43)伝わる言葉をさがす

仕事でもプライベートでも、人とのつきあいは突き詰めれば「伝わる言葉をさがすこと」である。

常識的な人、という表現は自分も使うけれど、本当は誰だって自分の常識で生きている。常識的と言われるのはその枠組みにいる人たちの中で多数派が常識と考える言動をしているというだけのこと。枠組みが変われば常識は変わる。

大きな枠組みは、たとえば働く業界、学ぶ分野、年齢層。
小さな枠組みは、学級だったり集落だったり会社の部署だったり。
最小単位は、たぶん家庭。

それぞれの枠組みの中に、ひとりひとりの人が持っている常識感覚があって、それは小さい単位で共有しあうことで培われている。より大きい枠組みに所属せざるを得ないときはそこにすでに共有されている常識感覚に歩み寄るが、所属しないことを選べるのであればあまりに違う常識感覚の枠組みには入らないだろう。その選択が繰り返されると、自分で所属を選べる枠組みはより同質の常識感覚を持った人が集まり、内部の常識はますます強化されていく。

無自覚に発する言葉は、自分の常識に従って組み立てられたものだ。語彙も、言葉の並べ方も、比喩や強調の方法も、言葉の強さや勢いも。その枠組みの中で伝わることを信じているから、それを意識することすらなく安心して発言する。

ところが同じ認識で、別の枠組みにいる人に言葉を投げかけるとき、なかなか自分の思ったようには伝わらない。常識感覚が違い、共有している価値が少ないほど、伝わらない。もし、お互いが伝わらない可能性を知っていて、伝わっていないと感じた時点で相互に修正を繰り返せば歩み寄れるが、両方が伝わって当然と思っていればすれ違いばかりが大きくなる。接触せずに済むなら離れていく。

相手が歩み寄る努力の必要に気づいていないとき、それでも必要であれば自分の側が伝わる言葉をさがすしかない。投げかけて確かめて、違う形でまた投げかけて確かめる。どうしても伝えたければ、伝わるまでそれを繰り返す。しつこいと嫌がられそうなら、そうならない程度の間をおいて、また伝える。一方で、相手が伝わると信じて投げかけてくる言葉を、受け止める。受けきれなかったら投げ返して投げ直してもらい、受け止める。それでもわからなかったらわからないと言い、咀嚼するための時間をもらう。

つまずきやすい枠組みで生きている人に、そうでない生き方への道を示し、そちらを生き方を選んでもらいたい、と働きかける仕事というのは、異なる常識感覚の枠組みを「伝わる言葉」で橋渡しすることなのだと思う。

2020/1/23

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