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いじめ、不登校…こどもの抱える問題を真正面から描き続けて~絵本作家・梅田俊作さん『あしたへのまわり道』~

ポプラ社の編集者には、入社時に「必ず読むように」と言われる本があります。そのうちの一冊が、梅田俊作・佳子さん作の長編絵本『しらんぷり』。いじめをテーマにした本で、第3回日本絵本賞大賞を受賞した本です。

今回は、この『しらんぷり』の続編とも言える最新作。著者夫婦の最後の共作となった『あしたへのまわり道』について、著者の梅田俊作さんに、じっくりお話を伺いました。

『あしたへのまわり道』作/梅田俊作・梅田佳子

【あらすじ】
イクハルは、勉強ができないわけでも、いじめられているわけでもないけれど、時々学校に行きたくなくなる。この日も学校をやすんであてどなく歩いてたどり着いた「アルデナイデ沼」。そこで被災地から祖母のところに身を寄せる女の子シュリにであい……。

学校では学べない事、学校では出会えない人たち。学校がすべてではない、学校の外に世界は広がっている。一人ひとりの子どもたちが未来―あした―を生きる力を取り戻していく姿を描く。

梅田俊作(うめだ・しゅんさく)
画家・絵本作家。1942年、京丹後市生まれ。絵本作品に『えすがたあねさま』『ねずみのすもう』(共に大川悦生/文)『かえしてよ、ぼくのぼうし』(ポプラ社)『ラヴ・ユー・フォーエバー』(ロバート・マンチ/作 乃木りか/訳 岩崎書店)『うわさごと』(汐文社)など多数。
妻の梅田佳子(2020年逝去)との共作も多く、1997年に刊行した『しらんぷり』は累計20万部のロングセラー。それ以来、全国各地で講演やワークショップを精力的に行い、「いじめ」に悩む親子との対話を続けている。
最新作『あしたへのまわり道』は、そうした「いじめ」に端を発した子どもたちの葛藤と勇気を描き続けた著者夫婦の最後の共作。


なんでもないけれど学校を休む
主人公イクハルと転校生との出会い
 

――『あしたへのまわり道』は、最初は不登校がテーマなのかな、と思い読み始めました。いじめられているわけでもないけれど、ときどき小学校を休むイクハル君が主人公。

中面より

通学路を避けるように沼の方へ向かうと、沼のボートに乗っている転校生のシュリを見つけます。沼の中央には浮き島があって、そこにシュリのおばあちゃんが畑を作り、アヒルやニワトリを飼っているんですよね。現実のしがらみに絡まった子どもたちにとっては夢のようなこの場所から、物語が動き出します。こうしたお話を書こうと思ったきっかけを教えていただけますか?
 
(梅田)うん、始まりはね、(2011年の)東日本大震災でした。カミさん(妻で共著者の梅田佳子さん)が福島出身で、例の原発事故で友人たちが日本中に避難したんです、大勢ね。
で、そういう人たちからの情報が入ってきて。一番こたえたのは、親友が避難先で「放射能汚染がうつる」というとんでもない情報で、子どもらも家族もいじめられて、そこにいられなくなったと。子どもも不登校になってしまったとか、あからさまに「補償金をもらっていい身分だ」と言われたりとか。

――それはきついですね。

(梅田)うん、実はその前から、なんだか仕事で煮詰まってしまって東京を離れようと、僕が一人で徳島県の日和佐っていうところに住んでいたことがあったんだよね。
福島の人の話を聞いて、そこで暮らし始めた頃のあれやらこれやらが蘇ってきてね。いじめの問題を書いた『しらんぷり』から、ずっといじめの問題を引きずっていたこともあって、それでカミさんと「これを書こうよ」と言って書き始めたのがきっかけでした。いつもはカミさんから積極的という感じではないんだけど、この時は書かずにおれなくなったのはカミさんの方だった。珍しいことだったね。

『しらんぷり』(1997年、ポプラ社)
あなたは、しらんぷりをしたことがありますか。しらんぷりをされたことがありますか。
いじめ問題を真正面から描いた長編絵本。

(梅田)それで当時、勢いで作ってポプラ社に送ったんだけど、きつい一言を言われてね。うん。「物語になってない」って。

――(編集者)そ、そんなことを申し上げたんですか⁉

(梅田)うん。それで目が覚めたの。編集者がよく見抜いてくれた。僕らは渦の中にいるから生々しすぎたんだよね。消化できていないところがあるんです。だからもうちょっと時間を置こうと思った。

それが7、8年前のことだね。これにはたくさんのエッセンスが詰まっていたので、ここからいくつかの作品に分かれていって、その一つが『あしたへのまわり道』になっていったんだ。

「勢いで作った」という、当時の原稿を手に。

――きっかけは佳子さんの療養からでしょうか。

(梅田)そうだね。カミさんが肺がんになって、療養のためにとよく海に連れて行っていたんです。徳島からずっと南に行って高知との県境あたりに、『あしたへのまわり道』の舞台として、思い描いた場所があってね。もちろん、特定のモデルとしてではなく、こんな感じかなあ、というイメージとして。
ガランとした海岸で、石ころがゴロゴロ転がっていて、広大な松原があるような海岸でね。そこでお弁当食べたりして半日くらい過ごすことがあった。その近くにがあって。この沼が僕の故郷の京丹後市にある「離湖(はなれこ)」の景色に似ていたんです。葦がたくさん生えているようなね。

