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水上マーケットで「発展途上国」だった頃のタイと、亡き父が買ったワインセラーを振り返る。

2019年1月、バンコク→ホイアン→ハノイというルートで、タイとベトナムをまわってきた。以前「感動が大きくなるから、旅は一人がいい」に書いたように、旅のコンセプトのようなものは亡き盟友のみ江さんに導かれたものだ。ホイアンとハノイは雑誌『SD』1996年3月号の「ベトナム建築大博覧」という特集に衝撃を受けて以来、ずっと気になっていた都市だった。そして最初の目的地であるバンコクに導いたのは、亡き父である。

1980年代、小学2年と3年の春と夏、それぞれ1〜2週間ほど父の赴任先であるバンコクに滞在した。父は国内外のいろんなところに赴任していたのだが、タイは3年半と長くいたし愛着も強かったようで、何度も呼んでもらったのだった。

そのころのタイは発展途上国と言われていて、今とはおそらく全然違った感じだった。

衛生状態に問題ありとされており、渡航前に母と私はコレラの予防接種を受けた。半年あけて2回受けるという、手間がかかるものだ。そして現地では生水を飲まない、生物をなるべく避けるなど気をつけていたけれど、それまでにもその後にも体験したことのない酷い下痢に悩まされた。

インフラはあまり整っていなかった。どのくらい整っていなかったかというと、スコールが降ると、いとも簡単に道が50センチくらいの深さの水で満たされ、道があっさり川になったりしていた。

車でバンコク市内を移動していると隙あらば子供たちが寄ってきた。交差点ごと、窓ふきまたは花売りの子供が待機しているのである。自分とあまり年の変わらない子供が、たくましくお金を稼いでいるとは……。これはなかなか衝撃的だった。

そして車窓からしばしばみえて気になったのは、トタン屋根の住まいだった。「ああいう家は、自分でつくってるのだと思う」と教えられ、これにもとてつもないパワーを感じた。

このようないろいろと整っていなくて、だからこその生命力を感じさせる街との出会いは、後に建築や都市計画を学んだこととも無縁ではない。その様子が今どうなっているのか知りたくて、やってきたのだ。

当時、観光地にいろいろと連れて行ってもらったが、バンコク近郊で印象的だった場所が3つある。水上マーケット、ワニしかいない動物園クロコダイルファーム、仏像に金箔を貼りつけられる派手なお寺(大抵どこもそう)である。

その中で今行っても間違いがなさそうな水上マーケットには必ず足を伸ばそうと、ツアーを予約し、いってみた。

バンコク市街から水上マーケットまでは車で1時間強、その間都心から郊外までロードサイドの風景に接することができる。バンコク市街の道路からは、物売りの子供も洪水も消えたようだけど、郊外のロードサイドの風景は思ったほど変わっていない。昔見たようなトタン屋根の家や小さなマーケットは、今もちらほらある。

到着したら、船着き場からまずモーターボートに乗って川をめぐる。激しいモーター音をたてながら川を滑走するボートから、水上の集落を眺めるのは、ものすごく楽しい。昔はたしか、川で洗濯をしたり、子供が水に浸かって遊んでいたりする生活の様子もみえたけど、そういうのはなかった。さすがに衛生的に禁止されている気もする。

高速ボートで集落を回ったら、手漕ぎボートによるマーケットめぐりをガイドさんにおすすめされた。一人200バーツ(約700円)。せっかくなのでこちらも体験を希望する。

川の両脇に露店が待ち構えていて、船が近づくと様々な土産をオススメされる。むかしはお店もお客もボートだった気がするので、合理化されたのかもしれない。値段はがっつりふっかけてくるから、交渉しないとならない……という仕組みは変わってない。

20分くらいのボートでのツアーを終えると、船着き場で自由時間がある。そこになにか見覚えのある風景があった。木彫りの家具が並ぶ土産店である。

それを眺めていると、父がタイで巨大な家具をオーダーしたときの記憶が蘇ってきた。幅120cm、高さ120cm、奥行き60cmほどもあり、実家の居間を長年圧迫しつづけたあのワインセラー。誰もワインを飲まないので、中はほぼ空っぽだった。そういえば、どこか田舎に遊びに行った先で、父は唐突に注文していたような気もする。

そこでは職人さんがその場で見事な手さばきで木を掘っていく様子が実演されてて、面白かった。しかしだからといって家具を注文するというのは、なかなか狂っている。「船便で、半年後に届くってさ」と誇らしげにいう父を、母は呆れたかんじでみてたような気もする。

その家具は一昨年、父が亡くなってから間もなく、母に整理を促した。市の大型ごみでは大きすぎて処分できず、市から紹介してもらった業者を呼び、廃棄した。まあそれはそれで後悔はないし、なぜワインセラーだったのかは結局謎なのだが、愛着のある国の工芸品を持っていたかったのだろうな、というのは、今回旅して一応は理解できた。

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