日々ログ20190520 「香山リカ『「発達障害」と言いたがる人たち』を読む③」

数日間が空きましたが、日々ログ再開します。

香山リカ『「発達障害」と言いたがる人たち』は、エッセイ調のためか?主観と客観の境が判然としない嫌いはあるものの、読みやすくまとまった書籍ではある。

まずは発達障害の概要説明を手際よく行った後、主として「医療化」に伴う諸問題を指摘している。

例えば、医学における発達障害の定義の曖昧さ。

例えば、発達障害(の性質)を持った人たち向けのビジネス。

例えば、近年の「発達障害ブーム」が過剰診断を招き、患者増加につながっているのではないか?という懸念。

例えば「発達障害ブーム」自体が、製薬会社のキャンペーンに踊らされたものではないか?

などなど。

中でも香山さんは、以前から論じている「多重人格」「境界例」「新型うつ病」などと同様、「発達障害」と言いたがる人たちは「何らかの個性的な同一性が欲しい」という欲求があると指摘する。

現代社会では、「平凡である」「どこにでもいる人間である」というのは、生きる価値がないに等しいほどつらいことである。だとしたら、たとえ「発達障害」と「障害」と名がつけられてもよいので、ほかの誰とも違う同一性がほしい。それも難しければ「汚部屋住人」でもよい。
そういう人にとっては、「ADHD」や「アスペルガー症候群」はまたとない“個性”である。

そして末尾で香山さんは、「『たとえ“障害”と診断されてもいいから、特別な自分でいたい』という彼らと彼らを取り巻くいまの社会の“自分さがし願望」が、人々が自身を発達障害ではないか?という「空想」に駆り立てるのだという。

ーあなたは、ADHDでも自閉症スペクトラム障害でもありません。つまり発達障害ではありませんよ。・・・・・・でも、大丈夫です。発達障害ではなくても、あなたはあなたです。平凡なのはすばらしいことじゃないですか。自分に自信を持って生きていってください。

香山さんが他の記載で述べるように、重度の発達障害の人たちに比べると、「発達障害と言いたがる人たち」は自活できる人が多く、恵まれているのかもしれない。診断で「特別な自分」を見出すことより、平凡な生活に喜びを見出し自信を持って生きることの方が大切なのかもしれない。僕はそれら全てを否定するつもりはない。

他方、悩み苦しんで香山さんの診察室を訪れた患者が「あなたはあなたです。平凡なのはすばらしいことじゃないですか。自分に自信を持って生きてください」と言われ、すんなり自信を持って生きて行くことができるだろうか?

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