見出し画像

民族と国籍とアイデンティティ。少し前の日記。

少し前に、東京都写真美術館に行った。

「愛について アジアン・コンテンポラリー」キム・インスクさんの写真と映像がすごく印象に残った。

キムさんは1978年大阪生まれ。在日コリアン3世だ。在日コリアンの家族の肖像〈サイエソ:はざまから〉という展示だった。

自分の知識不足で、登場している在日コリアンが朝鮮民主主義人民共和国(派?)なのか大韓民国(派?)なのかは分からなかった(在日コリアンに朝鮮人民共和国に属する人・大韓民国に属する人がいることをその時知った)。

動画の中で「子どもは絶対ウリハッキョ(朝鮮学校)に行かせる」というシーンがあった。

祖国がイムジン河で分断されて、家族も分断されて、さらには異国の日本で在日コリアンとして暮らしているという現状には考えさせられるものがあった。祖国に簡単に戻れないという現状も知った。

沖縄からも多くの移民の人が海外に行き、そこで生活をしている。

そのアイデンティティはどのように保っているのか。

ふと、自分のことをふりかえってみると、沖縄県は元々は琉球国として独立した国だった。薩摩に占領(?)されて、廃藩置県のときに沖縄県になった。

琉球国はもう消滅してしまった国と言って良いのか?

もちろん外交権も無いし消滅してしまっているのだけど、消滅したという認識を持ってなかった。それは独立した国という意識が希薄だからなのか。

高校世界史の勉強をしていると「民族が別の民族に支配されてしだいに同化していった」という話がよくある。そんなことあるのかとイマイチピンとこなかったけど、自分自身がそうなのかもしれない。私自身の祖先が琉球国で琉球民族(?)という意識はない。沖縄県出身という意識はあるけど。やっぱり顔の濃さとかは内地(本州)の人とは違うことはわかる。

歴史の中の同化していった民族も今の自分のような心境なのだろうか。また世代が変わるにつれてこの個人が持っている心境も変わっていくのだろう。

高校世界史の教科書で「その民族は次第に同化していった」というような文章を読んで、「う〜んそんなことあるのかなぁ???」と疑問に思っていたのですが、まさか自分のことだったとは!その本人に自覚させずに、世代は続いていく。すごく面白い!

ふと高山のゲストハウスであったフランス人の家族のことを思い出した。
その家族はノルマンディー出身だった。ノルマンディーは現在のイギリス王家のもととなるノルマンディー公国があった地だ。彼らも自分たちがノルマンディー出身で現在のイギリス王家がノルマンディーから渡って行ったことに誇りを持っていた。

もしかしたら、ほぼ単一民族の国家の日本と違い、侵略統合同化の歴史を繰り返してきたヨーロッパでは国籍とはまた別なアイデンティティとしての民族・出自というものが強くあるのかもしれない。

最近職場に入ってきた中国人の王さんキさんにもいろいろと聞いてみたい。

自分の祖先が琉球国民だったことに対してのアイデンティティをさほど持たないのは、現在生活して上で「差別」を感じていないからなのではないか(もちろん沖縄の基地問題など政治的な差別はまだまだあるが)。その民族意識というものは「他と違う」という意識から生まれてくる。
琉球国民としての意識が希薄なのは私たち世代が普段の生活の上で差別を受けてないからかもしれない。私たちの祖父母世代が若い時に内地に行くとすごく差別されたという話をよく聞く。

私が卒論でインタビューさせてもらったAさんも東京の歯科医院で働いていた若い時には自分が沖縄出身だとは隠していた(沖縄県が本土復帰して、医院長がみんなの前でバラしてしまったのだが、沖縄出身とバレてしまってからは周りのAさんへの態度が悪化した)。
しかし、沖縄県が観光地化すると歯科助手の女性たちがAさんにいろいろ聞いてきたそうだ。

そういうことを考えていると、私たちの世代が琉球国民としてのアイデンティティをさほど持ってないのは前の世代が欲していた「差別を受けていない」という結果なのかもしれない。勝ち取ったものかもしれないと思うと面白い。

私たちが「沖縄の基地問題」のことを考える時には、やはり琉球国、独立国としての意識が生まれてくるのだな。

メディアを通して知る様々な事柄を自分のみじかな事柄に、自分自身のことと置き換えて考えられる力がもっと欲しいと思った今日この頃です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?