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生と死の狭間にあるもの

note は、ちょっと重いことに気づいた。なので、10年以上ほとんど使っていなかった Twitter を使い始めた。

note が重い理由として考えられることのひとつに、文字の分量が多いことが挙げられる。魂の内側から文字が湧いてくるときは良いのだが、今日のように沈んでいる日は、辛い。

もうひとつ理由を挙げるなら、それは、意外に、人生について考える内容のアーティクルが多いということがあるだろうと思う。

生き方、とか、日頃の悩み事みたいなことだ。

たぶん、日本人の平均よりも長く生きてきて、それなりに悩みもし、失敗もし、成功もした僕だから、そういうことを書くことはできる。書き始めたら、山のように書ける。

書けるけれど、僕が書く内容は、多くの人にとって、興味の対象にはならない。なんとなれば、いつだって、成功を目指しては来なかったから。

成功とか、お金を稼ぐとかは、いつも、僕の興味の埒外にあった。

成功とお金を興味の埒外に置いて、よく生きてこられたね、と問う向きには、こう答えるだろう。

いつも死にたいと思っていた、今も死にたいと思っている。

でも生きている。

死にたいと思いながら生きている。

死にたいと思って、生と死の間を見つめていると、いろんなものが見えてくる。

そこには、お金では買えない、大事なものがある。

それを掴みたい、そこへ行きたい、ということが、僕の生きる力になっているかもしれない。

それは、おそらく永遠不変のもの。

だから興味が湧く。

金なんて無意味。

成功なんて無意味。

そう思えてしまえるものが、生と死の狭間にある。


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