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世界が美しいかどうかは、自分の目と心で確かめてみるのがいちばん。

どうして世界一周に行くの?理由は?得られるものは?みんな世界は美しかった、なんてひとことでくくるけど、それって本当なの?

そんなことばたちをツイッターで見つけて、深夜にぼそぼそとつぶやきたくなってしまいました。どうもAYAです。

わたしは、1年とすこし前に、ふたつのバックパックを背負って世界一周の旅に出かけた。どうして世界一周に行ったの?そう聞かれることは少なくないけど、明確なものは、ほんとうになにもなかった。ただ、みたことのない景色を、自分の目で見てみたい。知らない世界のことを、もっと知りたい。そんなどこにでもありふれていそうな、何の変哲もない、シンプルだけれどでも、それはそれは大きくてはちきれんばかりの欲望で、わたしはずっとわくわくしていた。

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記念すべき1カ国目はメキシコで、行きの飛行機、経由地のアメリカでも、メキシコシティの空港について自分のバックパックを待つ間も、わくわく、というか本当に胸がドキドキしているのを感じていた。

結果的に、わたしは196日間、世界を旅して、38カ国をまわってきた。短い、という人もいるかもしれない。長い、と思う人もいるかもしれない。でも旅に正解なんてものはないし、テキストだってない。旅は自由!あっという間だった、でも、なんて満ち足りた時間だったんだろう。誰にも真似できない、わたしだけの旅。わたしだけの、196日間。

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「世界一周」とひとことに言っても、みんながみんな同じ世界一周をするわけじゃない。行く国も違う。出会う人も違う。食べるものも、バックパックに詰め込んでいるものも、その場所で感じることも、ひとりひとり、きっと違う。だから、世界一周で何が得られるかなんて、世界が美しいかどうかなんて、だれにもわからない。だれも答えを知らない。答えなんてないから、「なにを得られるのか」という結果を先に知ろうとしても、きっと、意味がない。シンプルに「世界を見てみたい」と心を動かされた人が、ぷらりと世界一周の旅に出かければいい。日本を拠点にして、なんども世界に出かけるのとなにが違うの?と思えば、もちろんそれでもいい。そのひとが正しいと思う旅をすれば、それが正解。

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わたしは、世界は美しくて、やさしかった、と、おもっている。もちろん、旅の全てがハッピーなできごとじゃなかった。体調を崩してなにも食べられなくなった日もあったし、騙されて怒りで震えたことだってあった。だけど、ああわたしって、地球の上で生きているんだって、心が震えるような景色をなんどもこの目で見ることができた。見返りを求めずに親切にしてくれたり、道で気さくに話しかけてくれて仲良くなった人もたくさんいた。それも、つかっている言語もちがうのに。お別れがつらくて泣いてしまったこともあった。地球のうらがわにいるひとたちのやさしさに、たくさん触れた。

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せっかく世界をみてきたのに、視野の狭い人にはなりたくない。「これが旅だから」とか「こんなの旅じゃない」とか、バックパッカーがいいとか、ラグジュアリーな旅がいいとか、世界は美しいのかとか優しいのかとか、世界一周はいいのかとか、どっちがいいとかこっちがいいとか、決まってなんかない。気になったら、自分で確かめてみるだけ。ただ、それだけ。

どんな旅があったっていい。もっともっと遠くへいってもいいし、来た道を引き返したって、いい。心が動くほうへ、わたしはきっとこれからも行くだろう。

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