りしてる!書き直さなくっちゃ……えー、もうこんな時間なの(原稿、落としそう)。
 今日は一文字も書きたくない……(原稿、以下略)。

 大アルカナは一枚一枚の情報量も多く、世界観も大変に広いです。それが22枚もあるんですよ!二番札『女教皇』を書き終えたあたりからちょっとずつ後悔し始めていました。
 「私、とんでもなく、とんでもない、大変な事に手を染めてるのかも」
 その日のテーマ札の世界観に引っ張られて、吐きそうになったり涙が止まらなくなったり、忘れていた「余計な事ども」を思い出してしまったり。ここで書いても仕方ないことですが、まあまあね、大変だったんです……。
 でもね、一回一回書き終えるごとに「良かった……やってやったぜ」って言っちゃう。noteで発行したその日には、ぐっすり眠れる。
 充実してしまうんですね、嗚呼また一歩進んだなあって。

 タロティストの皆様にはお馴染みだとは思いますが、タロット解釈の一つとして『フールズ・ジャーニー』というものがあります。
 一番から二十一番の札を零番札に描かれた愚者が辿る人生の暗喩として捉え、それぞれの札の世界観において愚者が何を学び取り成長するのか?愚者の視点から解釈を深めていく、という方法です。
 この連載を書いている間、
 「もしかして、私自身が『愚者』のロールを引き受けて『フールズ・ジャーニー私家版』みたいなのをやっている???
 と思うこともありました(烏滸がましいにも程がありますが)。
 今日はここまで辿り着いた、今週はここまで来た、次は……うわぁ、あの札か。しんどそうだな……そうやって二十一番札『世界』までどうにかこうにか「書け」抜けました。
 番号が進むに連れて複雑化していく世界観、書くために敢えて触れなければならない面倒エピソードの数々、楽しんでいただくために盛り込んだ『仕掛け』の数を増やし過ぎて制御不能に陥ったり、いやぁ愚者って滅茶苦茶大変な旅をしてるんですね(棒読み)。

 私の企みが100%達成できたとは思いませんけれども、ライダー版のデッキとはこれまで以上に仲良くなった手応えがあります。連載に一区切りをつけられたことでニューゲームに挑むようなワクワク感ももちろんあります。
 あ……ニューゲームと言えば、自分で書いといてなんですけど、ちゃんと零番札『愚者』に戻ってきてますね。強くなってるかどうかは、さておきですけど。

 では、なにやらオチらしきものがついたので、この辺りで。
 あ、最後に一つ。
 このエッセイはあくまでも楽しい読み物として書いておりますが、私の赤裸々暴露実話集ではありません。本文中に差しはさまれる過去のエピソードには、個人情報保護の観点等により、フェイクや誇張が少なからず含まれておりますよ。
 イマドキこんな事を書かなくてもいいのではと思いましたが、世の中にはエンタテイメントを全て事実と受け取ってしまう人々も居るとうかがいまして、御忠告に沿って念のため一筆入れさせていただきました

 それでは、今度こそ。
 ≪小アルカナ≫編の連載開始まで、バイバイ。またね。
 ……次の連載は、質・量ともに≪大アルカナ≫よりもライトになると思います。ていうか、したいです。

 あらたま

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