劇団鹿殺し丸尾丸一郎による初の小説『さよなら鹿ハウス』第一話「伝説になるために。」

劇団鹿殺し代表丸尾丸一郎さん初の小説『さよなら鹿ハウス』が10月12日、刊行となりました。関西で旗揚げしたもののまったく売れず、中古のハイエース1台で無謀な上京を果たした「劇団鹿」の7人。理想よりだいぶ埼玉寄りの東京の地に家賃13万円の城「鹿ハウス」を借り、女1人男6人の珍妙な共同生活をスタートします。7人の心に燃えていたのは「伝説になる」という誓いでした。本作の第一話を無料でお読みいただけます。

丸尾丸一郎(まるお・まるいちろう)大阪府生まれ。作家、演出家、俳優。関西学院大学経済学部卒業。2000年、関学在学中に菜月チョビと共に「劇団鹿殺し」を旗揚げし、以降全オリジナル作品の脚本を手掛ける。代表作「スーパースター」は第 55 回岸田國士戯曲賞最終候補作。自劇団の活動の他にも作・演出として、Cocco主演舞台「ジルゼの事情」、秋元康プロデュース「劇団4ドル50セント」、脚本家としてドラマ「マジムリ学園」などを手掛ける。


「本日はご来場、ありがとうございました!」
頭を下げると、頭皮と鬘の間からぼたぼたと汗が滴り落ちた。黒いパンチカーペットは何事もなかったかのように、それを吸い込んだ。
乾いた拍手の音、僕は顔を上げると袖へ向かって歩き出す。カーテンコール、この時間が苦手である。役者として舞台上にいる時、上手い下手は置いておいて僕はまがりなりにも別人として生きていた訳で、それが終演を迎えると、突然、丸裸にされた気分になるのだ。
本当の僕は人前に立つような人間じゃない。凡人が、おこがましいとすら感じてしまう。光の世界に不器用な笑顔で別れを告げ、袖中へ隠れるように引っ込む。ひんやりと涼しい。
子供の頃、真夏の炎天下から軒下の日陰へ入った心地よさを思い出す。僕は肌に張り付いた衣装を脱ぎながら、重い体を引き摺るように楽屋へ帰る。鏡に映っていたのは四十歳の疲れた男である。メイクがドロドロに落ちて泣いているみたいだ。鬘を取ると、天然パーマがワカメのようにへばり付いている。
終演後のバックヤードは慌ただしく、僕だけを残して次々と片付けられてゆく。時々、世界に置いていかれそうになる。行き先を見極める暇もないまま特急電車に乗せられて、車窓から他人の住む町を見ている気分である。もう何年、こんな感覚で生きているのだろう。
歳を重ねるにつれて時の流れは早くなるとよく言うが、最近、至極納得のいく理由を聞いた。一歳の赤ちゃんの一年は人生の一分の一であるが、四十歳の僕の一年は四十分の一でしかない。意味のある時間も意味のない時間も、無関係に分母に足されてしまうのだ。
とにかく、特急電車はこの先スピードを増すばかりだろう。軽い眩暈がして泥のような体をパイプ椅子に下ろすと、鏡前には汚れたメイク用品と飲みかけのペットボトルが乱雑に置かれている。あぁ、整理がしたい。時間よ、止まってくれ。
僕はヤニで黒ずんだノートパソコンを机に置くと、外の音を遮断するためにイヤホンを耳に突っ込む。音楽は流れていない。うるさいから嫌いだ。自分と対話するための儀式のようなものである。
僕の職業は作家、役者、劇団員、どれも肩書きにするには曖昧なものだ。曖昧な僕を象徴するように、天然パーマは今日もうねっている。真っ直ぐ目的地に向かいたいが、僕の電車は行き先を見失っているようだ。もう一度、何者になりたかったのかを見定めて終着駅を決める必要がある。
四十歳、あてもなく丘を登っていた時期は過ぎ、丘を下る時間が来たのだ。悲観的な意味ではない。人生という旅を全うして終えるために、行きたかった場所へ向かうべきである。
