This is a pen.
どうも俺ですよ。
今日も暇な時間を見つけたので書いていきます。
前回は「俺ピアノ習ってたんだよね」って話を書きましたが、
今回は「俺、英会話も習ってたんだよね」って話。
ちなみに今僕は仕事上、英語を話さなければならない機会が急激に増え
死ぬほど苦労している。
1時間英語で会議をすると1日分以上脳のパワーを消費して
会議終わったらしばらく動けない。
だが、僕は英会話教室に通っていた事がある。
しかも3年間くらい。
話は前回のエピソードの終わりくらいまで遡る。
幼少期からピアノと水泳を習っていた。
水泳は意外と好きだった。
誰かと競うというよりは自分のタイムとの勝負だったし
練習すればそれなりにタイムも出た。
が、ピアノはダメだった。
そもそもクラシックな曲が嫌いだったのかも知れない。
ので、中学に上がったくらいでピアノは辞めた。
その替わりだったか覚えていないが、英会話教室に行かされた。
どんだけうちの親は習い事させたかったんだよと思うが
なんせ大して覚えていないが自分で行きたがるような性格ではない。
ところで、その英会話教室はいわゆる駅前留学的な会社が経営する教室ではなく
個人の英会話教室。
個人も個人、僕の記憶ではおばちゃんだ。
たしか名前は「アリス」。
フィリピン系の・・・少なくとも中学生当時の自分が「英語を習う相手」として想像できる外人の様相を呈していないおばちゃん。
もちろん、今考えると東南アジア系の容姿をしていてもバリバリに英語圏で生活していたら英語を教える能力はあるのだから完全な偏見だ。
だが彼女が英語が上手だったかはほとんど記憶にない。
理由はこの後はっきりする。
さておきそんなアリスの家に通う事になる。
結論から言うと僕の3年間は全くの無駄であった。
何故なら今英語を喋れないからだ。
ではなぜ無駄だったのか。
アリスが「英語を教える」というスタンス、スキルの持ち主ではなかったから。
これもどちらが悪いという話ではないのだが
僕は英語を教えて貰いに来ている。
彼女は英語を話す機会を作っている。
この両者の認識の乖離を埋める時間が存在しなかったので
結局僕は「お金を払ってアリスおばちゃんと日本語で世間話をする」という
意味不明な時間を3年間過ごしたから。
アリスは積極的に英語を教えてくれなかったのだ。
1か月目はこういう事を勉強しましょう、
1年後にはこのくらいの会話力を目指しましょうという目標設定や
カリキュラムは存在せず、英語に触れる機会だけくれた。
「やらされ仕事」という言葉を聞くことはありますか?
要するに頼まれたからやっている。
そこに主体性が皆無の状態で
Aという情報をBというフォーマットに落としてまとめる。
Aという設定をBという装置に設定する。
Aという情報・設定が正しいのか?
Bというフォーマット・装置が正しい対象なのか?
そういう疑念を一切持たずに行うのが「やらされ仕事」
僕がやっていたのはまさに「やらされ仕事」
僕がもし少しでも主体性をもってアリスおばちゃんの家に行ったのならば
アリスが何も教えてくれなくても自分の筆箱の中にある鉛筆を持って
「This is a pen」くらい言ったと思う。
鉛筆はペンじゃなくてペンシルって言い返されても、それはそれで意味がある。
でも当時の僕は親が行けというからという理由でアリスの家に行っていた。
もちろん英語が喋れるようになったらいいなくらいの期待感はあった。
だが、そこに強いモチベーションもなく、爪痕を残す、払った月謝の元を取るみたいな感覚もない。
だから自分から英語を話そうとはしないし、質問されてもわからないので
日本語で返事をするうちに ただ今日あった出来事をアリスに話す時間になった。
まさにやらされ仕事の慣れの果てである。
ただ難しいのが、たいして仕事もできないうちから
「なんで僕がこんな仕事をやらないといけないんですか」的な事を言うと
かなり敵を作る。
が、何かを言っても聞いて貰える実力をつけてから、のパターンだと
無駄に時間を喰うし、実力が付いたと判断する基準が曖昧だ。
だからバランス感覚は大事なんだけど
最近ではもう「そう思ったから、そう言った」くらいの雑な方が
人生楽しめるような気はしている。
ところで僕は冒頭で書いたように今英語で会議を主導する機会が多い。
でも英語は喋れない。
だから翻訳サイトを使ったり、自分でも作れるレベルの簡単な文章に言いたい事を落とし込んで事前にシナリオを作る。
そしてそのシナリオに沿って喋る。
シナリオから外れた質問が来ると一回聞こえないフリをする。
そうすると相手はゆっくり喋るのでその間になんとなくの答えを考える。
どうにもならなかったら笑う。
恥ずかしそうに笑い、何言ってるかわかんないという。
そんな感じでどうにかやり切っている。死にそうだけど。
ちなみに、僕は会議の冒頭で毎回
「知ってると思うけど俺の英語力は三歳児レベルだから覚悟しろよ」
と言う。
初めて参加する人は「アイスブレイクジョーク」つまり つかみの小ネタかと思い軽く笑ってくれるが
会議が始まるとすぐに「ああ、こいつマジで言ってたんだな」と思い知る事になる。
会議終わりには「今日も俺の英会話の勉強につきあってくれてありがとう」と言う。冒頭と終わりのセリフはテンプレとして英語で用意してある。
主体性とはそういう事だと僕は今思っている。
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