それで子どもの頃、よく親父が話してくれた話を思い出したんだ。親父が若い頃に、友達が、離湖に芦や葦の中に浮き島を作って畑をやってたんだけど、台風かなんかの時に、ごそっと畑が流されたんだって。

――作品中でも出てくる印象的なシーンですよね。あれは完全にファンタジーの世界のことかと思っていました。

(梅田)ねえ。沈まないように何か細工はしてあったと思うんだけど、そのことははっきりと知らないんだ。でもその話がずっと耳に残っていたわけ。なんだろう。乗ったこともないんだけど。たまに夢に見るわけ。追い詰められたときとか。そのイメージとくっついたんだよね。以前からこの夢の話をカミさんにしていたから、これを舞台にしようっていう話になった。

でもその辺りでカミさんの病状が悪くなっちゃったもんで、東京に戻ってきたの。
それで、こっちには長男の一家が住んでいるんだけど、孫の一人がその頃不登校していたんだよ。それもずっとじゃなくて、ちょこちょこっと登校しては2、3日休んで、みたいなね。だから「今度の不登校の時、俺に電話くれ」って言って、連れ歩いたわけ。休みたい時は休みゃいいって。息子夫婦も同じ考えでね。

僕が徳島にいた頃、この孫は毎年遊びに来てくれていたの。するとその孫は6、7メートルぐらいの断崖から川に飛び込んだりするんだ。川底は岩場だから、地元の子どももびっくりしちゃって。さすがに僕も「なんてことをさせるんだ」って息子に言ったら、「あの子は何日も前からあの岩場の中を潜って、自分なりに調べてたんだ」って言うわけ。

大人からすれば危険だと思えることも熱中するんだな。で、そんな子が不登校やるっていうのはなんだろうっていうのを考え出した時に物語が動き始めたんだ。

絵本には未収録の原画。妻・梅田佳子先生との共作だが、文章・絵ともに、実際に手を動かすのは俊作先生。
編集者に原稿が渡された時点で、絵は完成された状態だった。

――学校や大人は、子どもが危険なことをしようとするとやめさせようとしますね。

(梅田)うん、危ないとか言って、やめさせるよね。だけど、徳島でフリースクールを運営する親友は「子どもって、伸びる力持って生まれてきてるんだよね」って言うわけ。それを足引っ張ったりなんかするのは大人でね。

もちろん今の学校教育ですくすく伸びる子もいるけれど、それに合わない子もいる。それを無理やりに囲い込んだら、やっぱり鬱憤が溜まるしね。孫もそういうタイプだったんだろうな。だから孫が不登校するたびに、俺、喜んじゃって(笑)。面白いもんね。孫が遊んでくれんの。雨が降るとさ、うちの近所の野球場が水浸しになるから来るのよ、それでザーッとスライディングしたりして泥だらけになって遊んでた。

まあ少数派だよね。それと今回の原発事故のことが重なった。両方とも、言ってみれば少数派じゃない。みんなとは違うことを、うまく折り合いつけて、うっちゃることもできる人もいるんだろうけど、自分を強く持っている子は、それはできないんだよね。誇りもあるし。
そんな時に周りの大人は…、なんていうのかな、その子を育てるには、誇りを持たせる。それでいいんだ、ということを黙って認める。そんなことが必要なんじゃないかって思いながら作りました。

中面より

子どもたちを伸ばす環境を作るために
大人たちにこそ読んでほしい

――物語は場面の展開も含め、読者の想像に委ねるような形で展開していきます。話の内容もシンプルではなく、一言では説明できないような深い内容ですね。読者のこどもたちには分かるという信頼があるからこその内容でしょうか?

(梅田)僕は子ども向けだけに書いてないところがあるんですよね。むしろ大人たちに伝えたいという気持ちが半分はある。親子の共通の話題になる、そんな絵本であってほしいなって。もっと僕ら大人が考えなきゃいけない問題がある、もっと子どもたちから学ぼうよ、みたいなね。

子どもの問題を見ていると、原因はやっぱり大人だなって思うことがよくあります。こういう、時代がギスギスして生きにくい時代になると、やっぱり親もストレスためるよね。そのストレスを子どもにぶつけているのを見てきたから。

――作品の中でも、いじわるをしてくる子も、実は家では父親に暴力を受けていて…というシーンがありました。

(梅田)子どもらが問題を起こすっていうより、僕は大人だな、環境だなっていう気がしてね。だから結局、自分の作っているものが、子どもにとっては面白くないものになっちゃうんだろうなっていうのは、もう十分わかってるんだ。それでも、その大人に向けて書いてるところはあるね。

