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RPGから見る世界観

日本語を学ぶ留学生の中には、アニメやマンガ、ゲームが好きだという人が多くいる(わたしは日本語教師をしている)。わたしも好きなほうだが、『one-piece』や『鋼の錬金術師』ぐらいではダメらしく、聞いてもわからないものが増えてきた。インターネットのすごさを感じる。

あるとき、クラスでロールプレイングゲームの話になった。
わたしはロールプレイングゲームが好きだ。といっても、ドラクエ専門でドラクエしか知らないのだが、ドラクエⅪまで攻略した。

中でもストーリーがすばらしいと思うのが、今映画でも公開されているドラクエⅤ。世界観は壮大だ。世界地図を模したと思われる人間界に加え、妖精の世界や暗黒の世界、天空の城が存在する。時間軸もおもしろい。父、主人公、息子の三世代にわたりストーリーが繰り広げられる。

冒険を続けていくと、さまざまなエピソードが生まれる。一大イベントは結婚だ。ここでこれまでと違うのは結婚相手が選べること。ビアンカとフローラのどちらと結婚すれば幸せになれるのか?相棒となるベビーパンサーの名前はゲレゲレがいいのか、それともボロンゴか。それまでよりもプレイヤーの意思で決められることが増えた。まさしく、わたしが冒険者だ!

加えて、シーンに応じたすばらしい音楽。父親の死、冒険の始まり、魔王との戦い、その場面を盛り上げ心をゆさぶる音楽に、思わず感情移入する。今でも、東京交響楽団のドラクエのテーマを聞くと、冒険に出かけたくなる。やっぱり、わたしが冒険者だ!!

こんな思いを胸に話を聞いていると、ヨーロッパからの留学生がこんなことを言った。

RPGの世界は、ある人によって作られて、動かされている。
RPGのシステムは、「世界」に似ているのかもしれない。

つまり、世界を俯瞰してみる大きな存在があって、それによって物事が決められているということなのだろう。

んっ!?それじゃ、わたしが冒険者、ではないのか?

なるほどな。確かに、ロールプレイングゲームの世界は、シナリオを書く人がいて、キャラクターを設定する人がいて、音楽を作る人がいる。その中でわたしは冒険をさせて、もらっていた…。

でも、それが現実世界と似ているという考えはわたしにはなかった。もちろんあらゆるシステムを誰かが作っていることは確かだけれど、「世界」に関しては少し違う。

ビアンカと結婚しても大魔王は倒せたし、そのあとフローラと結婚するバージョンでやってみても、大魔王は倒せた。わたしはこれを、「ああ、どんな選択をしても志次第でうまくいくということだなあ」などと思っていた。そうそう、人生ってそういうことなんだなあと感慨深くも思った。

でも、件の留学生からみると、また違った見方になるのだろう。
このあと、アジア圏の留学生からはVRの話なんかもでてきて、世界が拡大していくのを感じた。

同じものを見て、やって、楽しいと思っても、考えることや感じることや世界観はさまざまだ。それを知ることがコミュニケーションだな。

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