22)愛読書たち

なんでもいいから字を読んでいたい習性があったので、とりあえず手近なものを読んでいたけれど、好んで読んでいたものがどうやらちょっと妙な方向だったらしい。

アプリで電車の時刻を調べるようになってめったに開かなくなったが、今でも本の形の「時刻表」は毎月最新刊が書店に並んでいる。駅名と数字がびっしりと並んだいわゆる時刻表のページ以外に、料金計算のしかたや切符の種類、主要な駅のガイドなど、細々とした情報が詰め込まれたページがあって、なぜか気に入ってよく読んでいた。

個人の家庭に電話を引くと当然のように番号を電話帳に載せていたころ、電話帳のはじめの何ページかには電話料金の説明や電報の打ち方、時報などの特別な電話番号の案内など、雑学欲をくすぐるあれこれの記事が並んでいた。

郵便番号簿には、住所と郵便番号がずらずら並んだページの他に、郵便の大きさや取り扱いの種類と料金、書き損じはがきの交換のしかたなど、これまた興味深いちょっとしたことがまとめられていた。郵便番号も、最近はネットでしか調べないけれど。

寝る前のベッドでの読み物は辞典類。ことわざ辞典など、どこで眠くなっても問題ない。最初から順番に読んでいくわけではなくぱっと開いては眺めていた。

小学生中学生のころはわからなかったけれど、大人になって、この雑多な愛読書は驚くほど役に立った。実用的には調べればいいし、すぐ調べられる時代になっているからどっちでもいいのだけれど、それぞれのぼやっとした全体像がつかめることがなんとなく役に立っている。知りたいことを点で知るだけでなく、ざっくりした網のようであっても面でつかめることの意義はかなりあとで気がついた。たとえて言えばそれぞれの分野の略地図を持って歩いているような感じ。なにより、新しい物事に向かうときに、きっとその分野にも全体像をつかめる方策があるはずだ、と、まずは略地図を手に入れることからはじめる習慣が、実はこのあたりの経験から来ているような気がしている。

2019/07/25

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