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パンの耳は誰がもらうべきか

最近マツコデラックスさんがロケに行く「夜の巷を徘徊する」という自分の好きな番組があるのですが、その番組のYouTube動画を見て思うことがありました。そこではマツコさんが番組のロケであるパン屋に行きパンを食べていた時のことです。

マツコさんはそのパン屋のパンが気に入ったらしく、パンを食べ居ていたのですが、あまりにおいしいのかマツコさんはパンの耳までもらっていこうとしていました。

その時自分は「パンの耳はもっと恵まれない人が手にするべきじゃないか」と思いました。自分の中ではパンの耳はそういうものだったからです。

そしてこの問題はマイケルサンデルさんがTEDで言っていた”世界で最もよい楽器は誰が持つべきか”という話を連想させました。この動画でその話は出てきます。

最も良い楽器のフルートがあるとするとそれはだれが手にするべきかという問いを客席に投げかけます。

まず客席から”ランダムで決める”というという答えが上がります。そのフルートをほしい人がくじ引きで決めるという事です。次に客席から”一番フルートを上手に吹ける人”という意見が出ました。そして”一番下手な人”という意見も。 ”上手く吹くことのできる人”と答えた人はその理由として全体の利益を最大化できるためと答えました。上手な人がそのフルートを吹けば良い音楽を他の人が聞くことができ、幸福を最大化できる。

自分は”そのフルートを最も高く買う事の出来る人”が手にするということが思い浮かびました、賛成ではないです。

そしてこれをパンの耳の問題に応用してみましょう

まずパンの耳はランダムに配るべきというのはどうでしょうか?

お店でパンの耳がでたら、毎回ほしい人を募って抽選で決めることになるのでしょうか?とても面倒になるでしょうね。

次に良いフルートは一番上手な奏者に与えられるべきという意見はパンの耳で言うと何に当てはまるのでしょうか。一番パンの耳をおいしく食べられる人ということでしょうか、なかなか計りようがない事だと思います。

そして最後のもっともお金を払える人がもらうべきという自分が出した意見、

オークション形式にするということでしょうか、無料で置いていたパンの耳に値段をつける。パンの耳を欲しい人が集まって最も高く払える人がもらえるというようにする。たいへんです。

実際、パンの耳はどのような人がもらうことができているのでしょうか?そのパン屋の近くに住んでいること、パンの耳をもらうのが恥ずかしくないだけのパンを買えるお金を持っている、またはお店の人ともらえるように頼むことができる、そしてそのパンの耳が残っている時間にパン屋に行けること、そもそもそのパン屋を知っているかどうかが求められます。

自分がマツコさんをみて感じたパンの耳は貧しい人がもらうべきというのはフルートで言うと何に当てはまるのでしょうか。それはフルートが何のために存在するべきかという自分の一つの意見であるだけだろうと思います。完全に対応するものは存在しない。

サンデル教授はTEDでアリストテレスのモノの所有者をどのように決めるべきかはそのモノが存在する理由を考えないといけないという主張を紹介していました。

アリストテレスは最も良いフルートは最もうまく演奏できる人が所有すべきだと言っています。その理由としてそのフルートは上手く演奏されるために存在しているからということです。

みなさんこれにはどう思うでしょうか?

正直どうでもいいというのが本音でしょう。ただそれがパンの耳ではなく、「奨学金返済の無償化はだれがされるべきか」「税金をどう割り振るか」など限りある資源やお金をどう配分するかなどの政治的な判断になれば、そのフルートを誰が持つべきかということを考えないといけないと思います、以上です。


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