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“さわる”展覧会「ユニバーサル・ミュージアム」に行ってきました!

「ポプラ社こどもの本編集部note」では、全盲の文化人類学者で国立民族学博物館准教授の広瀬浩二郎さんに、連載〈失明得暗──新たな「ユニバーサル」論の構築に向けて〉を3回にわたって書いていただきました。(こちらからお読みいただけます→第1回第2回第3回
「誰もが楽しめる博物館」の実践的研究に取り組む広瀬浩二郎さんは、2021年秋に国立民族学博物館で開催された「ユニバーサル・ミュージアム ―― さわる!“触”の大博覧会」を大成功に導いた立て役者。広瀬さんの連載でもふれられているこの展覧会は、どんな展覧会だったのでしょう?
会期はすでに終了していますが(2021年11月30日まで)、実際に足を運び、広瀬さんに案内していただきながら「体験・体感」してきたポプラ社編集部のわたしたち(小桜+齋藤)がルポ形式でご紹介します。みなさんにも、この「“さわる”展覧会」の楽しさをお伝えきたら幸いです。

国立民族学博物館(大阪府吹田市)

■「さわる」はすごい、そして楽しい

展覧会会場のいちばん最初にあったのは、国宝の興福寺仏頭のレプリカ。歴史の教科書などの写真で「見た」ことはある仏頭。でももちろん「さわった」ことは一度もありません。

国宝・興福寺仏頭レプリカ

「さあ、どうぞ近づいてさわってみてください」と、広瀬さん。
(え、そんな……ほんとにいいの?)と、ちょっと戸惑いながら近づいて、そこでなんとなく一度深呼吸。そして、てのひらをほおにあててみる……。
すごくドキドキ。貴重なものにふれているという緊張のドキドキではなくて、人との関係が縮まったときのドキドキに近いかもしれない。「ときめき」というかなんというか……。

目のライン、ほおのちょっとしたくぼみなどを手で感じ、
仏頭がぐんと身近な存在になる

見ることでわかる「つるつるほっぺ」も、実際にふれるとほおのカーブの繊細なラインがてのひらに伝わってきて、「つるつる」だけじゃない仏頭の個性が伝わってきます。何度もの火災によって欠けてしまったという後頭部(と言っていいのでしょうか?)をさわると、この仏頭の「人生」をてのひらや指が感じさせてくれ、いろいろな想像が頭をよぎります。

火災で焼失してしまっている仏頭の後ろ側

「顔にふれる」ということは、触覚で何かがわかるということだけではなくて、そのものとの「関係を縮める」ということが、とてもよく伝わってきました。

……てのひらや指から得た感覚を、文章でうまく伝えられないのがもどかしいのですが、とにかく、「この仏頭をさわったてのひらや指が喜んでる!」そんな感覚を得たのです。関係が縮まれば、相手のことをもっと知りたくなってくる。てのひらや指が「もっと知りたい、なかよくなりたい」とワクワクしてる。

目で見て美術作品を鑑賞する──。その体験はこれまで何度もしてきました。感動したり癒されたり、たくさんの大好きな作品に出会ってきました。けれど、「さわる」鑑賞はこの体験がはじめてでした。

「時間の可視化」を表現したという作品。
石が生まれた時間、アーティストがノミでこつこつ作品を作り上げた時間……
いろいろな「時間」を手で感じられる(北川太郎「時空ピラミッド」)
全体はひとの何倍もの高さのある大きな日本画。
手で波しぶきを感じる。(間島秀徳「Kinesis No.743(dragon vein)」)

「さわる」と自然に声が出ます。いっしょに来ている人に「ね、ここ、さわってみて」「うわ、めっちゃつるつるしてる!」「この2か所のざらざら、見た目だといっしょだけど、さわると違っておもしろいよ」などなど。思わず会話しちゃいます。もしかしたら、「さわる」のは、さわっているものと自分の距離を縮めるだけでなくて、同じものをさわる人どうしの距離も縮めてしまうのかもしれません。
そして、「見える」ひとも「見えない」ひとも、その展示物に知識を持つ学者さんも、知識を持たない小さなこどもも、「さわる」ことでみんなの距離が縮まる。
「さわる」はすごい。そして、楽しい。なんだかちょっと大げさかもしれないけれど、この展覧会から生き方のヒントをもらった気がします。

(小桜浩子)


■コミュニケーションの形が広がる展覧会

関東住まいの私にとって、大阪へはじめての「みんぱく」訪問。特別展「ユニバーサル・ミュージアム」を知り、絶対に行きたい! との思いは募り、ついにやってきました。しかも、企画者である広瀬浩二郎さんに案内してもらえるとは……! 編集者やっててよかったと思った瞬間でした!