僕は十二年前に東京へ来た理由と、その意味を思い出して書くことを決意する。なぜなら上京してからの二年間、劇団員たちと共に暮らし、共に夢を見た日々は、僕が自らの足で踏み出した旅の始まりだからである。車窓から見た景色は自分の町であり、時間は僕に寄り添うように確かに流れていた。
「さよなら鹿ハウス」と一行書くと、僕の瞼の裏にかつての道が見えた。

*

買いたての中古のハイエースは、快調な音を立てて深夜の名神高速道路を東へと走っている。僕はバックミラーを確認した。後ろにはしっかりと二トントラックが二台連なって走っている。
二〇〇五年四月一日、未明。僕ら七人は上京の道中であり、僕らとは兵庫県西宮市出身「劇団鹿」の面々である。
「劇団鹿」、なんてふざけた名前を付けてしまったんだ! 劇団名を決める時、「劇団ヒヤシンス」と「劇団天然パーマ」と悩んだ結果、一番強そうであると安易に決めてしまった。
多くの劇団がそうだろうが、旗揚げをする時、誰も高い志など持っている訳ではない。志なんか持っていたら劇団なんて馬鹿げた事は始めないだろう。若気の至り、その結晶が劇団名であり、僕らの場合は「劇団鹿」であった。
しかし、この強いのか弱いのか、深いのか浅いのか分からない名前のせいで、西宮での五年間、観客の数は一向に増えなかった。いや、恐らく名前のせいだけではない。すぐ衣装代をケチって舞台上で全裸になってしまう、スタッフを雇うお金が勿体ないからと照明は蛍光灯のみ、音楽は壊れかけのMDウォークマンで流すという芝居の中身にも問題があったのだが……僕らは劇団名のせいにしてプライドを守ってきた。矢沢永吉の「成りあがり」をバイブルにする僕らは、逆ギレをかまし関西に見切りをつけることにしたのだ。決して尻尾を巻いて逃げた訳ではない。時代が僕らに追いつけなかったのだ。
旗揚げ早々に名前で躓き、同世代の連中に先を越され、後輩に追い抜かれ、辛酸を舐めてきたが、僕ももう二十六歳。あの尾崎豊が死んだ年齢である。自由への叫びも放熱への証もしていない。尾崎年表で言うならば、もはや僕の人生は一度終わっている。このまま惰性で劇団を続けるくらいなら、今こそ一世一代の大博打! と、実に短絡的な考えの上京であった。
上京するに当たって、七人は二つの約束を交わした。一つ、二年間はバイト禁止、劇団の公演以外は路上パフォーマンスで生活費を稼ぐこと。これは一見無謀な計画と思われるが、確かな計算があった。
当時、僕らは観客を増やすためには劇場に籠もっていては駄目だと、週末に大阪や神戸で路上パフォーマンスをしていたが、カンパやらで平均すると一日三万円の収入があったからだ。週六でやれば、東京でも七人共同生活ならやっていける。そのために劇団の貯金をはたいて、十万キロも走っている老兵のハイエース「鹿カー」を買い、東京都東久留米市にある古い一軒家「鹿ハウス」を借りた。
そしてもう一つ、お客さんや関係者の女性に手を出さないこと。これは僕を含めた男性劇団員の西宮での行いが悪かったせいで、座長が英断を下した。成りあがりの最中、女性関係で怪我している場合ではない。しかしお客さんは分かるが、関係者とは一体どこまでを関係者と呼ぶ? この曖昧な線引きが後に僕らを悩ませるのだが、その話は別の機会にしよう。
とにかく全ては遅すぎた春、夢へのスタートを切る為だと、二つの約束を胸に僕らは鹿カーとレンタカーのトラック二台で西宮を旅立った。
ヘッドライトは流れゆく景色に目もくれず、ただ一心に夜の高速道路を照らしていた。どこまでも続く道を見ていると、僕は何かに導かれているような感覚に陥る。
