九州で女として生まれたら

少し前にTwitterで #九州の男尊女卑  というタグを見つけました

そのタグが付いたツイートを眺めながら、私も九州で生まれ、こういう意識の中で成長し、先入観を持って生きているのかなと感じました。

現在28歳の私は18歳で上京し、今年で東京生活10年目を迎えます。東京で知り合った方と昨年結婚し、変わらず都内で仕事をしながら暮らしています。

このタグを読む前から九州での身の回りの男尊女卑には気付いていました。ただ、それは本当に当たり前のことでスルーする方が多かったです。

これはあくまでも私個人の感覚の問題です。この #九州の男尊女卑  というワードから私の感じる「九州」という島国に漂う感覚を具現化してみたいと思い、書いてみることにしました。

私の家系は女が多く、姉妹や従妹、母の妹が近くにおり、父の兄弟も妹だったので男の兄弟などがいなかったせいか、むしろ男がどのように育てられ成長するのか知りません。だから余計に生活する上で起こる出来事に対して大人になるまで鈍感だったというか、気付けなかったような気がします。それは父や祖父が「男性」をいう権力や力で女性に対して暴言や暴力をふるったり、お酒や女性関係の問題がなかったおかげでもあると思います。

私が最初に感じた大人への不信感は高校3年生のころでした。

私は、二者面談の際に東京の大学へ進学したいと担任の教師に告げました。40代の男性の担任が発した第一声を私は忘れません。

「なんでわざわざ東京の大学なんか行くんか?」

その担任はこんな感じのことを言ったと思います。むしろ何も考えずに出た率直な言葉だと思いました。

「ここには国立(大学)もあるし短大も専門あるんぞ、東京行きたいとか親は知ってんのか、なんでわざわざ大学行くんか、結婚したいとかないのか」

女は勉強なんかせんでいい、わざわざ東京なんか行かんでここで結婚すれば一番幸せだろうが、というような内容でした。専門校ではなかったので卒業後は自然にほとんどの学生が進学を選ぶ高校でした。担任の言葉に、私は今「女」として見られているんだと強く感じたのを覚えています。

実際、私の学部は3クラス(約120名)で、そのうち約6割が女生徒、そしてそのうち東京の大学へ出たのは、私を含め2.3名だけだったと思います。他の学部、他の学校のことはわかりません。ただ、私の学科では女生徒は地元の短大、専門、あるいは福岡の大学、西日本の大学へ進学することが多かったです。

九州特有の感覚かもしれませんが、地元・福岡・広島・そして関西の西日本といわれる地域への進学はむしろ勧められます。ただ、大学卒業後はここへ戻って来いよ。という無言の圧力を感じることが多いです。

実際、福岡や西日本へ進学後、地元へ就職する友人は本当に多いですし、そういった場合は英雄に近いというか、よく戻った!これから地元へ尽力を宜しく!というような空気が少なからずある気がします。むしろそれがごく普通のように思います。

そんな中、東京(関東)へ進学する人への感覚は、「地元を捨てた」に近くなり、関東から地元へ戻ると、いわゆる「出戻り」のような、ああ、向こうでやっていけなかったのね。やっぱり。というような敗北感を与えられるような気がします。

こういった閉塞感や「女」として生きることへの強要に関しては九州で生きていく中で当たり前に起きていたことだったこともあり、スルーすることが多くありました。

しかし、私が大学4年生の時に大きく自分の中でそういった感覚が変わった出来事がありました。

それは実家の母から届いた手紙です。

母は二人姉妹の長女で母親を20代で亡くしています。父とは本当に愛し合っていて、仕事をしながら二人で仲良く私を育ててくれました。とても強い人だというイメージがあり、家庭は円満だったと思います。私を東京へ行かせてくれたし、何にでも挑戦させてくれる人だったと思います。

そんな母からの手紙には、便せん四枚ほどにびっしりと、「地元へ帰っておいで、女は結婚して子供を産んで育てて家庭に入るのが一番幸せだよ、仕事はこっちにもあるし、一人で東京でなんて生きていけないでしょ、こっちなら友達もみんないるし、なんなら仕事先も探してあげれるよ、私も近くにいてくれた方が嬉しいし、家族が近くにいるのが一番、東京になんか就職しないで帰っておいで」という内容が書かれていました。

ゾッとして一読したままゴミ箱へ入れたのを覚えています。

それまで私は「男尊女卑」といわれるものは、男性による女性への態度のことだと思っていました。力の誇示や女性への性差別的行為などです。

しかし、母の手紙を目の当たりにし、「女」として生きることを母から勧められている自分に強いショックを受けました。

母は私が東京の生活を4年もすれば飽きるだろうと考えていたのだと思います。いずれ地元が恋しくなる、ここ以上に良い場所なんかないんだと思っています。現在もそう思っていると思います。その手紙を境に私の中でのこれまでの母のイメージはガラリと変わってしまいました。

これまで育ててくれたことは変わりませんが、自分と母との間に大きな感覚の格差があるんだと感じました。手紙の一件はそれまでにも少しずつ感じていた母との感覚のズレを大きく確実にする出来事でした。

#九州の男尊女卑  のタグを見たときに、私はこの母とのことを思い出しました。

女性から受ける「女」として生きていくことへの強要はとてもツラいものがあります。その人がそういう生き方を選んだ、選ばざるを得なかったことも同時に伝わるからです。

母は子育てをしながら仕事をこなした立派な女性です。そんな母が、娘に対し「女は母親になり家庭を入るもの(それで仕事もすればいい)」ということを説いた感覚を考えるととても悲しい気持ちになります。「私」として生きることではなく「女」として生きる方が幸せで当たり前だと心から思っているからこその手紙だと私は思いました。

私が結婚をしたいのか、それ以前に男性を好きかどうか、そしてどんな仕事をしたいか、どこでどのように生きていきたいか、というのは私自身が人生を歩みながら考えていくものだと思います。

母を含むどんな人からも「特定の人」は「こうするべき、こうするのが幸せ」だと決めつけられるものではありません。

この問題は決して「九州」のみのものではありません。ただ、今も九州では女性が男性をたてる、そして敬う、という感覚が強くあるのも事実だと思います。

「女」として生きていることを強く感じる九州に嫌悪感を抱き、現在は年に一度実家へ帰ればいい方になってしまいましたが、こうして「女」や「男」ではなく、「私」として生きていくとこが理解されにくい場所のひとつとして「#九州の男尊女卑」のタグが出来上がったとこは、同じような感覚を持った人が多くいるのだと感じました。

全く話に上がらない父ですが、本当に優しくて、小さい頃からたくさんいろんな場所に連れて行ってくれ、様々な体験をさせてくれる人でした。しかし、私の人生の選択に良くも悪くも口を出す人ではありませんでした。それは、もしかすると「家のことは女がやれ」という感覚にある責任の回避かもしれません。母と父の関係は良好ですが、そういった土地に根付いた考え方が二人の感覚を形成したのは間違いないと思います。

そして、約10年暮らしている東京の生活を私は気に入っています。

「九州」で「女」として生まれた「私」というひとりの人間に起きた小さなコミュニティの中での出来事ですが、私の話は以上です。