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アフリカで写真を撮る楽しさに目覚めた 最終回


とにかくアフリカはスケールが大きかった。
ここも単なる盆地なのかと思ったら、地球の裂け目なのだそうだ。
二日間のバカンス?を終え、いよいよサファリラリーの取材が始まる。

スタート&ゴールはナイロビのケニヤッタ国際カンファレンスセンター前の広場。ナイロビはかつてイギリスの植民地だっただけあって、サバンナやスラムを感じさせないほど近代的な都市だった。

この年のサファリラリーは、WRCから外れていたのでバリバリのワークスチームからの参加はなかったが、トヨタから藤本吉郎、三菱からは篠塚建次郎がグループAクラスに参戦。

スバルは自社のクルマの素性の優秀性を証明するべく、ほとんど改造ができないグループAクラスに参戦。しかもチームのメカニックは、全国のディーラーから選抜されたラリーは未経験のメカニックたち。

のちのワールドチャンピオン、残念ながら若くして病気でこの世を去ったリチャード・バーンズもこのときはまだルーキー。

日本からも三好秀昌選手が参戦。見事総合4位、クラス優勝を飾ることとなる。足を抱えているのはアフリカのヒーロー、パトリック・ジル。

インプレッサWRXのワゴンも何気で参戦していた。スバルのワークショップはナイロビにある日本人学校の向かい。翌年、校長先生が学校の門で強盗に襲われ、治安の問題でスバルの研修はオーストラリアへと移ったのだった。

チームのクルマはレオーネ。日本から中古車を持ってきて使用していた。オイラも一台与えてもらったが、取材帰りにオーバーヒート! ナイロビの外れでまわりは現地の人だらけ…… なんとかサービスから戻る途中のチームを見つけ、助けてもらって事なきを得たけど。イヤァ、ホントにどうなることかと。一番ビビった瞬間だったなぁ。

ラリーはレースと違ってサーキットのように同じところを何周も走るのではなく、普通の道を閉鎖して行うためピットのような施設はない。指定された道の脇などにサービスと呼ばれる場所を作るので、このように屋外で整備や修理をすることも多い。

サバンナのど真ん中のサービスに、着飾って見学に来る現地の人たち。とは言ってもまわりに家などまったくない。いったい彼らはどこから、どうやって来ていたのだろうか?

ホントに彼らはどこから来てたんだろう?
20年以上経ったいまも謎だ(笑)。

このアフリカ取材のとき、写真を撮りまくった。ライターとして行ったのに(笑)。まだフィルムの時代だから会社からたくさんフォルムを持っていって(個人ではそんなに用意できなかったので)、本当に撮って撮って撮りまくった。目的を持って写真を撮るという面白さに目覚めたのがこのときだったなぁ。これ以降、旅行の記念とかでなんとなく撮るのではなく、しっかりこれを撮りたいって考えて撮るようになった気がする。もっとも、まだまだこのときはカメラ頼りで撮っていたけど。シャッタースピードや露出を気にして撮るようになるのはもうちょい後(笑)。

ということで、アフリカ編は今回で終わり。
帰りはまたパキスタンに12時間(だったかな?)もトランジットがあって、ホテルの部屋で待機も、謎の日本語ペラペラのパキスタン人がやってきて、「市内観光、米ドルで20ドル」というのに釣られて、着いていったら最初のモスクとアラビア海以外はすべて土産屋というお約束(笑)。空港でもひとアクシデントがあったりして、取材だったとは言え、なかなか異国情緒にあふれた旅であった。
それほど海外に行っているわけじゃないけど、本当に違う国に来たんだなぁと感じられる場所だった。死ぬまでにもう一回行けたら良いなぁ。

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