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心は悩むためにある

こんにちはポンコつっこです。クリスマスということでフォロワーさんにクリスマスver.のアイコンを描いてもらってホクホクしています。クリエイティブなアクションって素晴らしいですね。

今日は最近感じている「心」の在り方について書いていきたいと思います。師走ですし、一度振り返ってみるのもいいかと思って。

○2018年はどんな1年だったか

私にとってこの1年は公私ともに非常に大変な1年でした。というのも仕事が増えたことは良いことだったのですが、プライベートのトラブルが非常に多かった。おそらくここ数年で一番波乱万丈な1年でした。相当涙を流したり怒りでいっぱいになったり、周りのせいにもできないことがいっぱいありました。

○それは悪い1年だったのか

自分なりの苦労を重ねた1年ではあったのですが、しかし振り返ってみると精神的に成長できた1年だったように思います。もともとうじうじ悩む気質ではありましたが、悩みながらも自分の中で方向性を決めて行動するということができました。そして自分自身でコントロールしきれていない「心」という存在について改めて考える機会でもありました。

○なぜ人は悩むのか

突然ですが貴方は悩むことはどれくらいありますか?心のコントロールはどれくらいできていますか?
そもそも人はなぜ悩むのでしょう。悩まずに行動を即決できる人って実はあまりいないんです(あくまで自分の観測範囲内では)。
そして更に問うと、そもそも心はコントロールしなくてはいけないものなのでしょうか。悩むのは悪いことですか。そんなことを最近良く考えるのです。

効率的に動き、生産的な活動が推奨される現代では「悩む心」は非常に非効率的であり、それだけではあまり生産的ではありません。その結果合理的判断が重視され、心を丁寧に扱うことが蔑ろにされているのではないか...と感じるのは私だけでしょうか。

私はこの1年悩むことを通して少し心が充実したような、自分を肯定しても良いと思えるようになりつつあります。それは効率的なことだけを重視しようとするとなかなか得られないものなのではないでしょうか。自分を認められるようになることも、精神的な成長をすることも、労働してお金を得ることとは全く別物の行為なんです。そして実はその「心の充実」無くしては人は生きられない。根本的に理屈を詰めていくとそのように感じます。
だから「非効率的だし生産的でもないから悩むことは無駄だ」という考え方は人間として生まれた私達自身を軽んじているような、そんな気がしてしまうのです。

心は何のためにあるのか改めて考えてみると、「心は悩むため」にあり、「悩みは幸せに生きていくため」にあるのだと思うのです。

そして明日も明後日も、そして来年も悩んだり疲れて休んだり、そしてまた悩みながら生きていくことに幸せを感じられたら、素敵な人生だなぁと思うのでした。


やる気マンマンレベルが上がります!