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普遍論争

普遍論争
普遍は存在するか否かの論争の事である。

中世スコラ哲学(1)における重要な論争で、普遍(一般的な概念やカテゴリー)は存在するか、それとも単なる思考上の概念に過ぎないかについての議論。この論争は、古代ギリシャ哲学から続く問題であり、プラトンやアリストテレスの哲学にも根ざしています。

(1)ギリシア哲学の影響を受けた、キリスト教の神学のこと

なぜこのような議論が起きたのか個人的考察
アリストテレスの思想が、レコンキスタや十字軍遠征などによりイスラーム世界からヨーロッパに流入しました。それまでのスコラ哲学は新プラトン主義からアウグスティヌスにつらなる考え方が主流でしたが、異なる思想が流入することになり、論争になりました。

なぜ異なる意見と論争になるかと言えば、それまでの考えが聖書の解釈や整合性と密接に関係していたためです。例えば、実在論者は新プラトン的立場に立ち、イデアが事物より先に立ちそれ自身において存する点に鑑み、アダムによって堕落し、原罪を背負った人類が、キリストに救済されることが成り立つためには、「人間」という普遍者が存在し、それが人間の本質として前提されなければならないと考えました。

そうしたこれまでの価値観を根底から揺るがしかねない思想であったために論争を引き起こしたのだと思います。

普遍論争の展開
オッカムのウィリアムは、中世の「普遍論争」において重要な役割を果たしました。彼は唯名論者として知られ、存在するのは個人だけであり、普遍は個人の集合を指す心的方法にすぎないと主張しました。

彼の有名な原則「オッカムの剃刀」は、説明を行う際に必要以上の存在を仮定しないというもので、これは彼の唯名論的立場を反映しています

ウィリアム・オブ・オッカムの登場で(もちろん理由はそれだけではありませんが)、近代への扉が開かれていきました。

普遍論争の3つ立場
実在論(Realism)は、普遍が実体として存在し、個物よりも先に存在するとする立場です。実在論者は、普遍が個物の本質を形成し、個物は普遍の具体的な例であると考えます。例えば、「赤」という色の概念は、すべての赤い物体に先立って存在するとされます。

唯名論(Nominalism)は、普遍は単なる名前であり、実体として存在しないとする立場です。唯名論者は、普遍は言語や思考の産物であり、実際には個々の物体のみが存在すると主張します。つまり、「赤」という概念は、赤い物体を指すための便宜的なラベルに過ぎません。

概念論(Conceptualism)は、普遍は人間の心の中にある概念として存在するとする立場です。概念論者は、普遍は実際の物体とは独立して存在するが、それは人間の知性の中でのみ意味を持つと考えます。

普遍論争の影響
普遍論争は、個々の事物を超えた普遍的な性質がどのように存在するか、または存在するのかという問題に焦点を当てています。この論争は、哲学だけでなく、言語学、心理学、宗教学など多くの分野に影響を与えています

以上です。