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不登校・ニートと「通う」と社会参加

現代社会における、凡人が社会生活を送るための初歩スキルとして、「通う」という能力は必須だと思う。
学校も職場もその他諸々も、社会参加をするためにはまず「自宅以外の場所へ」「通って」「何かしらの作業をする」のが大前提なので…。

不登校・ニートと呼ばれる状態の1番良くない要素は、どこにも通えない、通わないことだと思う。
まず、定期的に家から出ることが少なくなることで体力が落ちる。最低限でも人との関わりがなくなる。人と関われなくても集団の中にいることに対して慣れる機会が少なくなってしまう。
これらのタイプの主な訴えごと、困りごとに同年代が登校している・出勤しているのに対して自分は…という劣等感が生まれてしまう、というものが多いが、上記のようなデメリットが生まれるのも事実なのではないかと思う。

不登校・ニートの支援者や親族は登校・労働ができないことにフォーカスしがちで、それに対して大して効果もない支援を行う印象がある。
そこで提案したいのが、多少なりとも元気になってきた時、学校や職場でなくても、どこかしら無理せずに行ける場所に「通う」ようにすることだ。

「通う場所」は、違法性さえなければぶっちゃけどこでも良いと思う。図書館でも、メイド喫茶でも、フリースペースでも、地元の居場所でも、習い事でも、ジムでも、それこそ散歩でも良い。

それがどんな場所であれ、自分の行きたいところであれば、行きやすい。通えば運動になる。電車やバスに乗る機会も増えるので社会慣れもしやすい、何回も行っていれば顔見知りができるかもしれないし、できなくても集団の中にいることには慣れられる。そしてその場所で作業等をすることで、頭や体を使うことになる。
「目的の場所に」「定期的に行って」「人と関わりつつ」「作業をする」。
これは登校や労働と同じ要素なのではないだろうか。

そして大前提の大前提が、周囲が「通え!」と押し付けない!行きたい場所がどこであっても他者が「そんなところ行く必要はない!」「行かなくてもいい!」「行くな!」と言わない!
逆の立場で考えてみよう。自分がそんなことをされたらやる気は失せるでしょ?芽生えた気持ちを摘み取ってどうすんの?となる。普通に。

無理して登校するより、仕事に就くより、自分が踏めるスモールステップを踏む。ステップやジャンプを狙わず、まずはホップを繰り返す。
今の自分がなんとかできることを当たり前のようにできなければ、できないことは到底できないのではないかと思う。

周囲の働いている元ニーひき系は、歩きまくったりフリースペースに毎日通ったり遊びまくったりしていた人ばかりなので、みんな体力がついている。それこそが社会へのエントリースキルなのかなと思う。
それができるようになってからなら、就労支援でも短期就労でも効果が出ると思う。

結論!どこかに通うことさえできるようになれば、人生がどうにかなる可能性が高まる!
不登校・ニートはまず少しずつでも良いのでどこかに通おう!

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