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ニュージーランド55日紀行 19/55 わたしの軸と大切なもの

朝から冷たい雨。
こちらでは、傘をさしている人をあまり見ない。

雨は水だから、という理由らしい(笑)

でもさすがに今日くらいしっかり降っていれば、街中を歩いている人はさしているだろうか。

かくいう私も、旅行の荷物に傘を入れるのを忘れてしまったので、今のところ、傘をささずにやり過ごす予定でいる。

疲れが溜まっている。

コーヒーを飲みすぎて、昨晩も結局夜中まで眠れなかった。
そのくせ朝もすぐ目が覚めて、頭はゆっくりと寝ようとしない。

日曜日の朝だ。

日本が6時半を回った頃に、子どもたちとも話すことができた。

相変わらずの、賑やかな我が家。皆がわいわい叫んでいて、途中からもみくちゃになって画像もぐちゃぐちゃで、話の内容もよく分からないけれど、とにかく元気な姿を見られただけで嬉しいな。


あの中に居たときは、うるさくてゴチャゴチャで、どんなにか逃げ出したいと願ったことか。。。
幸せとイライラがいつも隣り合わせで、色んなジレンマがあって。

母親だから我慢しなきゃ、という足かせを自分にはめて、一生懸命ちゃんと子育てしようとしていたんだな。

今こうして離れたところにいると、私は彼女たちの中に確実に存在してはいるけれど、彼女たちは、彼女たちの人生をのびのび生きているんだな、私に依存していないんだな、と感じる。

これは、私にとって、一緒にいるときにはなかなか認めづらかった部分だったようだ。自分の言動の影響を、過度に捉えすぎていたように思う。


離れてみて、離れても大丈夫という、安心感を彼女たちは見せてくれている。
ああ私って、そんなに重要じゃないんだ、と、寂しさよりも、安心という意味で感じられたことは、大きな収穫だ。

子どもたちの幸せを背負い込み過ぎないこと、お互いの自立と信頼関係を信じること。

帰ってからも、忘れたくない在り方。

もちろん、皆がにこにこしてるのは、ちゃんとご飯も食べさせて、世話をしてくれている夫がいるからなんだけど(感謝)。


だから、私も、自分を労って、にこにこしていたい。

私には、愛する家族がいる。

家族と来る日がある。
その、一歩目を、踏み出しているだけ。

そう、自分の軸に立ち返った朝。

それと、はたと気がついた。

音楽だ。

今の生活には、音楽が足りない。

音楽は、わたしを救ってくれるんだ。
孤独から、淋しさから、不安から、、、

少しでも、今のこの瞬間というものにチューニングが合った音楽を聴けるだけで、気持ちというのはふわっと軽やかになるものなんだ。
(だから、チューナーの合っていない音楽を聞くと逆効果だったりする。)

そう、いつも、「今どんな気分かなー」って思いながら選曲をしているではないか。忘れていたよ。

音と接続がイマイチだけれど、
YouTubeでスカパラを流したら、すぐに身体があったかくなる。
何故か次は90年代メドレーの再生、宇多田ヒカルautomatic。

私の中の、白黒に枯渇していたところが、キラキラ光り始める。
水面できらめくように、太陽の光の線が、脳や心に差し込むんだ。


ひさびさに、歌を作りたいな。
ピアノも何もないけれど。

雨がやんで、少し晴れてきた。動き出そう。

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