僕の人生は、僕の意思とは関係の無いところで、誰かが道を作り、僕はその道の上を走らせてもらっているのに過ぎないのではないだろうか。僕の人生は僕だけの物でなく、導いてくれた人たちの夢も乗せて走っているのかも知れない。それは僕のことを「孫の中で一番マシ」だと褒めてくれた亡き祖父かも知れないし、今まさに共に夢を走らせる六人かも知れない。
カーステレオからは、くるりの「東京」が流れていた。突然、東名高速道路と書かれた標識が目に飛び込んできた。ここからは未知なる世界、東京へ続く道である。イメージが実感へと近付き、胸が高鳴ると、ハンドルを握る手が汗ばんだ。
僕は助手席に目をやった。そこには同じく目を爛々と輝かせた小柄の女性が座っていた。座長「鹿の子チョビン」である。「劇団鹿」の座長は身長一五三センチ、それすらもうっすらサバを読んでいる小さな女性なのだ。
チョビンは福岡から単身関西に乗り込んできた、大学演劇サークルの後輩なのだが、下宿先の壁に「野心が私を連れていく。きっと私を連れていく」だの「選民思想。自分最高」だの、達筆な毛筆の貼り紙をしているような強靭な精神を持つ。「星の子チョビン」というあまり知られていないアニメのキャラクターを捩って、自ら「鹿の子チョビン」と命名した。
「劇団鹿」はこのドSの座長に、ドMの男六人が従うというヒエラルキー劇団なのである。
助手席から夜を見つめるチョビンは、カーステレオから流れるBGMを小まめに変えた。これも「お前、寝るなよ」という脅しである。少し眠気を感じていた僕は、慌ててハンドルを切る。鹿カーは慣れない音を立ててサービスエリアに進入し、トラック二台も続いた。
深夜のサービスエリアで、七人は豪快にカツ丼に食らいつく。お金の心配はない。上京を決めた四ヶ月前、僕らは互いに貯金額を公表し合った。「貯金、ありません」「しない主義っす」「五万くらい」という心許ない返事に、僕は「東京やで。少なくとも二十万は必要やろう」と全く根拠のない提案をし、皆、それを実現させてきたからだ。七人は言葉少なにカツ丼を食べ終えると外に出て、満腹の腹に尚も大量の空気を吸い込んだ。
七人はバイトも仕事も辞めてきた。自由だ。放熱への証だ。肌寒い春の夜にブルッと身震い一つ。いや、これから始まるであろう鹿の逆襲を前に、僕らは自らの可能性に打ち震えていたのであった。
進行方向である東より、眩しい朝日が差し込んでくる。僕は東京者に舐められてはいけないと、ホームセンターで新調した千円のサングラスをかけ、高井戸インターを降りていった。すると風景は一変し、環状八号線は大渋滞である。
「東京やなー」と僕が呟くと、すかさず「東京っすねー」と後部座席に座っていた最年少の十九歳「オレノハーモニー(芸名)」が返事をした。
僕らの行く手を阻む車の波、ブレーキランプが一列に並び順番を待っている。やはり東京は夢の激戦区だ。オレノとて中卒で大検を取り大学入学、なのに一年で退学し、芸名を「貴花田」と悩んだ末に「オレノハーモニー」として生きることを決断し、鹿カーに乗車している。
僕らに引き返す選択肢など無いのだ。神戸ナンバーの三連隊は、午前中に三鷹の不動産屋で鍵を受け取ると、泣く泣く北上を開始した。中野、高円寺、吉祥寺、三鷹……上京するなら中央線沿線でという当初の計画も空しく、七人が住める一軒家など見つからなかった。
いや、恥を忍んで告白すると家賃が高くて予算オーバーだ。鹿カーの駐車場代も考えると、計画は北へ修正を繰り返し、西武池袋線の東久留米駅から車で十分、埼玉との県境まで行き着いてしまった。良いではないか、ミスチル的に言えば壁は高いほど登ったとき気持ちいいのである。
