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「相模原事件」が壊したもの(荒井裕樹)

連載:黙らなかった人たち――理不尽な現状を変えることば 第6回
普通の人がこぼした愚痴、泣き言、怒り。生きづらさにあらがうための言葉を探る、文学研究者による異色エッセイ。本稿は、2018年7月9日にWEB astaで公開された記事を転載したものになります。

不気味な「予感」

 神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件から、2年が経とうとしています。
 あの事件で尊い生命を奪われた方々のご無念を思うと、胸が塞がる思いがします。
 また、心身に深い傷を負われた方々、大切な人との別れを理不尽な形で強いられた方々にも、心よりお見舞いを申し上げます。
 事件に関心を寄せる人の口からは、すでに「風化」を危惧する言葉が漏れています。「風化」にあらがうために、私に何ができるのか。愚直に考え続けたいと思っています。

 事件の直後、私は、ある方とお話させていただく機会を得ました。長らく、神奈川県で脳性マヒの当事者運動に取り組んでいる方です。
 その方は、このような気持ちを話してくださいました。

ここのところ、「いつか障害者が無差別殺人の被害にあうのではないか」という予感を持っていた。でも、それは通り魔事件のようなものをイメージしていた。それが、このような最悪な形で現実になってしまった。

 この社会は、特定の人たちの存在を拒絶する憎悪の感情を、露骨にあらわすことへの抵抗感が薄くなってしまったように思います。生活保護バッシングやヘイトスピーチなどもそうです。
 そうした剝き出しの憎悪が、障害者に向けても表出するのではないか。この社会には、障害者が街中で身の危険を覚えるような空気が、あの事件の前にも存在していました。
 そして、いまも、現実に存在しています。

 こうした空気を、見て見ぬ振りで済ませてしまうのか。
 次の世代に引き継がぬように、いま、ここであらがうのか。
 決して大げさではなく、私たちは「時代の分かれ道」に立っていると思います。
「誰か」を憎悪するのにためらいのない社会は、「私」を憎悪するのにもためらいがないはずです。
 そんな社会が嫌だというなら、「黙る」という選択肢はありません。

事件は「私たち」の問題

「相模原事件」に関して、私はもどかしい思いを抱えています。
 大前提として、この事件は「私たちが生きる社会の在り方」が試されています。社会全体で考えなければならないことが、たくさんあります。
「なぜ犠牲者は施設で暮らしていたのか?」
「なぜ犠牲者の名前が公表されなかったのか?」
「なぜ容疑者の主張に共鳴する言葉がSNSなどに溢れたのか?」
 いずれも、私たちが生きるこの社会で起きたことであり、私たちに関わる問題です。

 大きな議論になった施設の再建問題(同程度の施設を現地に再建するのか、小規模施設を複数作り「地域生活」を促進するのか)に関しても、社会の在り方に関わる問題です(この問題に関しては、また改めて文章を書きたいと思っています)。
 にもかかわらず、この事件は「どこか遠くで起きたこと」として受け止められ、「福祉の専門家が考えるべき問題」と考えられている節があります。

「障害の有無で人を隔てることなく、共に生きるためには何が必要か」について議論することは、「様々な事情をもった人たちが、共に生きられる社会とは何か」を議論することと地続きです。
 この社会には、もうすでに「様々な事情をもった人たち」が多く暮らしています。出身地、言語、年齢、性別、思想信条、文化習慣、心身の状態など、様々な事情をもった人たち同士で、どのような社会を作っていくのかという問題は、現実に直面している喫緊の課題です。
 この問題に無関係でいられる人など存在しません。なぜなら、私たちは皆「様々な事情をもった一人」だからです。

また「あの言葉」が繰り返されるのか

 私がもどかしい思いを抱えているのは、実はこの先の問題です。
 相模原事件も、遠からず、裁判がはじまることになります。
 通常、社会に深刻な影響を及ぼした事件の公判がはじまれば、事実の解明が期待されます。この事件についても、もう二度と同様の事件を起こさないために、厳正な裁判が行われることを求めます。
 また、この事件が今後、「共生社会」へ向けた議論にどのような影響を及ぼすのか。しっかりと記録しなければなりません。

 ただ一方で、私は重苦しい不安も抱えています。
 裁判で被告人は、犯行前後に発していた「障害者は生きている意味がない」という主旨の主張を再び展開するのではないか。
 その様子が報じられたら、事件直後のように、被告の主張を肯定したり、賛美したりするような意見が、またSNSに溢れるのではないか。

 公判の内容については、誰もが知る権利を持っていますし、この事件については「苦しいけれども知らなければならないこと」もあります。したがって、公判が報じられないなどということはあってはなりません。
 しかし、やはり一方で、ああした言葉が繰り返されるのではないかと想像すると、それだけで気が滅入ります。
 被告人の主張に共鳴する声がSNSに溢れることは、次の点で恐ろしいと思います。

 まず、「特定の人たちの尊厳を損なう言葉」が社会に蓄積していくことが恐ろしいです。
 SNSは言論空間であると同時に生活空間でもあります。あのような言葉が生活圏に存在すること、またそうした生活に違和感がなくなってしまうことに、私は恐怖を覚えます。
(「ああした言葉に共鳴してしまう人の背後には何があるのか」という問題についても考えるべきですが、それは「ああした言葉が溢れることの怖さ」を指摘した後の話です。)

