日々ログ20190514 「香山リカ『「発達障害」と言いたがる人たち』を読む②」

前回の日々ログでは、筆者の香山リカについての先入観を記した。

今回から、いよいよ本題である書籍の感想を述べていく。

本著は冒頭で、香山さんが近年の臨床で顕著に見られる動向が綴られる。

ここ7、8年ほど、診察室に時折こう訴える人たちがやって来るようになった。多くは女性だ。「私、発達障害なんじゃないでしょうか。たぶん注意欠陥障害(ADD)か注意欠如・多動性障害(ADHD)だと思います。あ、コミュニケーションも苦手だから、アスペルガー症候群の可能性もあるかもしれません」(中略)診察を始めるとすぐに、彼女たちにははっきりした受診のきっかけがあることがわかる。はじめの頃は、彼女たちの多くは米国のカウンセラーであり自らもADHDだというサリ・ゾルデンが書いた『片づけられない女たち』(WAVE出版〈2000年〉)というベストセラー本を読んでいた。「整理整頓が苦手な人はADDやADHDの可能性がある」というこの本を読んだり、その内容を紹介するテレビ番組を見たりして「私もそうかも」と来院した、というのだ。

香山さんは、「診察の範囲では、この人たちにはADD、ADHD、アスペルガー症候群などと診断されるような発達の障害は感じられず、むしろ何ごとも完璧にしないと気がすまない、理想の自分でないと許せない、という完璧主義的な性格が問題」と言う。その上で問題があるという。

「私は発達障害についての専門的知識は乏しいので、絶対に正しい診断とは言えませんが」と断ったうえで、「あなたには何らかの発達上の問題があるとは思えません」と告げると、これまで経験した限りではすべての女性は失望の表情を見せたのだ。「えっ、そうなんですか。私、ADDじゃないんですか。アスペルガーでもない?そうか・・・・・・」
やや厳しい言い方をすれば、彼女たちは自分が思うどおりに整理整頓や書類の提出ができないのは、「自分のやる気や性格のせいではなくて、障害のせい」とおもいたがってるようなのだ。

せっかちに議論を先回りすると・・・

冒頭の6ページの抜粋だが、ここまで読んで「そうそう!」と共感する読者もいれば、続きを読む気が失せる読者もいるだろう。

特に「自分のやる気や性格のせいではなくて、障害のせい」というフレーズは、香山さんのもとを訪れた患者は、発達障害という診断を受けて免責したい・・・とひとしなみに読み取れてしまう。

香山さんがこのような主張を始めたのは最近ではない。

正確にいえば、かつては発達障害ではなく「多重人格」や「境界例」や「うつ病」などになりたがる人びとが多く、それらの殆どは的外れであると指摘を続けてきたのだ。例えばこんな指摘である。

「病気の私」というのはすばらしいものではありませんが、等身大の自分を超えたものであるという意味で、「負の誇大自己」と言えると思います。その「負の誇大自己」が「ほんとうの私」だと思ってしまうと、それをなかなか捨てられなくなるわけです。(『〈じぶん〉を愛するということ』講談社現代新書、1999)

それに対し翻訳家であり発達障害の当事者であるニキ・リンコは、以下のように批判する。

たとえ本当に発達障害を抱える人であっても、謎を解こう、納得しようとしている時の姿は、はた目には、自分が特別だという「物語」に陶酔している姿と区別がつかない。そして、たまたま外見が似ている「自己愛的な人たち」に対する「陰性感情」(それ自体が正当なものかどうかは別として)のいわばとばっちりを受けているのかもしれない。(「所属変更あるいは汚名返上としての中途診断」、石川・倉本編『障害学の主張』明石書店、2002)

香山さんの実経験はともかくその主張が、ニキさんにとっては「自分たちもまた病気と思いたがっている人たちということになってしまうのではないか」(立岩真也『自閉症連続体の時代』みすず書房、2014)。それは医師が患者に向ける「陰性感情」の「いわばとばっちり」ではないのか。

上記のような批判を踏まえたのかどうか、自身の主張は当事者を批判する意図はないと、香山さんは予防線を張っている。

必ずしもそうではないのに、「あなたは発達障害です」と言ってほしい人たちがいる。「私、発達障害なんだって」と言いたい人たちがいる。そういう人たちの存在に気づき、私はこの本を書くことにした。
誤解を避けるために言っておくと、私は、実際に発達障害と診断を受けながら生活している人たちやその家族、その医療に携わる人たちや支援する人たちを批判するつもりはまったくない。つまり、これは「発達障害そのもの」について論じた本ではない、ということだ。
では、何かというと、ここまで述べたようにその可能性は低いのに「私は発達障害かも」と思う人が増えているという、医療の問題というより社会的な現象について取り上げ、その原因などを考えてみたい、というのが本書の目的だ。簡単に言えば、「発達障害を取り巻く社会」についての一考察、それがこの本だ。

では次回以降で、香山さんの本著の論旨を追っていくこととする。

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