深夜ラジオが僕を歪ませた

深夜ラジオが好きだ。

中学の時にスマホを買ってもらってpodcastを聞いたのをきっかけで22歳になる今でも、未だに毎週毎週聞いている。

深夜ラジオに出てくる人々は総じてひねくれている日陰者が多い。送ってくるメールやハガキは輝いている人を斜めから揶揄したり、自虐ばかりだ。そんな人達をパーソナリティは否定せず、肯定もせず面白がってくれる。

マウンティングという言葉が当たり前になった様に、優位性を主張するためにダメな人が晒されたり、人を貶めたりする人を見かけたりすることが増えた。
他にも、怖い話は非現実的だとか、テレビをつければヤラセだとか、不祥事を起こした芸能人がワイドショーで過剰に叩かれたり、異常なほどに人に厳しく、完璧が求められる。ツイッターでの個人の意見すら気を使わなければいけない。

そんなふうに社会が変わっていく中、ラジオは快適だ。ラジオは規制もゆるいし、平等な空間で、好き勝手にみんながみんな話すことができる。

実際聴いている人は社会的地位が高い人もいるし、家族もいたり、充実した暮らしを送っているのかもしれない。でもラジオの中ではリスナーは一括りにされ、イケてないやつとして誰もが扱われる。高め合うわけでもなく、足を引っ張り合うわけでもなく、褒め合うわけでもなく、平等にダメなやつでいることができる。

そんな時に人とのつながりを僕は感じる。
実際の社会生活を送る上での人間関係よりよっぽど本音で着飾らずにいることができて心地がいい。

だから僕はパーソナリティとラジオの前の人を想像して時間の共有ができるのが大好きだ。


というのが今の気持ち

でも最初は違った。むしろ深夜ラジオを聞いて斜めに物事を見るクセがつき、何事にも悲観的で、何事もできなくなった。

努力は報われない。生まれ持って能力が低い。頑張りすぎるのはダサい。夢はダサい。本気でやるのは痛々しい。スクールオブロックはダサい。

そんな気持ちを持つ様になっていた思春期のころ。入り込みすぎて自分より深夜ラジオを信じていて、完全に深夜ラジオからよくない影響を受けていた。それがかっこいいと思っていた。


そのせいで高校時代の後悔は沢山ある。

部活を本気で頑張れなかった。
バレンタインチョコは素直に受け取れなかったし、返事もできなかった。人を沢山傷つけてしまった。途端に人付き合いが難しくなった。素直に生きれなかった。

思春期と言えばそれまでだけれど、本当に性格が悪かったなぁと思う。というか今もその時にできた本質は残っていて沢山のコーティングをしてギリギリ普通に振舞っている。僕の本質は意地悪なひねくれ者で、人の失敗をやっぱりどこかで願っている。かなり性格は良くなったと自分でも思うけれど、やっぱり根っこは悪人だ。

ラジオを聞いて寝落ちして起きた朝にそんなことを思った。

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