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海の近くで育った私が海から遠くに行くことへの不安と疑問。旅行前の日記。

極東の島国、日本。

そのなかでさらに海に囲まれた県、沖縄県。

沖縄県のなかでもさらに海に囲まれた離島、西表島。

私の一番古い記憶はそんな西表島の白浜でだった。

海は本当に目と鼻の先で、生活の一部だった。

「空気のような存在」という言い回しがあるけど、白浜は「空気も海だった」と表現する方がいいのかもしれない(ぜひ西表島の白浜を訪れて、「空気も海」かどうか確認してほしいです)。

吸い込む空気はいつも潮気を含んでいた。

白浜から転居した今でも、実家(沖縄本島)は海から歩いて数分のところにあり、窓からは海が見える。

海の近くで育った私が初めて長期間(?)沖縄を離れたのが、大学2年次の春休み東京での引越しバイトだった。たった2週間だったけど、乾燥で喉がやられてしまった。

大学を卒業して3年ほど群馬県で働いていたけど、結局空気の乾燥にはなれなかった。

世界旅行のルートとして、シベリア鉄道でユーラシア大陸内部に行くと決めたけど、少し不安になってきた。

この日記を書いたのもユーラシア大陸内部に行くから、今まで海からどれぐらい離れたことがあるか調べてみるか、という軽い気持ちだった。

世界には海から何百kmも離れたところで生活している人たちがいる。少し想像してみると、違和感を感じずにはいられなかった。

海から離れた場所で生活するということは、もしかしたら私が想像を超えているのかもしれないと思った。知識としてはエクメーネ(居住可能地域)とアネクメーネ(非居住可能地域)の存在は知っているし、世界地図を広げても海から遠く離れた内陸部に都市があり人々が多く住んでいるということは知っている。

けど、私の生活にはあまりにも海が近過ぎて、当たり前になり過ぎていて、海が近くにない場所で生活している人がいるという実感が無かったのかもしれない。

私はどれほど海から恩恵を受けてきたのか。

シベリア鉄道に乗ってウラジオストクからモスクワまでに停泊する都市を調べていると、どの都市も川沿いにあって「あああ、内陸部では河川の存在がどれほど大きいものなのか」と考えさせられた次第であります。

島国という点で日本人はもしかして「水」「海」の恩恵に鈍感なのかもしれないと思った。

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