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文字が好きすぎる人間のこれまでの話


文字が好き。
それも、ものすごく。

読むのも書くのも、物心がついたときにはすでに人より興味があったように思う。

幼稚園児の頃は、忙しい先生の代わりに他の園児を集めて「読み聞かせ会」をしていたし、道を歩けば立ち止まって看板の文字を読み上げていたので、散歩が捗らなくて困ったそうだ(母親談)

読み聞かせはともかく、看板を読むというのは文字が本当に好きだったんだなぁと思う。

ちなみに大人になった今でも、酔っ払った私は看板や掲示板、チラシの文字を声に出して読む癖がある。
酔ったら本質が出るというのは言い得て妙である。

noteが「まずは自己紹介記事を作ってはいかがか」と言ってくるので、そんな文字が好きすぎる私の半生を、文字遍歴に特化して書いてみようと思う。

私という人間について興味が出た稀有な人や、人の文字遍歴を見て「分かる分かる!」となりたい同志は下記を参考にしていただけると幸いです。


作文が好きな小学生

とにかく作文好きな小学生だった。

400字のマス目の入った作文用紙に、えんぴつでガシガシ書く。いつも右の手のひらの小指側の側面(伝われ)が真っ黒になった。

話を聞かない子どもだったから、先生が指定した枚数も考えず、時間いっぱいひたすら書き殴っては、話を聞かなかったことをこってり叱られた。

ただ、単純な子どもだったので、家庭訪問で「ともかちゃんは作文が上手で〜」と担任の先生に褒められると舞い上がり、叱られたことも忘れ、また気合を入れて作文を書いてしまうのだった。

青い鳥文庫との出会い

もちろん、本を読むことも好きだった。

家の本棚には従姉妹からのおさがりの本がたくさんあったが、とっくに読み尽くしていた。

それで当然のように図書室に入り浸ることになる。
田舎の、建物も古い小学校だったので図書室はそこまで大きくなく、当時小学3年生だった私は低〜中学年向けの本はほぼ読み尽くしてしまった。
今は懐かしい、こまったさんシリーズとか、世界の名作物とか。

流石に家の本も図書室の本も読み尽くした小学3年の私は両親に本をねだるようになる。

そこで出会ったのが「青い鳥文庫」だった。
講談社の児童向け文庫シリーズである。

そこからはもう読書沼にどっぷり浸かった。

当時インターネットもろくに普及しておらず、田舎の小さな書店しかなかった環境だったので、書店員さんに「この人の他の本ありますか」と尋ねては、書店に置いていない本を取り寄せてもらった。

どんな本にハマったかはまた違う記事にて熱く語ることにして、そこから私の「気になった本や好きな作家の本を購入して読む」という経験が始まることになる。

ありがとう青い鳥文庫。ずっと愛してる。

ついに創作に手を出す

小学4年生くらいだっただろうか。

家の片付けをしていたら、一冊の古いノートが出てきた。
横罫の、何の変哲もないノートである。

開いてみると、何やら猫が街を冒険する物語が綴られている。
母親に尋ねると、母親が高校生の頃に趣味で書いた物だと、恥ずかしそうに答えた。

衝撃が走った。
物語、自分で作ってもいいんだ!

その勢いのまま自分の部屋に閉じこもり、適当なノートに、母親を真似て猫が主人公の物語を書いた。
それはもう夢中で、当時好きだったテレビゲームもやらず、ひたすら書き、出来上がった物語を読んでは目を輝かせた。

書き上げた物語を少し寝かせると、書いた本人も細かいところは忘れてしまう。
その頃に読み返すと、自分で書いた物語なのに読書として楽しめる。

小学4年生にして自家発電を覚えたのだ。

そうして、私の趣味は「本を読むこと」と「お話を書くこと」になった。

青い鳥文庫からの卒業

そうして文字に囲まれて育った私は順調に本の虫になった。

高学年の頃は海外ファンタジーを翻訳したものが流行っていたので、有名どころを何冊か読んだ。(ハリーポッターはなぜか読んでいない)

友達の影響でいわゆる「小説」を読み始めたのが中学生の頃。
児童文学卒業の時である。

そして高校1年生の時に、ある小説と出会う。
人生を変えた…かどうかはわからないが、記憶には深く刻まれている作品だ。

「悼む人」との出会い

高校1年生の時、読書感想文の課題が出た。

読書感想文は嫌いだった。
本は言われなくても読む。感想は言われなくてももつ。
なのにそれをわざわざ原稿用紙に、しかも枚数を制限された状態で書けという。

まぁせっかくなので、いつも読むジャンルとは違う、その時話題の本を選んだ。

それが天童荒太さんの「悼む人」だった。当時、直木賞を受賞した話題作。

悼む人についても別記事でこってり語りたいと思う。

悼む人を読んだ私は感情を揺さぶりに揺さぶられ、大いに感動し、しばし呆然とした。

これは誰かにこの感動を伝えなければ。
この小説を通して感じた私の思い、変化した価値観を伝えなければ。

そう思うくらい感動し、ありったけの思いをぶちこんで読書感想文をしたためた。

そうしたら、なんと全国のコンクールで賞をいただいてしまったのだ。
私の読書感想文を気に入ってくれた国語の先生がコンクールに出してくれたのだが、全校生徒に私の読書感想文が載った冊子が配られるというなんとも小っ恥ずかしい事態に。

同級生にいじられるのは恥ずかしかったが、私の読書感想文をしっかり読んで「読書感想文の感想」を伝えてくれるという何とも心優しき友人もおり、「ああ、良かった、本の良さが伝わった」という安堵感みたいなものを感じた記憶がある。

書き殴ったノートの行方

ところで、高校を卒業し大学に入学するまで、小学4年生から実に8年もの間、ノートに物語をひたすら書き殴っていた。

どこに投稿するわけでもなく、誰かに見せるわけでもなく、ひたすらに、えんぴつで、手書きで物語を綴っていた。

今考えても変態である。
文字が好きすぎる。

しかし、誰に見せるわけでもなかったので、完結していないものもあった。
世界観に飽きたら途中でやめて次の物語を書く。
そうして何冊もノートを消費していた。

このノートはいまだに実家にあるらしい。

高校を卒業するときに、書き溜めた物語ノートを教科書や参考書と共にこっそりゴミに出した、はずだった。

「これ、ゴミだから雑紙の日に出しておいて」
と母親に頼んだのがいけなかった。

教科書やらなんやらの間に挟まった、古臭い不揃いなノートたちを不思議に思った母親は、あろうことか中身を見てしまったのだ。

子が何歳になっても親は親バカなんだなあと思うが、母親はそれをこっそりゴミの束から抜き取り、後生大事にとっておいた、という話をついこの間帰省した時に暴露された。

「2階にしまってあるけど、見る?」
と言われたが、とんでもない!と断った。

今見たら恥ずかしくて顔から火が出て辺りを焼き尽くしてしまう。

これからのはなし


以上が、現在に至るまでの私の文字遍歴である。

散々未完成の物語を書き殴っていたくせに、エッセイ調の文章を書くのはほとんど初めてのことなのでどきどきしている。

「こんなに文字が好きなのに、noteを始めるの遅すぎないか?」
と思うだろう。

私も思う。

これまでは、Twitter(現X)に140字で何とかおさめていた文字欲が、歳をとるにつれて抑えられなくなってきたのだ。

子どもの年齢ごとに推薦される図書があるように、大人も年齢と共に摂取したい文字や吐露したい文字が違うと思うのだ。

そういうわけで、今の私はたくさん文字をしたためたい気分になったようなのだ。

noteの先輩方、どうぞよしなに。






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