自分の手を使って学ぶことの大切さ

小学4年生の子が、学校の宿題が分からないから教えてと算数ドリルを持ってきた。
見ると面積を求める問題だった。

4年の算数ドリル

ノートは式と答えだけを書く、ドリル専用のものだった。

ドリル用の専用ノート

う~ん、と考えてしまった。
これで4年生の子どもたちに、面積の問題を解かせるのか?
思考の過程を残す必要はないのだろうか?

子どもの書いたところを見ると、1番と3番、6番は正解だが、それ以外は、式を立てているが間違っているのと、式も書けていないのとあった。
「ぼく、面積苦手だし」と言う。

白い用紙を渡して、ここに問題の図を描いてみようと指示した。
ドリルの小さな図でなく、実際の長さで描かせた。

実寸で描いてみた

2番の問題を描きながら、「けっこう大きいんだね」と言う。
ドリルでは、4㎝も10㎝も同じ大きさで描いてある。
これを確実に体感できる子はどれくらいいるのだろう。

実は私の娘は空間認知力が弱い。
このことを知ったのは、大人になってからだった。

子どもの時、例えば私が料理を作っていて、手伝っている娘に炒め物を入れるお皿を持ってきてと頼むと、明らかに入りきらないようなサイズのお皿を持ってきたり、反対にそりゃ大きすぎるやろ?というようなサイズのものを持ってきたりした。
私は、この子はふざけているのか?と、つい叱ってしまった。
そんなことが何度もあったのに、まさかサイズ感が分からないなんて思いつきもしなかった。

いつだったか覚えていないが大人になってから、何かの長さの話になったとき、10㎝以上あるものを、娘が5、6㎝かなあと言ったので、あれまあ、本気?となって、娘が「マジに分からんって」と言い、そこでようやく、どうも空間認知力が弱いみたいねと腹に落ちた。

だから、車の運転中も、絶対通れるのに「無理、無理」と言う。
何かを入れる箱を探していて、「お母さん、これ入るかな?」と訊いてくる。

そんな子が、娘以外にもいるはずだ。
ましてや低学年だったら、実際の大きさを体感することが全員必要だと思う。
小さな紙面上だけで、面積を求める練習だけをして、何の意味があるのか?
それはテストで点数を上げるための練習でしかない。

4年生の問題としては、図形を2つや3つに分けて面積を求めるというものだが、実際に描いて、実際に切って、体感をしてから計算するという手順が大事ではないか。
もちろん、学校の授業ではやったのかもしれない。
でも、1回や2回では理解できない子どももいる。
実寸でなくても、ノートに同じ形を描いてから、ここで切ったらいい、こっちで切ることもできる、というような作業をする必要がありはしないか。

実寸大で描いて、真ん中の正方形を切り抜いてみた。

最近聞いた話では、1年生からタブレット学習で、自分で書く(描く)という機会が少なくなっているという。
デジタル教育が大事だとばかりに進められているが、それにより失われるものもありはしないだろうかと、危惧する。
せめて低学年のうちはタブレットなど使わず、自分の手を使って、書く、描く、塗る、切るなどの作業をさせたい。

中学生でも、自分で作図をするとかグラフを描くということが減っていると感じる。関数の勉強をしていて、グラフを描いてというと、とても時間がかかる。訊くと、学校ではプリントに書いてあるので、自分でX軸、Y軸を描くということはほとんどないそうだ。図形領域でも、作図問題として正三角形や平行四辺形を描くことはあっても、ノートにフリーハンドで描くという機会がないという。円柱を描いて、とか、扇方を描いてと指示しても、サッとは描けない子が増えているように思う。

また、どんな問題にしても、自分の思考のあとを残すということが大事だ。
けれども、式と答えだけしか書かない場合が多い。
筆算はノートの隅に小さく書いたりするし、書いても消してしまったりもする。
文章問題も、読んだだけで分からないという。絵や図を描かせると、あ、分かったと自分で解き方を発見する場合もある。

自分の手を使って、もっと書かせる、描かせることを大事にしたい。


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