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もう叶ってるから何もしなくてもいいよ。

たまにはこんな風も分かりやすいかも。
と思ったので

私の世界での話を
日記に残してみたいと思いました。

頑張りすぎて自我がへとへとになってたり、
不足感があったりする方へ。

こんな考え方もあると参考までに、
興味あるかたはお付き合いくださいね。

*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。

『もう叶ってるから何もしなくていいよ。』

わたしの自我がこのことを知った時。

これまでの重荷が外れた反動で、
1週間くらいは
フラワーレインが降り続けました。🌸´-

ぷらす、10年振りくらいの、
安心した深い眠りにつけるようになりました。

極身近なものが、
それを初めて見たような気分になって

普段みていた景色の中に、
これまで気づかなかった物を見つけたり、

自分自身では、それまでも
けっこう普通に生活していたつもりでも

眠るってこんなことだったの?
この場所ってこんなんだった?
~するってこんな楽しいことだったんだ?

みたいな感覚がばーっと押し寄せてきました。

このことから身に染みて分かったことは、

『これまでの私はどれだけ不自然だったか』という事です。

私はこれまで、

10年くらいかけて
ゆるく願ってきた叶えたいことがあって、

強い執着まではいかなくても、

結果が見えないことへの焦りで、
増々自分を責めるようになってしまったのも確かで、

目の前の世界はどんどん変わっていくのに

自分だけが前に進めていない感覚の中に、
すごく息苦しくて仕方なかったのです。

物質世界は、自我が見ている場所なので、

この自我が満足や安心が出来ていないままでいると、
やっぱり辛さが勝ってしまう。

これ以上はもうできない。とリアルに挫折したとき。
きっと底に足がついたんでしょうね。

どうしたって変わるざるを(考え方を)得ないような
流れが起き、

そこで気づかされたことが、

『もう叶ってるから何もしなくていいよ。』

ということでした。

今思えば分かることも沢山あって、

その時はこころの声にちゃんと
従っているように感じていたけど
従っていたのは、自我が持っていた記憶の声だったし

自分を応援したり好きでいたつもりでも、
自我のする自我への肯定は、
すぐに流されてしまうような弱いちから。

そして一番不思議に思っていたのが、

“どんなに励んでも目の前の状況が一向に
変わっていかないこと”だったので、

旗を立ててもたてても流されてしまうような感覚は、

疲れ果てた自我が白旗をあげるのを
待ちに待っていた大元の意識が、

自然な流れとなるドメイン交代のために
見せてた光景だった
のか・・と、

今となって感じることになります。

このドメイン交代というのは、
主権交代みたいな感じで、

『実在のない自我がひとり頑張って
この世界をまわそうとしていく』
のと、
(自我ファーストで生きる)

『実在の大いなる意識が作り出した世界を
自我は観ているだけと知って生きる』
のとは、
(真我ファーストで生きる)

世界の見え方がまったく違うので、

誰にとっての自我も、

いつか白旗を揚げる時には、
本来の定位置に戻す。

という決まりごとのような物なんだと思います。

限られた人生の中で、
その人にとっての使命というか、
やるべきことというか。

人生を順を追って見るためには、

意識に用意されている映像を、
自我が見ることを受け入れる必要があるので、

あまりにも長いことそれを拒んでいれば、
運命に逆らうようなこととなる。
みたいなことかもしれません。

私に起こった切り替えでは、

なによりも安心が生まれて、
身が軽くなり、
見える世界も変わり、

願い事に関しても、

これまで梃子でも動かなかったことが、
あっけないほど簡単に、
叶った世界へと飛んでいきました。

そんな経験から、
こんな話をさせてもらいましたが、

十分すぎるぐらい明確に、
“目には見えないメカニズム”は、
ちゃんと作動してることに気づかされました。

この“目には見えないメカニズム”というのは、
最近よく書いている事で、

意識(本質の私たち)に出来上がった映像が、
現象としてここで見られるために、自我がある。
っていう様な 土台となる仕組みです。

そのことから、

『もう叶ってるから何もしなくていいよ。』

私が自我へと根気よく知らせたのは、
たったこの一言ですが、

私にとっては何よりも効果的でした。

シンプルすぎますが、
誰にでも手が届くところに、
いつも真実はある。

このお話が、どこかにも役立つと嬉しいです🌟

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