三鷹より北に舵を取り続けること二十分、ビル群と排気ガスの靄は消え、田園風景が目立つようになってくる。時間の流れが徐々に遅くなり、終には野菜の無人販売所が見えた。
あれ、おかしいや。西宮より確実に田舎である。想像していたギャルもギャル男もいない。野生な川には牛蛙の鳴き声が響いている。
後で知った話だが、東久留米を流れる黒目川にはかつて河童がいたという。町には河童の銅像が立ち、河童の看板が「川に入るな。危険」「横断歩道は手を上げて渡ろう」と住民に呼び掛けている。拍子抜けするほど長閑であった。
鹿ハウスは、黒目川から道を一本入った路地の一番奥にひっそりと立っていた。瓦屋根に雨戸、縁側という古い日本民家の佇まいで、狭いながらも庭に倉庫まである。
変わったことと言えば、外壁も内装の板壁も、おそらく大家が自分で塗ったであろうというラフな塗装だったこと。フローリングとは名ばかりで、全ての床がゴキブリの羽根のような焦げ茶に光るボコボコの板張りだった。家の中と外気の温度はほぼ同じで、風が自由気ままに吹き抜ける。
しかし、七人が暮らせる家賃十三万円の夢の城だ。上等である。月額八千円で借りた駐車場から鹿ハウスまでは、民家がひしめく路地を徒歩一分だ。トラックを止めて荷台を開けてみると、運んできた数台の原付が倒れてガソリンが漏れている。へこたれてなるものか、七人は膨大な荷物を手運びしてゆく。劇団員、得意のバケツリレーである。
民家の二階から近所の奥様方が、怪訝そうに覗き込んでいる。やばい! 得体の知れない男女七人暮らしに不動産屋が家を貸してくれる訳がなく、チョビンと僕はデザイナー夫婦を装って、「作品を飾りたいから部屋数がいる」とホラを吹いて借りていたからだ。
作品? 何のデザイナーよ? 僕は思い出し苦笑いを浮かべながら、慌ててニット帽をかぶりジャケットを羽織る。新進気鋭のデザイナーを演じるためだ。チョビンは慣れないスカートを穿き、出発前に買っておいた京都の漬け物を手にご近所をまわった。
「関西から引っ越してきました。夫はデザイナーで、会社の若い連中が出入りしますけど、怪しい者ではありませんので」この挨拶が既に怪しい。それを真顔で言ってのけるチョビンは心臓も強靭だ。漬け物にしたのも「リアリティーがある」というチョビンの提案である。僕はデザイナー風になよっと立ち、愛想笑いでやけに乾く唇を舐めていた。
言い忘れていたが、僕の芸名は角田角一郎、「劇団鹿」の代表という肩書きを持つ。よく座長と代表はどちらが偉いのかと聞かれるが、間違いなく座長だと答えることにしている。世間一般的にどうなのか知らないが、「劇団鹿」の精神的支柱はやはり座長だからである。
鹿ハウスの一階はキッチン、トイレ、浴室、リビングの他、二部屋。一階は年長である座長と代表が部屋を持つことに上層部(座長と代表)で決めた。座長は六畳、僕は三畳、部屋というよりは物置に近い。
二階は三部屋。唯一役者ではなくスタッフとして参加し、音楽やホームページを作っている「入交ヨシキ」(いりまじりと読む。高知ではポピュラーな苗字で入交財閥なるものまであるらしい。ヨシキは芸名、X JAPANの彼に顔が似ているから)は、一人部屋が良かろうと一部屋を取り、あとは渡辺とジョン、山本とオレノが相部屋となった。
三船敏郎を敬愛する渡辺の芸名は「渡辺ダガヤ」であり、名古屋出身、大阪大学卒業という高学歴を持つ。「劇団鹿」に入団したということは、人生偏差値は高くなかったようだ。