目の見える人も、見えない人も、誰もが楽しめる真の「ユニバーサル」を標榜したこの展覧会の開催は、エポックな出来事として、この先語り継がれるだろうと思いました。私の体験した「ユニバーサル・ミュージアム」のレポートを、ちょっとだけお伝えします。

北川太郎「厚みのある時間」

展覧会は、展示室に入る前から始まりました。
会場の外に置かれた北川太郎さんの彫刻は、ペルーのアンデス高原にあった石で制作されたのだそう。石の道程に思いを馳せるだけで壮大な気持ちになりますが、言われるがままに、彫刻に「さわって」みます。展示中の彫刻に、こんなにべたべたとさわることがあったでしょうか。

べたべた

まず、真っ先に気づいたのは、石に刻まれたノミの跡。いったいどのくらいの時間をかけて、作家はこの石を削ったのだろう、という思いが、目で見ることとは比べ物にならないほどリアリティを伴って、自分の中にやってきました。

写真を見るとわかるのですが、つい先ほどまで雨が降っていたので、石が少し濡れています。その触感もまた楽しいのです。

冨永敦也「Love Stone Project-UM」
つるつる

隣にあったのは、冨永敦也さんの彫刻作品です。ハートの形に削りだされた石は、最初はざらざらした表面だったものを、展覧会期中にワークショップを行い、沢山の人と共につるつるに磨きあげたのだそうです。
さわると、滑らかな石の表面がとにかく気持ちよくて、ずっと撫でていたいような気分になります。つるつるを手で追いながら、削られた面と削る前の面の差を確かめると、いかにワークショップ参加者が心を込めて一所懸命に磨いたのかを知ることができました。石のひんやりとした冷たさも心地よかったです。

他にも紹介したい作品は沢山あるのですが、この調子で行くとレポートがめちゃくちゃ長くなってしまうので、いくつか絞って取りあげます。

三木製作所「富士山立体地図」 

これは、大阪市西淀川区にある三木製作所さんが制作した富士山の立体地図。さわっておどろいたのは、富士山の鋭角さでした。さすが、日本のシンボル富士山! この切れ味鋭い姿に、多くの人が霊性を感じ、心惹かれてきたのですね。一度も登ったことがないのに、山頂を指で撫でると、まるで登頂に成功したかのような大きな気持ちに(笑)。

島田清徳「境界 division - m - 2021」

こちらは、島田清徳さんの作品です。2000枚以上の布片が天井からつるされ、そのかたまりの中を鑑賞者がかきわけながら進んで、体感します。中に入ると、視覚情報にたよって歩くことはできず、布が体にふれる音と手ざわりを信じて、道なき道を進みます。同時に鑑賞している人が、どこから飛び出てくるかわからないドキドキ感がすごい! でも、楽しい! 数名でわいわい騒ぎながら鑑賞するのもよさそうと思いました。

この「ユニバーサル・ミュージアム」展では、さわって鑑賞する時に、必ず他のお客さんと繋がる瞬間がありました。なるほど、そんなさわり方があるんだ! とか、そのさわり方楽しそう! とか、そんな風に、作品をきっかけにして言葉は交わさずとも「鑑賞」という形のコミュニケーションが起こっていたような気がしました。こんな展覧会は、生まれて初めてです。

作家が大上段に構えるのではなく、作品を通じた鑑賞者とのコミュニケーションについて考えさせるような作品や展覧会が、近年増えているような気がします。
ですが、この展覧会は、その作家と鑑賞者の関係の中に、いつでも、だれでも入ってきていいよ! と言っているような風通しの良さがありました。その風通しの良さは、すぐに社会的な関係性のなかで実践へと繋がる、強さがあると思います。

会期中、作品をふれられ続ける、ということは作家の鑑賞者に対する信頼がなければできないことです。それは、何よりも企画者の広瀬さんに対する作家さんたちの大きな信頼感のあらわれです。その気持ちが、あたたかな空気となってこの場所を作っているような、とても素晴らしい展覧会でした。

会期中、レストランの「グリルみんぱく」では展示に合わせた特別メニューとして、
手づかみで「触って」食べられるスペアリブが!
美味しすぎて写真を撮り忘れたので、骨の写真をどうぞ(笑)

(齋藤侑太)


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「ユニバーサル・ミュージアム ―― さわる!“触”の大博覧会」は巡回展の計画も進んでいるようです。みなさんのお近くの博物館や美術館で開催されることがあるかもしれません。その時はぜひ、足を運んで、手でさわって、楽しんでいただけたらと思います。

■広瀬浩二郎さんの連載
失明得暗──新たな「ユニバーサル」論の構築に向けて