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旅行が終わったら全てを終わらせようと思っていた話

こんにちは。はじめまして、私はponhiroと言います。SCP財団というサイトで創作活動をしています。「玖虞攣(くぐつれ)」や「正常恐怖症」などの作者です、もしかしたら聞いた事がある方もいらっしゃるかもしれません。聞いた事がある!という方は、ご縁があるという事で。いつもありがとうございます。

さて、私は1/4~1/9の間まで旅行をしていました。その旅行に至るまでの過程や旅行の最中に思うことがあり、普段はこうして日記など書かないのですが、どうしてもその思いの残渣を言葉にしたくなったのでここで書き連ねる事にします。

以下に続く文には自殺のトピックが含まれます、ご注意ください。

私は随分と前から精神病に苛まれています。特にひどいのは妄想追想という病状で、これは簡単に言うと、「存在しない記憶が脳内に挿入される」ものです。私は特に人と話す時にこの症状が現れていました。話している時に「あれっ、今話してる内容って本当のことだっけ」となるのですが、こうなると自身への不信感でどうにかなりそうになるのです。

この病状が、思ったよりキツいんですね。今こうして書く日記も、綴る一文一文が本当の事なのか疑い尽くすという過程を経なければいけない。私のSCP財団著者ページにはそれぞれのSCPを書いた経緯等を書いているのですが、これも今見返すと、本当じゃない情報が混ざっている気がする。

自分の綴る文章、零す言葉、抱く感情。それら全てが欺瞞と疑念で溢れる人生というのは、私にとって業火に嬲られるような気持ちです。もし貴方が恋人に述べる「好き」さえも、口から零れた瞬間に本当のものなのか疑わなくちゃいけないのならと想像してみてください。上手く喩えられているか分かりませんが、ちょっと苦しいでしょう?

そんなこんなで。精神病なのですから、私の精神が健全ではないという事です。病気に至った経緯は色々あるのですが、家族との軋轢も、トラウマも、不安も、数えれば、人生における負の積み重ねが私をそうしたのでしょう。

病気になってからはもう、思考が嫌でした。まるで「熱異常」のように脳内で私の声が止まらなくなり、人前でマトモに歩けなくなって、視界が霞み、えずき、疲れ果てる。そんな日々が続くと、思考を止めたい、脳を撃ち抜きたい、人生を終わらせたいと、そう思ってしまうものです。

大晦日付近で、その思いは最高潮に達しました。何を食べても思考が定まらない、何をしても思考が止まらない。黒い思考が私を埋め尽くし、どんなに楽しい事もそれが塗りつぶしていきました。本当は今すぐにでも人生を終わらせたかったのですが、先述した通り、私は1/4に旅行の予定が入っていました。

だから、旅行の結果で決めよう。旅行中もそんな思考が止まらないようだったら、もう人生を終わらせてしまおう。そう、心に決めたのです。

思えばそこからの日々は、最も「死」に近付いた一刻一刻だったと思います。どんな遺書を書くか、誰にしたためるか、どう人生を終わらせるか。着々と準備を整えながら過ごす新年は興味深いものでした。

「新年の抱負」が存在しない。「未来」が存在しない。考える余地さえない。神座に近付いて目を閉じ掌を合わせた瞬間、自分が祈れる事の何一つさえ存在していない事に気付き、死を1つの選択肢として見据えるとこうなるのか、と吃驚しました。

そして迎えた旅行の日。実はここ数年で4回ほど旅行に行っているのですが、その中でも最も不安でいっぱいの旅行でした。お恥ずかしながら、私は死を選択肢に見据えていながら、本心では死にたくなかったんです。もし旅行が楽しくなかったら、私は死を選ぶ。それが怖くて、どうか楽しくあってくれ、と掌を合わせました。

結論から言うと。今こうして日記を書いているという事が指し示す通り、驚くほど楽しかったのです。旅行前の不安を全て掻き消すように、これまでの旅行で絶対絶対絶対に、一番に、楽しかった。

でも、手放しでずっと楽しかったという訳でもありませんでした。夜になれば嫌な事を思い出して、濁流のような思考を薬で留めなければなりませんでした。それでも。日中はあまりにも楽しくて、これまで思考の端に存在していた死さえその時は無くなり、心の底からの笑顔で、真の言葉で、虚偽のない自分がそこに存在していたのです。

ちなみに旅行先は「収容違反 インシデント」、略して「収デン」というイベントです。SCP財団のオンリーイベントで、100人以上の人達と話しました。その多くは私と同じSCP著者でしたが、私のファンを名乗る方も複数人いらっしゃり、人生初の経験になぜか頬が赤らむ思いでした。("貴方のファンです"、私みたいな無名の人にも起こるイベントなんだ…と思っていた)

ちょっと話が逸れましたが、とにかくとっても、とっても楽しかったのです。色んな人と写真を撮りました。居酒屋でTwitterのスペースを開いて現地に来ていない皆と交流しながら笑い合いました。別に相互フォローって訳じゃないけどお互い認知している方と直接話をしました。人生で初めて出来た推しのグッズを買いました。家に帰ったら母親にこっぴどく貶されたけど、それでも、死ぬなんて選択肢が吹っ飛ぶほど楽しかった。

旅行中に撮った300枚以上の写真をスクロールしながら、私と普段関わってくれる人が、私を尊敬してくれる人が、私を認知してくれる人がこんなにも多いのかと思いました。映った笑顔を見てると、ああ、まだ死ねないな、と思えてくるのです。

それが、旅行を経て私が得た気持ちです。この気持ちに意味があるのかと言われれば、私はハッキリ「ある」と答えるでしょう。明日にはいつも通り苦しんでいるかもしれませんし、一週間後には手に丸い縄が握られているかもしれない。それでも、私が準備してきた死という選択肢を選ばず、今こうやって日記を書いているという事には大きな意義があると思っています。たとえ明日死を選んだとしても、今日死を選ばなかった事には価値がある。眞鍋先生だって「やっぱり成長には価値があるな たとえ今日が最期の日でも(田中一行,ジャンケットバンク,13巻,p146)」と言っている事ですからね。

今回はどうしてもそんな思いを言葉にしたくて、こうやって日記を書きました。SCP財団という文芸創作サイトに属していながら私は文章を書くのが本当に苦手なので、拙いところが多々あるかと思います。これから鍛えるので許してください。

お読みくださりありがとうございました。この拙文が誰かの目に留まる事を祈っています。


"収デン"で使用した名札。

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