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小説の書き方

テレビのニュースキャスターをやっている女性と、こんな会話をした。

「立派なお仕事をされていらっしゃいますね。」

「いえ、この仕事はどうだっていいんです。静かなところで、のんびりしたいと思います。」

僕は、彼女の真意を測りかねた。

ニュースキャスターの仕事を得るまでには、それなりの努力をしたはずだ。もちろん、本人の才能や美貌もあってのことだ。誰でもできる仕事ではない。それを重要視していないなんて、ちょっと考えられない。本心から言っていることではないだろう。

と、そう思う。

僕の小説では、そんなふうに書くだろう。

だが、それは、僕の本心ではない。

その職に就いていること自体は、たいした価値はない。

その職に就こうとした動機、行なっている行動、そんなものに価値を見る。

冒頭に書いた会話も架空のものだ。

本心でないことと、本心とのバランスをどうとれば良いのか、悩む。

ずっと悩んでいる。

本心でないことと、本心とで、僕は常に分裂している。

しかし。

「本心でないこと」で世の中を進めてはいけない時代になったように感じる。

これは本心だ。

たぶん本心だ。

小説の中の会話では、言葉を聴いた僕は、本心かどうかわからなくて「真意を測りかねる」ことになる。

だが、実際に、人と会話するときには、僕は、相手の言葉から、真意かそうでないかを、見抜いてしまう。もちろん、自分の限界の範囲での話だが。

なので、僕の現実は、僕が書く小説のようには展開しない。

権威者だろうが、才媛だろうが、それらの表面的なことは、僕にとっては、意味を持たない。

僕が書く小説も、以前のような、真意が見えないものではなく、真意を見抜くようなものに、変えてゆかなければいけないのかもしれない。


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