12)ボランティアではなく

点字に興味を持ったきっかけは忘れてしまった。

中学生の頃には、いつか点訳する人になる、と思っていた。でも未だになっていない。ずっと気にかかってはいるけれど、何度も手をつけようとしたもののそこまでだ。

点訳は職業ではないと、知ったのだ。

点訳は職業ではない。しかし、職業と同様の技能と時間を求められる。それはいったい誰がやれるというのだろう。ボランティアとして、そこまでの労力を割ける存在は私には想像できなかった。

実直な両親と高度成長期の社会のおかげで、私自身はこれといったお金の苦労をせずに育てられたが、親たち祖父母たちの苦労話はあれこれ聞かされていた。大人は職業を持って働くのが当然と思っていた。もともと他人である配偶者にまるごと人生ゆだねるなんて恐ろしいことは考えられない。世の中何があるかわからないのだから、自分自身が収入を得る力を持ち続けるのが絶対だと思っていた。専業主婦というのはマンガやドラマにだけいる、過去のお母さん像だと思っていた。

大人になって、それもずいぶん後になって、そうではない世界があることを知った。外で働き続ける選択をしなかった女性の一部は、家庭を守りつつ社会的に求められる無償労働に意義を見いだした。ボランティアはそういう方たちが引き受けてくれたのだろう。

家族を養い老後を養うのに十分な報酬を払う企業がそれなりにたくさんあって、その余力をいろんな方向に活かしてくれる人がいて、専業主婦や定年退職者によるボランティアがある程度確保できていたのなら、それは幸運な時期だった。点訳ボランティアだけではない。民生委員しかり、保護司しかり。

ボランティアの存在を前提に組み立ててきた福祉や社会のしくみは、残念ながらいつまでも続かない。条件が崩れれば、動ける人が減る。今、社会に余力のある人が減って、ボランティアが足りないと嘆く分野がたくさんある。もうボランティアでは成り立たないだろう。むしろ、職業として成り立たせる方法を考える方が現実的だと思う。

2019/07/15


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