 また、SNSに氾濫する言葉には反論しにくいという点があります。匿名的に溢れる言葉にまともに向き合おうとすると、大事な論点がズレてしまいかねません。
「障害者は生きる意味がない」という言葉を批判しようとすると、ともすると、反論する側に「障害者が生きる意味」の立証責任があるように錯覚してしまうことがあります。私自身も、時折、そのような錯覚を覚えるのですが、冷静に考えてみれば、これはとても理不尽なことです。

 私たちが議論しなければならないのは、「障害の有無で人を隔てることなく、共に生きるためには何が必要か?」という点です。
 しかし、「障害者は生きる意味がない」という言葉に反論しようとすると、論点が「障害者が生きる意味とは何か?」に変わりかねない怖さがあるのです。

「生きる意味」は言葉になんてできない

 当たり前のことですが、「人が生きる意味」について軽々に議論することはできません。
 障害があろうとなかろうと、人は誰しも「自分が生きている意味」を簡潔に説明することなどできないと思います。「自分が生きる意味」も、「自分が生きてきたことの意味」も、簡略な言葉でまとめられるような、浅薄なものではないからです。

 私は、「自分が生きる意味」について、心の中で思い悩んだり、大切な人と語り合ったりすることはあります。自分の生きがいについて、誰かに知ってほしくて、その思いを発信することもあります。
 しかし、私が「生きる意味」について、第三者から説明を求められる筋合いはありませんし、社会に対してそれを論証しなければならない義務も負っていません。
 もしも、私が「自分の生きる意味」について論証しようとして、うまく論証できなかったとしたら、私には「生きる意味」がないということになるのでしょうか。そんな理不尽な論証を求められたとしたら、私はそれを暴力と認識します。
 また逆に、もしも合理的で論理的な説明ができるなら、誰かの「生きる意味」を否定してもよいのでしょうか。私は、そんな合理性も論理性も身につけたくありません。
 そもそも、議論の行く末に責任のない人たちが、ある特定の人たちの「生きる意味」について議論すること自体、その「特定の人たち」にとっては恐怖だろうと思います。

不穏な既視感

 私は「相模原事件」のことを考える際、前回ご紹介した「青い芝の会」の横田弘さん(1933-2013年)たちの活動を、いつも参考にしています。なぜなら、横田さんたちは、はじめて正面から「障害者を殺すな」「隔離するな」と声を上げた人たちだったからです。

 時々「まだ横田弘の話をしているのか?」という批判を受けることもありますが、私から言わせてもらえば、社会は「まだ」横田弘に追いついていないと思っています。

 最近の出来事(一部)で言えば、某航空会社が車椅子利用者の搭乗を拒否した事件や、知的障害のある息子が檻に監禁され死に至った事件(兵庫県三田市)で、被告の父親に対して執行猶予付きの判決が下りたことなど、横田さんたちが40年以上も前から批判してきたのと、ほとんど同じ構図の出来事が起きています。

 これからの社会を考えるのに、70年代の障害者運動が参考になるのか? と疑問に思う人もいるかもしれません。しかし、70年代の運動を勉強している私からすると、この社会はいま不穏な既視感に満ちています。

 すでに何十年も前から訴えられてきたことが、いま繰り返し起きている。
 障害者運動家たちが身体を張って積み上げてきたものが、ひっくり返されている。
「相模原事件」は、その最悪な形だと思います。「殺すな」「共に生きよう」というメッセージが、そのために積み上げてきたものが、根底から覆されてしまいました。

 崩されてしまったものは、また積み上げなければなりません。私たちは、しつこく「障害の有無で人を隔てることなく、共に生きるためには何が必要か」を考え続けなければなりません。

 ――と、本当はここで稿を終えたいのですが、横田弘さんに触れた以上、もう一言付け加えねばなりません。
 以上のようなことを書いてきましたが、当の横田さんご本人は、きっと褒めてくださらないはずです。
 生前の横田さんとお話する際、私が思わず「私たちは~」とか「この社会は~」といった「大きな主語」で話をすると、横田さんからは次のような言葉が返ってきました。

それで、君はどうするの? 君は、どうしたいの?

 大切なのは、「私」という「小さな主語」で考えることです。

 この私にできることは、こうして文章を書くことです。
 文章を書き続けることです。
 かつて警鐘が鳴らされたこと。
 警鐘を鳴らした人たちがいたこと。
 その歴史を言葉にして、もう一度、この時代に鳴らしてみることです。

 そのために、私は、来年も、再来年も、その先も、7月が来る度に「相模原事件」のことを書こうと思います。誰よりも長く、この問題を考え、この問題に囚われ続けようと思います。

荒井裕樹(あらい・ゆうき)
1980年東京都生まれ。2009年東京大学大学院人文社会系研究科終了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科付属次世代人文学開発センター特任研究員を経て、現在、二松學舍大学文学部専任講師。専門は障害者文化論・日本近現代文学。著書に『差別されてる自覚はあるか――横田弘と青い芝の会「行動綱領」』(現代書館)、『生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき』(亜紀書房)、『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス)、『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(現代書館)がある。

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