ジョンはジョン・レノンが好きな、西宮の山の手に住む金持ちの息子で、中学から高校卒業までイジメぬかれたそうだが「コンクリートの壁に頭をガンガンぶつけられた時は、さすがに死んじゃうよーって思いましたよ。釣りと映画が無ければ、死んでましたね」と、爆笑して言ってのけるタフな男だ。強くなれという願いを込めて「ジョン・J・ウルフ」なる芸名を付けた。
「山本サトル」は看板役者を期待されるハンサムであり、只一人本名で活動することが許されたが、チビで薄毛で演技が下手という欠点を持っていた。
上京初日、引っ越し作業と部屋割りという大仕事を終えて疲れ果てた七人は、段ボールに囲まれて雑魚寝した。翌日は昼過ぎに目覚めると、颯爽とホームセンターへと繰り出す。鹿ハウス作り開始だ。
僕らだって、お洒落な家に住んで文化的に暮らしたい。巷で流行の間接照明にするためのクリップライトや古民家を和モダン風に改装するための蓙と簾を買い込み、昼夜問わず鹿ハウスを大改造した。ダイニングテーブルを買うお金は無いから、分厚いベニヤと建築用鉄骨資材を使って作り、キッチンの棚はバーっぽくガラス戸を取り外し、ありったけの焼酎とワインを並べた。焼酎と言っても「大五郎」という名前の甲類焼酎、ほぼただのアルコールである。大五郎にクリップライトで光を当てると、不思議とバーっぽくなるから間接照明は物凄い。
相部屋二部屋の扉には、可愛い熊の人形を掛けた。その熊が裏返しに掛かっていると「オナニー中。入るべからず」という意味である。これは二つ目の約束を実行するためには重要な準備だ。
風呂は毎晩ジャンケンで順番を決め、シャワーは使わず湯船に張ったお湯を使う。翌日、その残り湯を使って洗濯する。料理はチョビンが担当、若いオレノとジョンが手伝い、洗い物は男六人で分担する。トイレットペーパーの芯は必ず捨てる。週に一回、大掃除をする。
様々なルールが鹿ハウスで決まっていったが、女一人男六人の奇妙な共同生活である。オリジナリティー溢れる掟もあった。男性は便座に座って用を足すこと。これはチョビンが「立ってすると、半径五メートルに飛び散るんばい!」と、どこぞで仕入れた恐ろしい話を言って聞かせたからだ。
チョビンが体調を悪そうにしている時は、男たちが気を使うこと。これも「男は血が出たら騒ぐ。でも女は毎月血を出しとる。たまにレバーのような物体が出てくることもあるんばい!」と言って、僕ら男子を凹ませたことがあるからだ。女性は逞しく恐ろしい。学校は何も教えてくれない。これは鹿ハウスで学んだ教訓である。
鹿ハウスの朝は九時、当番制で食パンを焼く作業から始まる。味噌汁と目玉焼きも七つ。それを黙々と食べ、十時から二階の廊下「オフィス鹿」で会議だ。議題はまず生活のこと。
「昨日、あろうことか便座が上がっていました」との報告があれば犯人を突き止め、「便器にう○こがついていました」とのクレームが出れば、皆で手帳に注意書きをメモる。それから議題は劇団のことへ移り、薄毛の山本へ「ハゲたら退団な」という注意や「どうしたら売れるか?」についての研究を重ねた。
十二時を回ると、とにかく鹿ハウス作り。夜は、日に日に和モダンへと変貌する鹿ハウスを眺めながら大五郎を飲む。自由とお洒落と酒、すなわちアーティストっぽさに酔いながら、お気に入りのDVD、フレディ・マーキュリーや尾崎豊のライブ映像を見て、東京(ほぼ埼玉)生活を満喫していた。
いつの間にやら二週間が経っていたある夜のこと。その夜はブルーハーツの映像が流れ、ヒロトがピョンピョン飛び跳ねていた。突然、大五郎に酔った山本が立ち上がり「俺たちは何をしてるんっすか!」と叫んだ。「二週間、ひたすら家の改造をしてる。このままじゃダメだ」代表の威厳をもって僕は言い返す。「いや、売れるための研究をしてる。研究を!」「今はフレディや尾崎を吸収するインプットの時期ばい!」座長、チョビンの援護射撃が続く。
