感謝と謝罪


11日~17日まで船橋東武百貨店にて
イチゴフェア及び雷電ラスクの販売をさせて頂きました。期間中たくさんの方々に御来店頂き、さらにXでたくさんポストして頂きまして本当にありがとうございます。
一久さんと隣同士で販売出来たことで、より多くの麻雀ファンの方々や和菓子好きの方々とも親交が出来、幸せな時間でした。
ただラスト2日間は販売に立つ事が出来ず、せっかく来てくださったお客様とお会い出来なかったこと、申し訳ございませんでした。
また、雷電ラスクのネット販売を心待ちにしてくださっている方々、
改めてまた販売開始についてはお知らせ致します。もう少々お待ちくださいませ。

ここから書くことは読むのは時間のダム(無駄)
相当、暇な人もしくは私を弄るのが好きな人
はたまた、ぽにょさんに興味ある人のみにむけて書きます。長いので飽きます。読むのをやめるのはいまがチャンスです‼️

では、勝手に話しますね。
15日の20時の販売終わりに
出張に行った夫から一緒に行った私の父が
突然倒れたと連絡がありました。
声掛けに応じず、イビキをかいてしまっている
いま救急車呼んだからと。
仕事柄、高齢者のそういった場面に立ち会う事もまぁまぁあるので、脳梗塞か一時的な血圧の低下によるものかと思って、付き添う夫に、
「病院決まったら連絡して欲しい」と伝えました。
なかなか連絡が来ず、2時間後に
「病院がみつからない。年明けで入院患者が多いのと、東京や千葉と比較すると茨城には病院が少ないらしく、まだ救急車にいるけど痙攣も見られてやばい。」と連絡があり
翌日の夫の仕事にも影響すると思い、
「交代するからいまから向かう」と伝え家を出ました。出張先は茨城の東海村だったので車で2時間かけて向かいました。日にちを跨いで深夜0時半位に、
「入院できないけど処置だけしてくれる病院が見つかった、水戸の病院にきて」と言われ水戸の病院に着きました。
救急外来の廊下でストレッチャーに乗った父が何度も検査で出たり入ったりするのを約4時間見ていて、
「あれ、これ結構マズイのかも」と思いながら、朝5時に病状について説明しますと言われました。
「痙攣の事はいったんどうでもいいです。それよりもいまはもっと大変な事が起きてます。腹部大動脈瘤破裂です。大動脈瘤が破裂した場合にはほとんどの人が助かりません。ただ、奇跡的にいま出血がなんらかの理由でおさまっています。このままだと死にます。直ぐに手術しますが、開けたらまた出血する可能性もあります。ただほっといても助かりません。同意書書いてください。」
この時点で、あぁ、父死ぬのか。
なんで出張先でなんだろう…
母はこの先どうなるんだろう…
会社この先どうしよう…
と色んな事考えてました。
「最後、手術前にお父さんと話してください。今は、まだ話せますから」と言われ父の傍に行くと、いつも通りの父が
「検査だけで既に死にそう、腰がいてぇ。」
「あ、会社の事務所の更新料はらっといてくれ」
「消費税の支払いの金はあそこにおいてあるからはらっといてくれ」
「一緒にいたみんなに迷惑かけたと謝罪しといてくれ」
そして
「やっぱり76が鬼門だったわ」と。
実は私の祖父は2人とも76歳で亡くなっていて
75歳からずっと父は俺もあと1年だと言っていた。たぶん76歳で死ぬんだと。
そんな偶然あるんか?と思うが、本当に今まで大きな病気もせず元気だった父が、76歳の今
死にかけている。
ただ、父はこの状況でも悲観的ではなく、むしろ、うっすら笑ってすらいる。
私はこの父にそっくりだから
なんとなく父が笑っている理由もわかる。
私も父に
「とりあえず、頑張りな。」と笑って伝えた。
手術が始まって朝6時に
母と姉、私の娘達に連絡して、娘に電車で母を連れてきて貰うように手配し、ただ祈る時間が
6時間経過、全く寝てないけど全然眠くない。
手術が終わり、
「予定通りの手術は出来ました。ただこの後どうなるかはまだわかりません。」
そう言われました。ただ、少なくとも
命を繋いで貰えたことに感謝しかなかった。
母と娘も到着しICUで管だらけの父をみて、
呼吸があるのを確認し、私だけ茨城に残る事にしました。母と娘を駅まで送り、
父が泊まる予定だった宿に帰る事にしました。
救急車の中で大量の汗と失禁により洋服を汚してしまったのですが、救急隊員の方が自分の洋服を父に着替えさせてくれたと聞き、洋服と肌着をイオンに買いに行き、消防署に買った衣類とお礼を伝えに行きました。
ご迷惑おかけした宿にも、お詫びの品を渡し、父の部屋を私が使うことをお願いさせてもらいました。
夜になり父が一緒に仕事に行く予定だった方々が宿に戻って来たので、
「迅速な対応をして頂いたお陰でなんとか命を繋いでいます。ご心配おかけして申し訳ございません。」と伝えました。
皆様から「ホッとしたよ。本当に良かったね」と言って頂けました。
本当に皆さんの優しさが有難かったです。

ここまで偉く長かったのに
まだ書くのかというとこなんですが
ここからがわざわざこれを書こうと思った所なので書きますw

父が倒れた時の状況なんですが
夕食後、手積みで麻雀をしていて
1位を取った直後に倒れたんだそうです。
普通にご飯たべて楽しく麻雀して
気持ちよく一人勝ちのトップを取ったあと
突然バタン。
よほど気分が良かったのでしょうか?
自宅で家族麻雀する時には父はほとんど参加してくれません。やだよ、めんどくせぇて言って、孫からのお願いがない限り、参加してくれないんです。
私が麻雀を覚えたきっかけは父が正月に親戚の集まりの度に麻雀やっているのを見てきたからなのに🙃
ただ、今思うのは、
出張先で麻雀やってくれていたから父は、
助かったのだと思います。
大動脈瘤は既に父の身体の中にあって、自宅にいて母と2人、普段からイビキかいて寝る父だから、母は異変には気づけなかったでしょう。
きっと朝、気づいたら亡くなっていたんでしょうね。
今回出張で茨城にきていて、旅館で、麻雀できる環境があったおかげで、周りに人が居てくれて、気づいて貰えたから、命が繋がっています。
父を助けてくれたのも麻雀だった。
ありがとう麻雀‼️
これからも麻雀と父を大切にして行きます☺️
まだICUから出れてなくて、入院中ですが、
呼びかけに目を開け、
「来たよ~」って言ったら
瞼でウンウンと返事してくれました。
母も姉も生きてる父と会えたし
良かったです。

これから先、まだ何かあるかもしれないけど
それでも少なくともほとんど助からない状況から奇跡的に今があります。

販売行けなくて、みんなに会えなくて
ごめんなさい🙏
ただ、麻雀愛♥️をさらに強くもって
明後日から仕事復帰します‼️

最後まで読んでくれたあなたは
ぽにょマニア😘😘😘
これからもどうぞよろしくお願いします。
そして関わってくれてる皆様に
心から感謝しています。
本当にありがとうございます。

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