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願い事は意識からの伝達。

前回の日記で書いた私に起きたこと。

そこでは、

ゆるく願っていた願い事の一つが
なかなか叶わなかったことで、
いろんなことが曇ってみえていく。

という内容を書いているのですが、

たったひとつ望むことが見れなかったことだけでも、

本来の自然な姿って
保てなくなってしまうんだ。と知って、

叶った状態を見ることって
それぐらい大切なことだったんだなと。
今でも驚いています。

もちろん自我がどんな状況にでも
満足できる状態にあれば(既に本来の姿で生きていて)
(叶った状態が)見える見えないことには
重要性はないですが、

大抵はそうはなっていないので、

苦しみや不足感という形になって
自我が辛く感じてしまうことになります。

前にも書いていますが、

この世界を生きる自我の感覚って
実在ではないので、

大元の意識ありきの存在です。

なのでそうは見えなくても、

結果的には、この大元が人生の舵を取っている。

そして人生に起こる次の映像が送られる前に、

『次のステップへのサイン』として自我に知らせる。
ということが、

『=願いの伝達。』ということだと、私は思っていて、

~が欲しいとか。~に行きたい。とか、
何かしらの願い事が、感覚として自我に届く時です。

“欲しい”という形で自我に伝達されることで、

この自我がそれをみることの準備を始める。
これが、= タイムラインに乗って
ここで見えるようになる

という経過です。

簡単にはこんな感じだから、

願えた時点では、もう叶っているよ。と、
分かる訳です。

つまり、

ここの自我があとにやることは、ただひとつ。

見えるようになるのを待つ。だけです。

だけどこの仕組みを知らされていない自我は、
『自分が叶えなきゃいけないことだと勘違い』しているから、

辿り着くまでの間、
一生懸命にがんばろうとします。

場合によっては、ここで知らずにも
叶ってないと見てしまうと、

余計な時間もかかるし遠回りになることもある。

これが私たちが生きることにくったくたになってしまう
大きな理由だと思っています。

流れのステップのなかには、
軌道修正みたいなものがあっても、

自分の力で舵をとらないとっていう
自我のプレッシャーにあると、
その事にも気づけません。

最初は単なるタイムラインからの偶然だったことで、
(うまくいかなかったことが)

ぜんぜん間違った道ではないのに、

架空の間違った道にいることを展開しすぎると、

自我が物語を脚色してしまうことで
ループに入り込んでしまう
ということなんですね。

なので、大元の仕組みとなる順番などを
理解しておくことは、
ものすごく大切なことだと思っています。

それはシンプルに、

現象は、自我に見られるためにあるということ。

自我に見て欲しい現象だから、

願い事として意識から伝達されたんだ。という順序の理解です。

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