「こんなはずじゃなかった。何しに東京へ来たんですか?」震える山本は高知出身、大酒飲みで熱くなりやすい。が、劇団の経理を担当するしっかり者である。唯一のサラリーマンだったが、タイミングよく彼女と別れたこともあり、会社を辞めて上京した。覚悟とハンサムだけは劇団一である。
一瞬静まり返ったリビングで、山本の当たり前の提案が僕らの心に残響を残す。僕らは日々研究を重ねていたものの、まだ一歩も東久留米を出ていなかったのだ。凍てついた空気に牛蛙の鳴き声が響く。河童にも笑われている気がした。
「ぬおー!」突然、渡辺が三船ばりにキレよく立ち上がり、「ほんまや。全然、路上パフォーマンスしてへん!」とオレノが吠えた。ブラウン管の向こう側、ヒロトが物凄い眼力で睨みつけてくる。そう、この目だ。東久留米の長閑な空気が、いつしか僕らの目から光を奪っていた。
僕らは決して、和モダンの家でお洒落な共同生活をしたくて東京へ来たのではない。矢沢のように成りあがり、ヒロトや尾崎、フレディ・マーキュリーのような伝説になるために来たのだ。いつしか僕らはヒロトのようにピョンピョンと跳ね回っていた。大五郎の中に飛び込みたい気分だ。
吹き抜ける風がリビングで巻き上がり、鹿ハウスをブルブルと揺らす。明日こそ東京の街へ出て路上パフォーマンスを成功させ、伝説へのスタートを切ることを誓い合う。酔った頭をシェイクするように「リンダ、リンダ!」と筋トレを始めた時、玄関の扉が勢いよく開いた。
仁王立ちしていたのは、隣の民家に住むヤンキーだった。血走った彼の目は「お前ら、いい歳こいて青春しやがって!」と訴えかけていた。僕らは「すいません!」と平謝りを繰り返しながら、明日から訪れるであろう成りあがりの日々に夢を馳せるのであった。
翌朝九時、穏やかな東久留米の朝。鹿ハウスの食卓には食パンも目玉焼きも、それどころか誰一人として姿を現していなかった。そう、僕らは案の定、大五郎の強烈な二日酔いに敗北を喫したのだ。こうして「劇団鹿」の伝説は二週間と一日遅れで始まることになる。

   *

「退館時間です」という声がして、パソコンを閉じると薄暗い楽屋にはもう誰もいない。
床に置いた草臥れたリュックにパソコンを仕舞うと、僕はやっと立ち上がる。幾分、体が軽くなったようだ。
劇場ロビーを通り抜けると「劇団鹿」と書かれたグッズが並んでいて、僕は恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。十二年前の僕に見られている気がしたからだ。
君はなんて言うだろう。褒めてくれる? 励ましてくれる? 泣いて怒り出すのかも知れない。そんなことを考えながら夜の町に出ると、時間が物凄い速さで進み始める。
僕一人、幽霊のように時空を彷徨っているようだ。生きなくてはいけない。死ぬまで僕の旅は続くのだから。僕は劇団名の由来になった詩人、村野四郎の「鹿」という詩を思い出していた。

鹿は 森のはずれの 夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた 小さい額が狙われているのを
けれども 彼に どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って 村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である 大きい森の夜を背景にして



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