中面より

――大人に向けて書いている気持ちはある一方で、それでもやはり、子どもも読める「絵本」という形態でしか表現できないものがあると。

(梅田)そうですね。次の世代につなげるっていうことでね。
あのね、この年齢になって、僕が今すごく夢中になってるのが、野球の大谷翔平君なんです。彼の試合は欠かさず見てる。彼がホームラン打つと「今日の仕事はもう大成功」って思うし、打てないと「今日は俺もダメかもしれない」って(笑)。自分がこんな人間だとは思わなかった。

ある時、元ジャイアンツの松井秀喜君がさ、テレビの解説で大谷翔平君のことで話してる時に「僕は、志が低かったです」って一言言ったんですよ。ドキっとしてね。あれほどの努力家の 松井君が言うっていうことは、やっぱり相当のものだなって。そこから深入りが始まったわけ。

大谷君も人に見せないけど、手術したり、色々大変なことを乗り越えているじゃない。 でも試合に出てくる時はいつもニコニコして、もう野球が好きでたまらないみたいなね。24時間全部野球で生きているような感じで、自足しているよね。

で、それは何かって言うと、自分のやるべきこと、今やるべきこと、 これからやるべきことをはっきり見据えてるからだと思う。彼のような人物は、野球とかそれを取り巻く環境や、家庭の中でずっと培われてきたなということを感じるんだ。“先達”がいいよね。僕は自分の子育ては完全にカミさん任せにして、あちこち放浪してたんだけど、だから今からでも少しでも、次の世代の環境をよくしないとという気持ちがあるよ。

『しらんぷり』は、生涯逃れられないテーマ

――『しらんぷり』はいじめの内容も含めて厳しい内容だったので、『あしたへのまわり道』も心して読みましたが、本作は結末も含めて救いのある作品に感じました。画風も変わっていますが、心境の変化があったのでしょうか?

(梅田)『しらんぷり』を書いた当時は、ほとんど正気を失ったような状況だったかもしれないね。僕の絵で説明するのが1番わかりやすいかな。
『しらんぷり』を作っていた時は毎日、自画像を書いていたんだよね。当時は自分がこれまでしてしまった、取り返しのつかない思い出が不意に襲いかかってきたりして、毎日自画像を描いて自分のバランスを保っていたんだ。

『しらんぷり』制作当時に描いていた自画像(1)
『しらんぷり』制作当時に描いていた自画像(2)荒々しい筆致が目立つ。

(梅田)話に関して言えば、僕の兄貴の子どもがいじめに巻き込まれて、その子の居場所を作ってあげたいという思いがスタートでした。でも書いてるうちに、今度は自分をさらけ出し始めたんですね。自分の中にもあるもの。いじめずにいられない凶暴さとか、いじめられた時の惨めさとか。そういうものが泥のようになって出始めたんですよね。

――『しらんぷり』は出版後の反響も大きかったとか。

(梅田)そうだね。「救われた」という内容もあれば、「二度と見たくない、2〜3ページ読んだだけでも辛くて」というものまで様々でした。

一番こたえたのは、この本を読んで学校のいじめの中に割って入った男の子がいて、その子が腕を骨折するくらいの重傷を負ってしまったことがありました。それで、そのお母さんから手紙を頂いたんです。
「うちの子は、こんなになっても、やっぱり知らんぷりしてはいけないんでしょうか」と。
これは命に関わる問題だと、僕らも凍りつきました。本人からも手紙をいただきました。カミさんがファイルして取っておいてくれてます。

――これですね。「僕はいま、知らんぷりができなくて、ベッドの上にいる」…。すごい責任のあることで、覚悟がいることなんですね。

(梅田)『しらんぷり』は、作者がおっちゃんとおばちゃんということがあってか、いじめの最中にある子や、その家族との繋がりをたくさんもたらしてくれました。
その人たちと近所の海でガラス玉やら貝殻を拾い、カヌーで川下りをしながら語りあいましたね。場合によっては、隣町の「自然農園」というフリースクールとか、漁村留学の分校や漁師のおっちゃんたちに遊んでもらったりしてね。なかには、ぼくの仕事場で何日も寝泊りする家族や、すっかり気持ちがほぐれて伊座利漁村に留学する家族もいたりして。
このことは『あしたへのまわり道』の浮き島の下地となっていますね。それやこれやと続いた田舎暮らしも、カミさんの病を潮時に東京へ戻ってきたわけだけどね。

(梅田)いま僕が住んでいるところから、毎朝、ママチャリの前後に子どもを乗せて、保育園まで疾走している若いお母さんやお父さんが見えるんです。その風景に毎日、元気づけられてね。なんていうか、今はそういう生命力に惹かれます。

最新作『あしたへのまわり道』制作時には、街中で出会った人のクロッキーを日課にしていた。
まわりの人へのやわらかいまなざしを感じる。

――『あしたへのまわり道』から感じられる明るい生命力には、梅田さんのそうした心境の変化もあるのかもしれませんね。ありがとうございました!

インタビューの最後には、愛用の画材や道具を見せていただいた。
クレヨン、チョーク、絵の具など、多様な画材をその時々の感覚で使い分けている。

(インタビュー・文/柿本礼子)